鉤針の指伝ふ糸やはらかし冬の星座を掛けて編みたり
詩歌の友のGさんが自作の歌を届けてくれたのは年の瀬でした。
毛糸だろうかレース糸だろうか、何を編むものなのか、鉤針を動かす手に「冬の星座」が流れている……、部屋には満ち足りた時間が横たわって、それは作者の心落ち着く安寧の風景。歌がスーッと息を吸うがごとくに入ってきました。ここに「冬の星座」※が座るのが心憎く。
そう、冬の星座。
ここ数日、寝る前に夜空を見上げればオリオンが南中(真南に位置)しています。おおぐま(大熊座)は天に駆け上ろうとするかの如くに動的で、北斗七星の柄杓の先には北極星(ポラリス)です。今、星座が美しい。同じこの時に、同じ星座を見ているのは、誰?
日が経って、1か月後の3月はじめに同じ位置の星座を目にするのは時刻で言えば約2時間前ということ、同じ時刻ならおおぐまの背中はどんどんと北極星に被さろうかという図になっていくということ。これは、星を見る楽しみと同時に春を待つ楽しみでもあり。
太陽は少しずつ日足を伸ばし、冬至の頃と比べると夜の明けるのも日が沈むのもはっきりと違いが分かるところまできました。そして2月4日は二十四節気の第一、立春。
この「立」は数字で表せば「1」ではなく「0」ですね。そう、インドで発見・発明されたという「ゼロ」です。「1」がやってくるための基点、これが「0」であり「立」です。とは言えこちらでは春などまだまだ、ずーっとずっと先の話です。
けれども今年の厳冬期は何か拍子抜けの感のある気候・天候です。こちらはとにかく何があろうと雪に立ち向かう覚悟のこの時期にして、ここ1週間は除雪車は来ないし(ということは雪もたいして降らず)、いつぞやの夜などは雨なのです。雪の嵩はどんどん減らし、現在は100センチほど。(自然はバランスを取るのが常だけれど、この反動は怖い!)。
日中に晴れ間も見えれば、それに浮かれてカケス(懸巣)は美しい翼を広げてギャーギャーと飛び回っているし(神様は何でカケスの声を、喘ぎとしか思えないような汚いものにしてしまったんだろう)。
で、春が早く来るように、ポカポカの春を呼び寄せたくて、お雛さまを今年もしつらえました。
我が家のお雛さまはちょっとした自慢の種です。出して飾るのに4分!(笑い)、仕舞うに3分!(笑い)。こんなにコンパクトにしてインパクト!(笑い)。
しつらえはすべて相棒(今まで「妻」としてきたけれど、妻も夫も、母も父も、我が家はそういう意味合いや役割は特に意識しないので今後は片割れというほどの意味の「相棒」とします)のヨーコさんがします。
これは我が家に女の子が生まれた時に、彼女が最初に勤めた職場の上司(看護師長)が贈ってくれたものだそうで、メインの内裏雛(男雛と女雛)は張り子です。福島県は郡山市の郊外、高柴デコ屋敷で作られたものです。
デコ屋敷は江戸時代から300年以上続く工人の家。筆者も学生時代に一度、家族で一度、訪ねたことがあります。
木型から作られるこの形といい、色彩といい、“本人”はとても真面目なんだろうけれど(意に反して)どこかおとぼけ感のある表情がいいです(笑い)。デパートや有名人形店で売られているようなキリっとしたいかにも賢そうで理知的な顔ではないわけです。
それから内裏雛を引き立てる三人官女と五人囃子、これは不問、これは適当。ヨーコさん曰く「みんな遊んでいるようで」(笑い)。おしゃべりよろしくぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、男雛の前のオヤジ?なんて、何がうれしいのかもう飲みすぎてしまって酩酊状態、幸せそうに真っ赤になっています(笑い)。これらはみんな会津の民芸、“起き上がり小法師”です。
いつの間に、ロシアからのお客様(マトリョーシカ)もおいでになっているようで(笑い)。
毛氈は近くの施設で知的障害のある方が織った“さをり織”です。屏風はヨーコさんが、お菓子の箱のボール紙に金紙を貼って折ってこしらえたもの。
こうしてしつらえてみると、この彩りと華やぎは春を引き寄せますね、確かに。
春よ来い、早く来い、だ。
ここでちょっとブレイク。
雛祭りを代表する歌は、今も昔もサトウハチローの歌詞(河村光陽曲)による「うれしいひなまつり」でしょう。ある年代以上はそらで歌えるのではないでしょうか。その歌詞が事を正確に表していないと筆者が知ったのはそう遠くない2012年のこと、朝日新聞土曜版beの「うたの旅人」からでした。
「おだいりさまと おひなさま/ふたりならんで すましがお」……、端的に言って、男雛と女雛のふたりで内裏なのだそうで、こんなふうに言ったら4人を指すことになるという(「あかいおかおの うだいじん」は左大臣の誤り)。
後に指摘されてサトウハチローは苦悶し、「できるなら歌に関する権利を買い取ってこの歌を捨ててしまいたい」と言ったとか。何でハチローは悔恨の意味を込め、訂正して改作しなかったのだろう。意に添わず間違ったことが広く知られてしまうというのは、アーティストとすれば屈辱ですよね。
下は、これまでの代り映えしないながらも飾ってきた我が家のお雛さま。それぞれ2011年、13年から18年まで、そして今年のもの。近年の俳句※を添えて。
雛祭薄くなりたる蒙古斑 中里奈央絵本もち膝に来る子よ雛祭 朝妻 力茶を点つる雛人形に見つめられ 大石よし子遠き日は遠き日のまま雛祭 増田甚平 この指の痩せて八十路のひなまつり 田澤初枝 美しき色の寄り合う雛祭 高倉和子 畳目のあをささざ波雛祭り 関根洋子そこだけは春のにほひや張子雛 (拙句)本日は8日、外はひさしぶりの吹雪のようで。
※1947年「中学音楽」に掲載された「冬の星座」は、もともとはアメリカのウィリアム=ヘイス(Wiliam S Haya 1837-1907)の「愛しのモーリー(Mollie Darling)」1871のメロディーを借りての作だが、これによって世界に誇れる名曲になった。堀内敬三の言葉の力を思う。ドヴォルザーク(Antonín Leopold Dvořák 1841-1904)の交響曲9番ホ短調作品95「新世界より」の第二楽章ラルゴの主題のメロディーを借りた「遠き山に日は落ちて」も堀内の作。
※俳句は、拙句を除いていずれもインターネットから。