森の小径森の生活

イワウチワのこと 

薫風の季節がやってきました。待ってました。
あたりは木の芽が出はじめ、湿地には一足早いヤナギの若葉がうっとりするほどのあざやかな黄緑を放っており、それはまるで光線のようです。
ヒュッテ(兼工房)の前の、我が家のシンボルツリーのひとつブナ(橅、椈、山毛欅)も芽吹きの頃を迎えています。
かの宮澤賢治は日光に透けるブナの若葉に感動して、「ホッホー」と叫んでは飛び上がって手を打ったとか打たなかったとか、そんなことさえ伝わっていますが、やはりその美しさは息をのむほどです。

あたりには次から次へと花々が咲き競うようになってきて、こんなことが一気に襲いかかってくるものだから、それをいちいち受け止めるには何倍も何十倍もの感性と感受力が要るのだけれど、それはないしできないから狂おしくなってくるのです。これがルーザの森の春です。

で、我が家の自然の庭に、今年も約束したようにイワウチワ(岩団扇)が咲き出しました。それは4月23日過ぎのことで例年とほぼ同じ、4月末日の今がちょうど満開を迎えています。
この薄桃色から白に至るまでのかすかなグラデーション、琴線にふれるこの色(山桜の花を“涙の色”と呼んだ俳人がいたと友人が教えてくれたっけ。このイワウチワの色もそんな気がしてくる)、そして照り返してあざやかな緑の大きな葉……、これこそ雪国の名花のひとつです。

実はこのイワウチワはここに自生していたものではありません。
もうかれこれ15年も前になるだろうか、飯豊山の山懐、米沢市を含む置賜(おきたま)地方の西方にして小国町の東隣り、飯豊町の小屋地区をめざして山菜採りに向かったその途中のことでした。
小屋地区は家から約50キロもの遠方、何もそこまでしてと言うことなかれ、かつてそこにまるで草のように畑のように生えるイワダラ(=ヤマブキショウマ、山吹升麻)が出ていたことを確認していたのです。イワダラはルーザのあたりとしたら希少な山菜で、そのおひたしの歯ごたえのある食感は何とも言えず。それをめざしたのです。
下は、食べ頃のイワダラ。それから花期を迎えたもの。

その途中、峠に至るその手前あたりの広葉樹(ブナ林だったろうか)の下に一面がみどりにおおわれた場所に白いものがチラチラと光るものがありました。近づいてみると、それはなんとあたりを埋め尽くして壮観な美しいお花畑だったのです。
もうそれは、山菜どころの話ではなくなっていました。
これがイワウチワとの出会いでした。
そこは国立公園の指定域からは遠く外れた場所ゆえ3株4株ほどをいただいて、我が家の南、少々の段差の台地の北側にそれを植えたのです。
毎年毎年楽しみにしながら、余計な芝を刈ったり笹を伐ったりして手入れして、あっ花をつけた、花は3つになった、あっ今年は花が10を超えた……、そうして今はこんな風に増えたのです。うれしいです。

イワウチワはイワウメ科イワウチワ属の多年草。花言葉は「春の使者」だそうな。
飯豊の地元では地面に生える桜(に似た花)ということでツチザクラとも呼ばれているとのこと。
都道府県レベルではレッドリスト入りしているところもあるようで、隣りの宮城県では危急種(絶滅危惧Ⅱ類)に指定されているとのこと、やはり希少種には違いないようです。

この先、筆者のような住人がこの世から消えても咲き続けることだろうイワウチワ。
筆者が敬愛した詩人のひとり、茨木のり子(1926-2006)に「さくら」という詩があります。

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
据えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を
ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

この「さくら」を、筆者はイワウチワに置き換えてもよさそうだとも思うのです。
限りある時間の中で、あと何回のイワウチワを見ることができる?
その限りがあればこその、時間の輝きなのだ。

 

イワウチワの群落の全体。
下半分は自生しているイワカガミ(岩鑑。正式にはオオイワカガミらしい)。この花もあと一週間で咲き出します !

朝の光を浴びたイワウチワ。

イワウチワはどこまでも清楚だ。

花は、糸を引いたようにしてそのままぽとりと落ちる。

さあ、山菜の季節です。このエネルギーが満ちあふれてくる感覚って、何なんだろう。

さてさて、工房へ、工房へ。