昨年秋の、筆者の職人デビューの位置づけであったドアリラ展に、大学時代からの友人であるショーゴ君が気仙沼より駆けつけてくれました。彼は元英語教師ながら、日本で最も権威ある四大公募展のひとつ毎日書道展等で受賞を重ねる書家でもあります。ふとその時、彼の書を我が家にもと思ったのです。一筆揮毫願い奉る!
イギリスの思想家カーライル( Thomas Carlyle 1795-1881)が言っています。「何でもよいから深いところへ入れ、深いところにはことごとく音楽がある」※と。カーライルの指すところ、渾身の力を込めて打ち込んだものにはことごとく美が宿ると筆者も思っているのです。その美のひとつを我が家にも。
筆者のリクエストは、「そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源」というもの。これについて少し触れますね。
これは、宮澤賢治の唯一出版された詩集『心象スケッチ 春と修羅』(第一集)に収められている詩の一節です。もう歴史的名著と言ってよいこの詩集のひとつの柱は、24歳で夭折した妹のトシへの思いの数々でしょう。具体的にそれは、個人的には特に、詩章「オホーツク挽歌」の一篇「青森挽歌」だと思っています。
「こんなやみよののはらのなかをゆくときは/客車のまどはみんな水族館の窓になる」という印象的なセンテンスではじまるこの詩は、妹の死を慟哭しながら全身で哀しんだ後、約8ヶ月を経ての賢治の新たな魂の旅路(それは再生の旅と言ってよいだろう)の出発としてもよく。その長大な詩の中ほどに、次のような箇所が現れます。
わたくしが耳もとで
遠いところから聲をとってきて
そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源
萬象同歸のそのいみじい生物の名を
ちからいっぱいちからいっぱい叫んだとき
あいつは二へんうなづくやうに息をした
この激しい情念は樺太(現ロシア領サハリン)の栄浜(現スタルドブソコエ)の海辺での晴れやかな所感(「オホーツク挽歌」)に昇華していくのですが、その軌跡はまさに詩人の魂というべきもの。
戻って、賢治が妹のトシの耳もとで「ちからいっぱい叫んだ」ところの「そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源」……、(叫んだというのは本当のことだろうか、それにしても)このセンテンスの何と卓抜な語彙感覚。空と愛、リンゴそして風、これらが人のすべての鋭気またはエネルギーの根源と賢治は言うのです。空と愛とリンゴと風とを並列に置くことのインパクト、それらひとつひとつが鋭気またはエネルギーの楽しい根源と断定するインパクト。
特にリンゴに鋭気の根源を見るということは少々の想像力では理解が難しいのだけれど、「青森挽歌」の冒頭の“水族館の窓”に続き、「(……きしゃは銀河系の玲瓏レンズ/巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる」とあるし、「氷と後光(習作)」という物語(これも素敵な物語)では、「こどもの頬は苹果(りんご)のやうにかがやき、苹果のにほひは室いっぱいでした」とあります。代表作の「銀河鉄道の夜」にあっては18回の登場という頻度です。このことからも賢治にとってリンゴは、並々ならぬ特別な思い入れがあったのは確かなこと。
以下は筆者の想像の域を出ませんが……、リンゴを割った時に現れる種を胚胎する部分(食する部分を“花托”と言い、その内側に“果心線”で包まれる“花托のずい”が現れ、さらに“心皮”の中に種子が守られているという構造)、この形状に宇宙の構造を重ね合わせていた……、これが“銀河系の玲瓏レンズ”ではないのか……。賢治にとってリンゴは宇宙でもあったというのはどうか、もちろん想像力を刺激するいい匂いであることとも併せて。
それにしても、こんなキラキラした言葉に出会うと筆者はもうクラクラです。それを、心の中だけでなしに、住まいの空間にも居てほしくて。
この年末から正月にかけて、贈られた書に向かって筆者は額作りをしました。材料はドアリラに使ったハルニレ(春楡)材がまだ少々残っており、その材料から木取りをして溝を切り、加工し整えた棒を45度で切って接着し、“かんざし留め継ぎ”を施し、ダニッシュオイルでオイルフィニッシュをして作ったのです。この特別な時間の充足たるや。
さあ、どうか。額は書に寄り添ったか、額が書を生かしたか。
下は、額の裏に貼った覚え書き。
※内村鑑三著『後世への最大遺物・デンマルク国の話』岩波書店1946より