工房の仕事が一段落して、気になって鑑山に行ってきました。
イワナシ(岩梨)はその後どうなったろう、イワカガミ(正式にはオオイワカガミ=大岩鏡、大岩鑑)はどうか、マンサク(萬作)は咲いたか、と。
今年になってはじめて行った3月9日には、山登りの取りつきまでは雪に覆われていたけれども(一部は雪解け水で小川のよう)、11日ぶりの今回は、鑑山への入り口だけが雪であるばかり。
前回にはわずかながらイワナシの紅い花芽を見つけていて、少し間をおけば咲く花もあろうかという期待は、空振りでした。確かに花芽は増えているにせよ花をつけたものは一株も見当たりませんでした。花までにはもう少し、時間がかかりそうです。
イワカガミはあれからどうしたろうと思っていると、文字通り鏡(鑑)のごとく臙脂の葉が照り映えています。そして臙脂の葉に交じって緑に変わろうとするグラデーションの葉も何枚か。
そうするとこの変化は、雪が解けて日を浴びることができるようになると葉緑素が前面に出て光合成をはじめる、冬季においてはそれまで合成した成分(でんぷん、ブドウ糖)を保管するための変身ととらえればよいのかも知れない。5月になるとこのイワカガミは、全山を埋め尽くすほどの数の、美しいピンクの花をつけます。それはそれは壮観です。
さて、マンサクは? ありました、ありました。
高度を少しずつ上げると、道という道は徐々にマンサクの道と言うにふさわしく、両側から迫ってくるほどに咲いていました。この木の名が、冬を越えて早春に、“まず、咲く”から来ているという説があるのもうなずける話です。
日本の固有種のマンサクはその亜種として6種類があるそうですが、ここらのものは北海道南部から日本海側に分布する多雪型のマルバマンサク(丸葉萬作)と呼ばれるものです。
よくよく見ると黄色な花弁(花びら)は15ミリほどの細長い紐で、しかもちぢれています。それは阿波踊りの男踊りのようでもあり、にぎやかな音でも発しているかのよう。
同じマルバマンサクでも、花弁の付け根の萼片(がくへん)が黄色なものもあれば、赤いものも。花弁の長いもの短いもの、割と直線的なもの縮みあがっているもの。ほとんどの木は葉をつけていないのに、冬中枯れた葉を落とさずにいるものもあり。種でもちがうんじゃないかと疑うほどの個性です。
マンサクは、まったくまったく春の知らせ、早春のモニュメント。
鑑山のいつもの休憩の岩場(いただき)は標高470メートル。ルーザの森一帯がだいたい350メートルですので、わずかな約400メートルの距離にして120メートルも高度を上げるのですから、鑑山はまあ急坂と言えるんですかね。
下の写真は、セルフ。それから、現在のルーザ。赤い屋根が我が家。
いつものいただきに着いてあたりを見渡す時の爽快感。
真西には麗しの飯森山がそびえています。南西方向には米沢のシンボル的な山の兜山(かぶとやま)も見えます。
兜山は鑑山からの角度だと兜には見えづらいですが、市中からの眺めはまさに大将の兜のよう。その特徴的な姿は一目で分かります。
米沢の町の基礎を築いたとされる直江兼続(1560-1620)が城下の整備を進めるため、この山頂から城下を眺め、屋敷や道路、堰の配置などの町割りを決めたと伝わってもいます。
この山は米沢の最南の綱木集落(限界集落。かつては50軒を超えていたが現在は3世帯4人の住まいという)にあり、標高1199.3メートルです。小生はここで山菜の女王とも呼ばれる(ことに秋田県で珍重される)アイコ(ミヤマイラクサ=深山刺草。このおひたしは絶品です)を採りに入ることもあるし、高い山に登るときなどのトレーニングとしても利用します。登り一辺倒で、かなりきついです。
なお、この集落から峠(檜原峠)越えをすると裏磐梯の檜原湖に通じています。
山を下りて、笊籬溪の現在。
溪に雪が消えるのは時間の問題ですね。 清冽な雪解け水。この川にはヤマメ(山女魚)やイワナ(岩魚)が棲息しています。
溪にはマンサクも、それから越冬のノリウツギ(糊空木)も見えます。
家に戻れば、除雪車の雪掃き跡から出てきたスイセン(水仙)の芽。ここらはもう水仙月です!