6月8日より天元台の夏山リフトとロープウェイが開通という報に接し、うずうずとしていたのです。早く登りたいと。けれども、日々の工房の仕事やその他の重要なことそれから雑多なこともどんどんと入ってどうにも身動きが取れず、ようやく見つけた自由な時間、6月14日。さっそく行ってきました。
ニュースで話題になっていて気がかりだったのがロープウェイの不通です。7日の午後に突風にあおられてゴンドラが支柱に接触してドア付近が損傷し、修理には相当の時間を要するとのこと。筆者は、登山客にはリフトを利用することを条件に湯元駅から高原駅までをクルマで送迎するということを確認して出かけたのです。
ということは、例年この時期、ロープウェイだけを利用してネマガリダケ(根曲竹)を採りに入るひとは多いのですが、それらのひとには便宜を図らない、歩けということ、これではよほどでないとネマガリダケにはありつけませんね。でも、この日も3人の女性が歩いて登っているということでした。根性です、猛者(もさ)です(笑い)。
当日は気持ちのいい天気、まさに梅雨の晴れ間です。
何と若々しくてみずみずしいダケカンバ(岳樺)の葉々であることか。サラダにして食べたいぐらい(笑い)のやわらかさ、つややかさ。
林はエゾハルゼミ(蝦夷春蝉)の大合唱。けれども風が心地よく、その声も暑苦しくはなく。
シラベ(オオシラビソ・大白檜曽、アオモリトドマツ・青森椴松)の美しさ。この樹は本当に美しいなあ。
有名な蔵王の樹氷はこの樹に作られるもの、西吾妻でも樹氷はできるとのことです。
遠くに鎮座する、憧れにも近い、真白い飯豊連峰。やはり仰ぐ者を圧倒する巨大な山塊です。
今年は雪の量は例年の7割ほどにとどまったのに、4月に寒さが続いたことで雪解けはぐっと遅れているようです。途中のリフトからはコシアブラ(漉油)がちょうどおいしそうに若い葉を出していたので、今年に限っていえば、ルーザの森と西吾妻では約40日のちがいということになります。
ここ4、5年、同じ時期に同じコースで歩いているのだけれど、歩きはじめから第一の休憩地点のかもしか平までの登山道に雪があったというのは初めてのこと。今年はこの通り。
コバイケイソウ(小梅蕙草)やサンカヨウ(山荷葉)、ユキザサ(雪笹)が出てきたのはわかるけれどもいずれも若葉です。
と、登山道の両脇のそちらこちらに咲くのは、バイカオウレン(梅花黄連)ではありませんか。木漏れ日を反射して、白金のようにまぶしく咲いています。
こんなに見事なバイカオウレンは初めてのこと、とても感激しました。もうこれだけで、来たかいがあったというものです。
かもしか平を抜けて木道に出たあたりで見つけたアカミノツゲ(赤実黄楊)、それに何やらジンチョウゲ(沈丁花)に似ているなあと思った木の花があって、あとで調べたらやはりミカン科のツルシキミ(蔓樒)とのこと。これははじめての出会いでした。バイカオウレンもそうだけど、雪解けのころならではの花なんだろう。
木道が伸びて、大凹(おおくぼ)にはまだたくさんの雪。西吾妻を代表する風景アングルです。大凹は西吾妻最大のお花畑です。このあたりで、カッコウが空いっぱいに啼いていました。
ふたりの登山者に会いました。
おひとりは(山麓のロープウェイの基地から高原駅までのクルマでもご一緒した)京都からおいでのMさん。普段は宮司をなさっているのだとか。宮司という仕事と山というのは根っこのところでひかれ合っているのかなという感慨はあります。
昨日は那須に登り、今日は西吾妻、今後も百名山制覇をめざしたいという矍鑠(かくしゃく)たる方でした。
よい天気に恵まれてとても満足そうな表情でした。
もうお一人は千葉からおいでの女性。実家が福島市なのだそうで、父親のバイクを借りて高速を飛ばしてやってきたとのこと。西吾妻にいつか登りたいと思っていたのだとか。そして涼しい顔で言うには、これから西吾妻山、西大巓を越えてグランデコまで下り、そこからまた引き返して天元台に戻る、ということでした。そのコースを知っている筆者とすれば、ええっー!です。
山の早春の空気にうれしそうでした。
大凹の水場の前の筆者は、彼女にお願いして撮っていただいたもの。
清冽な雪解け水です。
チングルマ(稚児車)の若葉。
このころのチングルマをよく見ると、草ではなく木本であることが納得できるような茎です。
ショウジョウバカマ(猩々袴)咲いて。
里でもたくさん見かけるけれども、こういう高山(亜高山)で見るショウジョウバカマはどこかより清らであるような。
ハイネズ(這杜松)は実をつけて。
イワカガミ(岩鏡、岩鑑)の中に咲く、これはミツバオウレン(三葉黄連)。
シラベの根元にバイカオウレン。
マイヅルソウ(舞鶴草)に混じってバイカオウレン。
もうどこもかしこもオウレンまつりです(笑い)。
戻り道の、スキー場域に入ってからのムラサキヤシオツツジ(紫八汐躑躅)。これは天元台の名花のひとつなのでは。
で、出ていました、出ていました。ほとんど誰も踏み込んでいないところに、ネマガリダケが。(細竹、笹竹、千島笹は同じものですね。ネマガリダケが標準和名です)。
今回、労せずしてどんどんと採ることができたのは、これはロープウェイが動いていないことの影響ですね。誰の踏み込み後なく、伸びきったものなく。筆者は登山リュクの中に山菜バッグをしのばせていたという抜け目のなさです(笑い)。
我々にとってゼンマイ(薇)が魔力のかかった山菜であるよう、このネマガリダケもファンにとったらたまらないひと品なのだと思います。これにありつかないと、夏が来ないような。この世の終わりにはネマガリダケの粕汁なんだとでも言いたげな(笑い)。我が家もさっそく今夜、ネマガリダケのタケノコ汁です。
下は、ネマガリダケの群落。そして、ここより採ったもの。
リフトからの天元台風景。遠くに米沢の街が広がっています。
手前はペンション、廃業しているところも何軒かあるよう。地デジのテレビの電波塔も建っています。
かつてここには大きなホテルが建っていてにぎわったものです。筆者にとってかつてここが、童謡「牧場の朝」のような、憧れの高原だったのは確か。
筆者は子ども時分は米沢の北の宮内町(現在の南陽市宮内)というところに暮らしたのだけれど、その時の子ども会の旅行でここに来たこともありました。湯元駅の下には国民宿舎があって、そこには25メートルの温水プールがあって泳いだのだっけ。
最終リフトの終点では、送りのクルマが待っていてくれました。
麓までの帰り道(湯の平クロスカントリーコース。1.5キロ)の道々のこと、(株)天元台高原の社員の話によれば、意外にもスキーヤー、スノーボーダーの来場者数は変わらないのだそうです。ただ、若い人たちのアウトドア離れは確実に進み、天元台に来る人も減っているとのこと。代わって増えているのが中高年の客層なんだそうで、昔遊んだスキーを退職後にもう一度挑戦するとか、新たにやりはじめる人が増えているということです。世の中の趨勢どおりですね(笑い)。
でも、若いうちに自然に接しない若者たちが増えて、経験せずにいわゆる退職年齢を迎えたとして、その後にどんなリセットが待っているものなのか。余計なお世話のたぐいではあるけど。
下山後は、白布高湯の名湯・西屋でひと風呂浴びて家路に着きました。
まだ春の西吾妻、さわやかな風吹き渡る気持ちのよい山旅でした。
やっぱり、山はいいね。