森の小径森の生活

美しい季節になりました

美しい季節になりました。
草木という草木は一斉に芽吹き、薫風吹いて。

この季節をどんなにか待ちわびたことか。こういう季節があればこそ、長く冷たく、重く苦い冬を乗り越えることができるのだとつくづく思うのです。
すべては、希望あっての、光あっての、めあてあっての日々だと、暮らしだと。

今回はルーザの森を主として、春の彩りを綴ってみようと思います。

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我が家には筆者が名花と呼ぶ花がふたつあります。そのひとつは少し前に特集したイワウチワ(岩団扇)、それからもうひとつがエイザンスミレ(叡山菫)です。

スミレにはたくさんの種類があり、スミレのみで一冊の本が編まれるほど多種多様です。それに交雑も激しいのだそうで、自然界にさえ新しい種が生まれているのだとか。
スミレは愛らしく美しいけれども、その生態も興味深いものがあります。
ひとつがタネの拡散の方法です。実ったタネは自力で4メートルほども飛ばすことができるのだとか。
それから、先にもカタクリ(片栗)のところで触れたけれども、スミレはカタクリ同様、タネに飴玉のような“エライオソーム”という物質をつけて蟻に運ばせ、蟻はタネの表面をなめたあとはわざわざゴミ捨て場まで運ぶんだそうで、そこからスミレは芽を出すという。スミレは、ちゃんと先を見越しているわけです。
そしてスミレはいずれも食すことができます。したがって、しゃれたサラダのアクセントとして載せるのもありだね。

で、筆者が普段目にするスミレはまず野のスミレの代表と思しきオオタチツボスミレ(大立坪菫)、照り映える薄い葉にして青紫の花 が美しいスミレサイシン(菫細辛)、小さく白系の代表とも思うツボスミレ(坪菫)、町はずれで見るそのものずばりのスミレ(菫)、それから山道によく出会うノジスミレ(野路菫)、山中でまれにナガハシスミレ(長嘴菫)等々……、そして我が家に自生するエイザンスミレは特筆ものです。
下は、オオタチツボスミレ、スミレサイシン、ツボスミレ、そしてエイザンスミレ。

エイザンスミレの最大の特徴は、深く切れ込んだ葉です。スミレにしてこんな葉は、他にヒゴスミレ(肥後菫)があるのみとのこと。
それから、幸せを色にしたらこのようなものではないかと思われるような、薄紅色よりもさらに薄いピンクの花の色。何と清楚で、愛らしい色であることか。
命名は、比叡山に咲いていたことによるということです。

筆者がこの花を敷地内に発見した時の興奮は忘れられません。この花ゆえにここに越してきてよかったと思ったりもするほどなのです。
米沢の他の地域もそれから山歩きなどでもスミレは注意深く見ていますが、このスミレを他に見たのはやはりこの近くのゼンマイ採りの際に歩いた山中でただの一度だけです。
図鑑などによれば決して希少種ではないようですが、少なくともこの地域では一般的とは言えません。ゆえに筆者は、このスミレを大切に保護しています。
今年は5月3日に咲いて、今日9日が見ごろのピークのよう、あと一週間も咲くものかどうか。

鑑山はどうなったろう。
純白のタムシバ(田虫葉、嚙柴)はどうなったろう、この山の名の由来たるイワカガミ(岩鑑、岩鏡。標準和名はオオイワカガミ)は、と気になって登ってみました。
そしたら、タムシバは終わりを迎え、かわってガマズミ(莢蒾)が白い花をつけはじめていました。そして待望のイワカガミの咲き初めです。鑑山はもうすぐ全山イワカガミの季節を迎えようとしています。
地を這う鑑(鏡)様の照り映える葉からすっくと伸びた茎、そこに小さなベルのようなピンクの花がいくつも下がる……、高山植物ではおなじみだけれど、この低山型のオオイワカガミもまた美しい。

鑑山はまた、もうすぐヤマツツジ(山躑躅)の赤にも彩られます。
実は鑑山の登山ルートには一株だけのムラサキヤシオツツジ(紫八汐躑躅)が咲いています。この明るい薄紫(これは牡丹色が適切かも知れない。カリン=花梨の花の色に似ています)はルーザにとっては貴重な色です。
ちなみに去年の5月に裏磐梯の五色沼を散策したのですが、そこのツツジというツツジがムラサキヤシオ一辺倒なのには驚きでした。ヤマツツジが一本も見られない。こちらはヤマツツジと緋色の濃いレンゲツツジ(蓮華躑躅)、まれにムラサキヤシオなので、植生自体が五色沼あたりとは違うものだと思わされたものでした。
下は、咲きはじめたヤマツツジとムラサキヤシオツツジ。


鑑山のいつものいただきから見た現在のルーザの森。
左上が我が家です。まわりの大方を占める明るく白い銀鼠に少しだけ黄緑をさしたような色(色彩事典で強いて探せば“オイスター”のようです。なるほど牡蠣の身の色だね)、これはすべてコナラ(小楢)です。ルーザの森はこんなにコナラで埋め尽くされています。
コナラはブナ帯を代表する樹木。これならツキノワグマ(月輪熊)も棲むこと適うわけです。
遠くに、雄々しき飯豊連峰のひとつ飯森山。

美しい季節になりました。
草木という草木は一斉に芽吹き、薫風吹いて。

この美しい季節に、仙台と横浜よりお客さん(かつての職場の同僚Kさん一家と、Kさんと筆者の生徒だったYさん親子)がおいででした。
夜は焚火の傍らでの一献、翌日は春の日をいっぱいに浴びての山菜採りと楽しい時間が過ぎました。

美しい季節になりました。
草木という草木は一斉に芽吹き、薫風吹いて。

ツツドリ(筒鳥)が啼き、冷たい水が流れ、森はもう訳が分からないほどの生命が横溢しています。
ゼンマイを摘みに森に入れば、地にはチゴユリが(稚児百合)咲いて。
クロモジ(黒文字)咲いて、クロモジは匂って(このクロモジは賢治童話の白眉「なめとこ山の熊」の重要なテーマだったなあ)。
風に桜の花びらだ。

山は今芽吹きの頃……、それは葉緑素の活動が活発になる前の単に緑とは違う微妙な色彩、それはイタヤカエデ(板屋楓)の赤橙(だいだい)だったりクヌギ(椚)の橙だったり、先ほどのコナラのわずか黄緑差す明るく白い銀鼠だったり、ハンノキ(榛木)のビビットな萌黄色だったり……、それは清々しくも美しい胸のすく風景です。
この春の彩りのことを誰かがいつかしら“春紅葉”と言ったそうな。それが世の中に定着しはじめたようだけど、正直、これは筆者の感覚に合いません。
春なのに、なぜわざわざ秋の代名詞を持ってきてつけ加えなければいけないのか、なぜ、秋に春が準じなければならないのかが理解できないからです。ですから、筆者はこの言葉を避けて、対抗して、“春百彩(はるひゃくさい)”または“春彩(しゅんさい)”というものを当てています。こっちの方がいくらかでもいいと思うけどなあ。

今日も明日もあさっても、筆者は時間を見つけては、思う存分に息苦しいほどの春を浴びようと思います。

下は、ウリハダカエデ(瓜肌楓)の若葉。

ルーザの森の第一のビューポイント、笊籬橋からの眺め。紅葉の時もきれいです。 春百彩。

ルーザの森で自生はめずらしいブナ(山毛欅)の若葉。筆者の歩く範囲に1本だけあります。ちょうど笊籬溪(ざるだに)・天王川のきわです。

笊籬溪。太ったゼンマイがたくさん出るのです。

最上川の源流のひとつ天王川の合流地点。河床は一枚岩です。

美しい季節になりました。
草木という草木は一斉に芽吹き、薫風吹いて。

余談だけど、こんな季節にぴったりくるのがジョン=デンバーの「緑の風のアニー(Annie’s Song)」。日本語訳題名の妙というべきか。このインストルメントもいい。
それからなつかしのビージーズの「若葉の頃(First  of  May)」。これはご存知イギリス映画「小さな恋のメロディー(Melody)」のサウンドトラックでもありますね。
日本で五月を歌った秀逸な曲ってあるのかなあ。

ルーザの森クラフトも、春がいっぱいです。

さあ、仕事、仕事!