森の生活

2月20日マデ(1)

今回は特に、雪のあまり降らない地方の人たちに向けて、雪国の雪について。

雪は眺めている分にはいいものだし、筆者にとっても特に初雪などは飽かず眺めてはその美しさにうっとりしたりワクワクしたりします。それは雪が幼いころからの遊びとくっついている感覚がどこかにあるのと、今にしても(雪が締まってくる2月末から3月半ばまで)スノーシューで野山を縦横無尽に歩きまわる楽しさを知っているからでしょう。それから、一面褐色や飴色というディープな色の風景にライトな白が加わることの美しさ……。

とはいえ12月の半ばともなるとルーザでは本格的に降り出し、こうなると面持ちは違ってきます。時に、風もなく音もなくただしんしんと降り続く粉雪となると本降り、そして確実に根雪となります。根雪となればもはや3月半ばまで黒い土を見ることは叶いません。

朝起きれば10センチ、20センチの積雪は日常、40センチ、50センチというのもよくあること、ときには60センチ、まれに70センチということもあります。降雪があれば当然行政の除雪体制が機能しますから、ここらでは午前3時から4時頃にかけて市の委託業者の除雪車がやってきます。除雪車がやってくるということは、“あなたも除雪をしなさいね”というサインであり、それは暗黙に、“5時には起きて働きなさい”という命令が出るようなものです。チコちゃんに叱られるまでもなく(笑い)、ボーっとしてはいられない日々のはじまりです。
下は、降雪止まずに夕方にも出動した除雪車。

除雪車が来ればこちらは家庭用除雪機(フロントについた大きな口が雪を取り込んで飛ばすもの)を起動させ、とりあえずは玄関口から公道まで(我が家は約50メートル)の歩ける道を確保し(新聞配達や郵便屋さんも来ますしね。不意のお客があるやも知れず)、除雪車が残していった雪の壁を崩して飛ばします(ただ筆者の家の前の道は林道、未舗装の砂利道ゆえ単純に飛ばすことはせず、シャベルで雪に砂利が混じっていないか確かめ、混じっていればそれはスノーダンプで処理します)。
時間に余裕があれば歩くための道だけでなしに、クルマが置けるスペース、クルマが周回できるスペース、薪置き場までの道、さらには雪下ろしを念頭に小屋までのアクセスもその範囲にします。そうすると1時間なんてあっという間。それから朝食です。

年が明けると決まって吹雪の到来です。あたりは一変、荒れ狂う横殴りの雪で視界は限りなくゼロに近くなり、上下前後左右四方八方が真っ白です。それはとてもすさまじいものです。雪は間断なく降り続き、それが明けた頃には雪の嵩がぐっと増しています。こうなると感傷の入り込む隙間はありません。

吹雪の時は不要不急の場合を除いて、外に出るのを控えるのが賢明です。そんな時は工房にこもって製作に打ち込むのが一番。
静かな冬の森に孤独に一人、工房の薪ストーブには火を入れて、黙々と木と向かい合う……、ラジオは今日も軽口をたたいて“東京基準”を流し続けている……。

下は室内(ヒュッテと工房)から見た吹雪。

雪が現在どの程度積もっているかは筆者にとってとても興味あることです。目安があるといろんなことの見通しがきくからです。それで家の近くに、10尺ほどの竹に白と黄色と黒のビニールテープを20センチ間隔で巻いて作った積雪計を設置しています。
積雪を正確に測るのにはその設置場所が大切です。林の直下は雪が木の枝にさえぎられるので不正確、雪が風にさらわれたり、逆に吹き溜まってしまう場所も不適、ましてや除雪機で雪を飛ばすところももちろん測るには適していません。よって、樹木から離れて開けているところ、風の影響を受けにくいところ、除雪機の通らないところとなります。
で、下のように、現在(2019年1月27日)の積雪は125センチ、例年の今頃より結構少なめです。中央の赤の印がついた黒と黄色の境が200センチライン、下から最初に見える黒帯の真ん中の赤の印が150センチライン、ひとつの色の帯幅が20センチですので積雪はそこから知るわけです(写真は130センチのように見えるけれども、積雪位置はその棒の周りだけ少々山状に尖っているのでそれを差し引いている)。

ちなみにですが、ここの平年の最大積雪深は180センチほど、最近の記録では265センチというものがあったのですが、それは2013年の2月26日のことです。
それから05年、06年はとにかくすさまじい雪の記憶があります。
なぜ記憶しているのかと言えば、まず05年、この前年の10月に、この地区の共同墓地に本間家の墓をこしらえてようやく二人(両親)の納骨を終えたのでしたが、明けた春に五輪塔をメインにした墓の半身(空輪、風輪、火輪)が雪のために崩れ落ちていたのです(これを教訓に、その翌年より墓の雪囲いもするようになった)。さらに06年には市中のデパート最上階のボウリング場の天井が雪のために崩落したのは強烈な印象です。鉄筋コンクリート造りの天井が落ちるなんて!
もちろんその2シーズンの我が家の周りの風景と言ったらとんでもなかったです。あちこちに山が形成されて、それはさながら“ルーザ山脈”(笑い)。たぶん、自然積雪深は最大で300センチ近くはあったと思います。

(報道などでよく使われる)アメダスデータというものがあります。米沢は豪雪の地域であるのに、ここの積雪が現在125センチに対して58センチという数字を出しています。こちらの約半分です。その訳は、米沢のアメダスは市中でも比較的雪の少ないアルカディア地区(これは地名。この地名についてはいつか別の機会に触れましょう)に設置しているためです。筆者の住むルーザは確かに山沿いだから積雪が多いのは当然にしても、米沢という豪雪地帯を表す数値としてはこれはとても奇妙です。テスト結果になぞらえれば、平均点を示すのではなく最低点を公表するようなものなのですから。

筆者たちが目にした異様な雪の光景は(乳頭温泉郷などの山奥の温泉地は別にして)、ひとつは新潟の十日町(普通じゃなかった)、それに山形県の肘折(ガビーンでした(笑い))。雪降りの格?がまったく違いました。よくこんなんで暮らしていけるなあと思ったけど、冷静に考えれば、土地には土地の対処法、その土地に適応する知恵や技術が備わっているということですね。と、筆者たちも同じです。

雪に対処するための道具の備えや工夫は必須です。
我が家の玄関口は、吹雪の時に限って水を流して消雪しています。外用に水道を1本立ち上げているので、その水道から凍結防止用の通水・水抜き栓を利用してこの時ばかりは水を流し続けるのです(これを思いつき、塩ビ管と水道ホースをつなげて設置するまでずいぶんと試行錯誤を重ねた)。もしこれをしなければ玄関は開閉式ドアゆえ、ドアのヒンジ部直下に雪を抱えてしまってドアが閉まらなくなるのです。
家庭水道ですので当然汲み上げのためのポンプの稼働に電気は必要で200ワットを要しますが、(コンセントの向こうの原発のおぞましい風景を忘れぬために、できるだけ電気に頼らない生活を心がけている我が家でも)これは背に腹は代えられない類いのことです。

水は地下6メートル下を流れる(上流に汚染源のない)伏流水で、どんなに冷える時でも(昨年の最低気温は氷点下16度)水温は8度を下回ることはありません。ちなみに、夏場は暑い時でも水温13度です。
スコップも数種類を使い分けます。軽い雪を掬うのに適する広い面積を持つ石炭型アルミスコップを主として、角平型の鉄製スコップは氷交じりの固い雪を掬うため、さらに固い雪を砕くことに優れた鉄製の剣先スコップも備えています。長靴にしても雪の深さや作業に応じて数種類、作業着はスキーウエアの着古しです。手袋も帽子もそれ用と、完全防備・完全武装です。汗をかいたら、下着は取り替えますしね。除雪車が来て通り過ぎた道はどうなるかと言えば、当然ながら夏季の道とは大違いで道幅が極端に狭くなります。特に、(町場の方からして)福祉施設群が途切れてから我が家までの約700メートルの道はまず、クルマのすれ違いができなくなります。もしクルマが見通しのきかない場所で不意に鉢合わせになった場合、どちらかが譲って退避場所まで下がる必要がありますが(我を張る人種というのがいるけど、雪国暮らしは不向きだね)、それも途中に3箇所ほどです。クルマが来ませんようにと祈りながら願いながらの走行です(笑い)。

また、道の途中には杉の林を通る抜けるところがあり、去年ここは木の雪折れのために一時通行止めになったところです。こうなると5時間、6時間と不通になります。樹木が電線にかかった場合は電力会社がそうでない場合は市が業者に委託して、深夜であろうが早朝であろうが汗を流して復旧に当たってくれます。本当に頭が下がります。

ここで、町場の様子をはさみますね。
クルマのすれ違いで言えば、大雪が降った日の町場のクルマの走行ほど怖いものはありません。除雪態勢が大雪に追いつかず、除雪がなされないところにクルマがいつも通り走行するとどうなるか(特に朝の時間帯ですね)、降った雪が徐々に踏み固められ、道路は中央線をはさんで左右の歩道側にかけてすり鉢状になるのです。いくら端を通ろうにもクルマは滑りながら自然に中央線に寄っていきます。そうすると勢い減速、もうギリギリギリギリ、数センチまで近づきつつすれ違うのです。これは怖いです。
そんなことが予測されるときは、あらゆる枝道を想起して迂回しようとするのですが土地の人間の考えることは同じ、やはりその枝道も渋滞です。筆者が勤め人であった頃は家から職場までは20分ぐらいのところでしたが、3時間ぐらいかかったこともありました。まあいろいろ試した結果の教訓としては、とにかくより大きな幹線道路に出る(除雪は幹線道路を優先して行われるので)、これが原則ですね。

こちらの道に話を戻します。
先ほどの杉の木立に近づくあたり、雪の道からはわずか、春、夏、秋と幾度も登る鑑山が見えます。そしていつもたどり着いて休む岩場が雪で覆われてはっきりします。そして筆者は雪の鑑山を目にする度、マンサク(万作)咲き乱れる4月の山道を思ったりします。その下の写真は、春の鑑山からのルーザ風景。

早く、2月20日が来ないかな。
2月20日が来れば、春の声も聴こえようも。

(つづく)