森の小径

春デス、春デス


今年は例年にないほどの雪の少なさだったというのに、春の進行は一転して遅々とし、ここ5年ほどでも最も遅いものとなっています。不思議なものです。
たとえばタラ(楤)の芽はいつもの年だと4月21日頃には出はじめるのに、その姿がようやく見えてきたのが26日でした。これからすると今年の春は、5日から1週間ほどの遅れと言えそうです。
とは言え、春デス、春デス。とうとう、ルーザの森にも本格的な春がやってきました。

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春といえば、野鳥。
野鳥の声は、長い冬からの解放の象徴です。
森はもう、四方八方からのにぎやかなさえずりで満ちています。
筆者がこの春に見たり聴いたりした鳥……、森の聖者フクロウ(梟)の声を聴いたのは15日だったか(この森にフクロウが棲んでいることのうれしさ)、トラツグミ(虎鶫)の、夜分に怪しく響くヒーヒーという声を耳にしたのは21日。カケス(懸巣)にキジバト(雉鳩)、キジ(雉)、キビタキ(黄鶲)、ホオジロ(頬白)やキセキレイ(黄鶺鴒)、ヤマガラ(山雀)とシジュウカラ(四十雀)、そしてウグイス(鶯)、(分からない魅力的な声の主が他にもいっぱいいるんだけどなあ)……。

そして何より、春といえばツツドリ(筒鳥)です。
“ホホ、ホッホ、ホッホ、ホッ”とまさに筒に息を吹きかけた時に出るようなこのツツドリの鷹揚でのどかな声を聴くと、嗚呼、今年も春がやってきたんだと実感するのです。
ツツドリはポカポカの春の代名詞、そしてそれは平和の象徴でもあります。この声を聴いて、苛立つ者など誰もいないのではないか。
余談だけれども、このツツドリはカッコウ目カッコウ科。これと姿かたちがそっくりなのが同目同科のカッコウ(郭公)とホトトギス(不如帰)です。名前も大いに違えど、その鳴き声たるやまったく違う、これはいったい、どういうことだろう。

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春といえば、エンゴサク(延胡索)。
野原の、高い裸木の枝々を通して漏れる光を浴びた一面のエンゴサクはまさに春のステージ。この花の中に腰を下ろしたりすれば、気持ちまでもが春色に染まっていきます。

筆者はエンゴサクにはエゾエンゴサク(蝦夷延胡索)とヤマエンゴサク(山延胡索)があるのは知っていましたが、ようやく区別ができるようになりました。
エンゴサクには花の下に“包”という葉っぱのようなものがあるのだけれど、これがギザギザなのがヤマエンゴサク、そうでなく尖がっているのがエゾエンゴサクです。
エゾエンゴサクの花は青っぽいものが多く、ヤマエンゴサクの方は紫でも少々赤が入っています。全体として、ひょろっとしているのはエゾエンゴサクです。

この時期、野原に見かける、葉脈を赤くして青々とした葉はウバユリ(姥百合)。
ウバユリは盛夏に少々青白い百合の花をつけるのですが、その頃には葉が枯れていることから、“歯のない姥”に例えられての命名とか。
このウバユリをアイヌでは“トゥレプ”といい、その鱗茎から貴重なでんぷんを取っていたと言います。大切な食糧だったのです。下のような葉っぱの時期が採取の時期のようです。
次は、夏の花。そして、種をまいて冬を越したウバユリの現在。

ヤマハンノキ(山榛木)にも若葉。

町はもうソメイヨシノ(染井吉野)が満開のようだけれど(25日)、山にはヤマザクラ。豪華なサクラもいいけど、ヤマザクラの何とも言えない素朴さもいい。
山にあるサクラなので単に総称としてヤマザクラと呼んでいるまでで、本当はいろんな種類があるのだという。ヤマザクラは交雑激しく、種を同定するのはなかなか難しいようです。
下のものは花柄(花の軸)に産毛のようなものが生えていますが、こういうのをカスミザクラ(霞桜)と言うそうな。

でも、下は花柄に細かい毛があるけれども、花柄は黄緑で長い、しかも葉が同時に出ているとくる。こうなると、先のもカスミザクラなのかは疑わしくなるというもの。オクチョウジザクラ(奥丁子桜)かなあ。

あまり知られていない山菜のひとつ、ハリギリ(針桐。別名はセンノキ)の現在。摘むまではもうちょっとというところです。このおひたしや天ぷらはとてもおいしいです。
一見して棘があってタラノキ(楤木)のようですが、棘はタラよりさらに鋭いです。
タラは周りの木が自分よりも高くなると枯れてしまうものですが、一方このハリギリは20メートルもの高木になって、家具材などに利用されます。我が庭にも1本の高木が自生しています。

散歩道を進めば、イノシシの仕業と思うけれど、水たまりに首を突っ込んで泥の中の生物をあさったものか、どうか。

これは要注意の、猛毒植物のハシリドコロ(走野老)。食べると錯乱して走り回ることからの名づけと言われています。それほど毒性が強いということでしょう。
葉が瑞々しく、花もそれなりに美しく、筆者もこの正体が分からぬうちは、有用な山菜と思ったものでした。危ない、危ない。

ハシリドコロのすぐそばに、シャク(杓)がありました。別名はヤマニンジンで、ニンジンの葉そのものです。これは山菜ですが、癖があって我が家ではちょっと、です。

春といえば、カタクリ(片栗)。
あの、片栗粉のカタクリですね。カタクリから取ったでんぷんが本来の片栗粉ですが、そのほとんどはジャガイモでんぷんとか。

ここは斑雪のフクジュソウ(福寿草)が咲いていたすぐそばのところで、フクジュソウが花びらを散らすと次にはカタクリの我が世です。枯草の上に花びらを反り返しつつうつむいて咲いている花は可憐で、この花を目にすると、春がきたことを実感するのです。

筆者の母親がまだ存命の頃、誘ってはこの場所によく来たものでしたが、めざすはこのカタクリ採りでした。
カタクリは有用な山菜のひとつで、茎ごと抜き取って、それを茹でておひたしにしたり煮物にしたりするのです。まったく癖がなく全体に甘い香りが漂ってとても美味だったことを覚えています。もちろん、干して乾燥させて保存し、冬場の大切な食材ともしました。
しかし、カタクリは種から成長して7年くらいまでは葉だけの姿で過ごし、花をつけるまでには8年から10年ほどもかかるとのこと。食としての利用よりもその景観の美しさを思って、もう採取はしなくなりました。
ちなみに、カタクリの種には“エライオソーム”という飴玉のような物質をたくさんついているのだそうで、それを好んで蟻が自分の巣に運んではペロペロとなめ、なめ尽くしてはゴミ捨て場にそれを運び(蟻君はきれい好きなんだ!)、そうしてそこから芽を出すのだそうです。
こうして、子孫を殖やしていくんだね。何とも賢いカタクリです。すごい知恵です。このことは、たくさんの種類のあるスミレも同じです。

んでね、我が家の自然の庭の名花のひとつ、イワウチワ(岩団扇)が今年も咲いたのです。何とも清楚な美しさ!
この話題はいずれ、またの機会に。

筆者が勤め人であった頃、この4月下旬から5月半ばまでの、美しい野鳥の声の響き渡る、次々と咲きはじめる花々の、山菜を摘んでは刻々と変わる春を全身で感じることができたならば、人生はどんなにか豊かになるだろうと思っていたものでした。
その通りでした。