8日、川原毛地獄から取って返してすぐに向かった先は、漆器で有名な川連(かわつら)。そこに、“平四郎こけし”の看板のかかるこけし工人の家(兼ギャラリー)があります。親子である陽子と木の実の両工人がお住まいです。
久太郎を探す過程でもう一人、筆者の興味を引いたのは、やはり木地山系の阿部平四郎(1929-2013)。幻の米吉型や泰一郎型それに何といっても石蔵型の復元を研究し(この石蔵の本物を目にしたことがあったけど、それはそれは感動ものです)、ほぼ自分の型として再現できるようになった努力と鍛錬の人という評価が定着している名工です。現に、展示ギャラリーに入ると、彼が残した入魂のこけしが妖気ともいうべき異様な空気を放っています。
実は、筆者がドアリラ職人として出発するときに出会ったのが平四郎の次の言葉でした。
「まっすぐに生きていれば、ちゃんとしたものができるから。大丈夫」。
これは娘の木の実が父を継いでこけし工人をめざしたときに、娘を励ましてよく掛けていた言葉という(出典:『むらびと』秋田県ふるさとむら2015)。この言葉を筆者のアトリエ(ドアリラの最終組み立ての場=ギャラリー)に掲げては、架空の師匠からのシグナルとして受け取っているのです。筆者は、師というものを持ちません。ゆえに、この言葉通り「まっすぐに生きていれば」という姿勢こそが、製作に行き詰まった時や思い悩んだ時に道を指し示すと考えているのです。平四郎亡き今、その一番弟子たる陽子工人と木の実工人に会えるのはうれしいことであり。
「死んでから言うのも何だけどな、平四郎はやさしい人であった。自分はずいぶんと病気をし手術をして家を空けたけれども、不平というものを漏らさなかった。いつもただ黙っていた。寛容な大きな人だった」と妻の陽子工人は語るのです。果たして、衒いもなく滑らかに、亡き夫を語れる未亡人も素晴らしく幸せな人です。
また、この間、娘の木の実工人が東京で個展を開いている間、施設のショートステイを利用していたといい、「10日間が限界だったな。入所者はいっぱいいるが、会話できる人がいないのさ。苦痛だった」とは笑いながらの弁。玄関ドア口で日向ぼっこをしつつ、どこまでも言葉すべらか頭脳明晰陽子工人。
「あなたは教員にならなくてよかったと思うよ」と話を向ける筆者に、木の実工人は返すのです。「母にもよく言われるんだ。自分でもそう思うし」と。出身が教育大ならほぼ教員をめざすもの、そうではなくこけし工人になったことに筆者は、「教えることと創ることの大いなる相違」を前提として声を向け、彼女は「生徒を育てることと自分の世界に入り込むことの大いなる相違」を含んで返したものか。よく分かるんだな、学校現場の楽しさとつまらなさとが。偉大さと愚かさと、可能性と卑小さとが。筆者は学校に職を得ていた身ゆえに。
いずれにせよ、陽子工人のいつまでも元気で過ごされるよう、木の実工人がますます羽ばたかれるよう。
湯沢市中で簡単な昼食をとって(本場米沢から来て、やはりラーメンはいけなかった。麺にしても、スープにしても)向かったのは、もう一つの憧れの温泉場、奥小安の大湯・阿部旅館。それは聞きしに勝る湯宿でした。
筆者はこれまで秘湯を守る会加盟の宿を中心として結構な数の素朴な湯を巡ってきたけれども、この旅館ほど趣きがあって風情があり、美しい空間をこさえている旅館をそうは知りません。家屋の落ち着いたたたずまい、川原わきの湯場までのアプローチも美しい。湯は無色透明で清冽、露天風呂もよし。周りは静寂にして紅葉が燃えて。それでいて決してお高く留まらない姿勢がいい。
結局、何でもそうなんだけれど、暮らしの空間ってのはデザインで決まるんだよね。より高い層の(あるいは深い根っこの)デザインがしっかりしているかどうか、練られているかどうか。デザインがしっかりして練られていれば、ひとつひとつが美しく輝くんだよね。
そんなことを思いながら、湯につかってまったりのひと時。素敵な阿部旅館、また来ます!
帰途の途中のブナ(山毛欅)の強さ、美しさ。
宿への帰途の途中、もうひとつ興味を引いたのが泥湯近くの上の岱地熱発電所。ここら一帯の真下は火山なわけで、エネルギーをそこからいただくというのは正解なのです。ここだけで湯沢の全世帯(約17,000世帯)の電力がすべて賄われるという規模だそうです。ゴウゴウと蒸気噴き上げる姿の逞しさ、美しさ。こういう事業ならもろ手を挙げて応援するのです。
地熱発電推進、大いに結構、ガンバレ、東北電力! 原発事業からは早々に手を引きなさい!
筆者の寝具はいたってシンプル。シュラフを持参するので、山小屋泊まりとあまり変わらない。宿から借りたのは、毛布2枚と枕だけ。
のんびりゆったり湯につかって、くりかえし湯につかって、夜は更けて。翌9日は、木の実工人のおすすめにしたがって“こまち湯ったりロード”を走り、秋の宮温泉郷に出ました。その峠までの冬枯れの樹木の美しさはやはり格別でした。雪解けの根回り輪の頃も、新緑も少し前の紅葉真っ盛りの頃もそれはそれは美しいものでしょう。
峠道の美しいカラマツ(落葉松)。カラマツの落葉の美しい造形、黄と黒の妙味。
下って着いてのは秋の宮温泉郷。それは秋田最古の鄙びた温泉場という謳い文句だけれど、温泉は中途半端な田舎に点在して、温泉情緒と風情に欠けることは確か。現在、6軒が廃業もしくは休業中というのも分かる気がします。わざわざ湯に向かうというのは、情緒と風情、つまりはロケーションとたたずまいが肝要なのに、秋の宮は旧態然として、そこのところを分かっていない気がしたものです。
秋の宮のあとはぐるっと湯沢に回り、国道398号で小安、そこからは県道51号に入り桁倉沼を通って泥湯に戻ります。ちょうど沼の道路端の木(ミズナラ=水楢だろうか)にムキタケ(剥茸)が出ているのを見つけました。中ぐらいのレジ袋にいっぱいのムキタケがものの3、4分です。女将にいい土産です。女将はそれをとても喜んでくれ、何と夕食の時間に合わせ、ムキタケ入りの鍋物を作ってくれたのでした。里芋と鶏肉が効いていて、新鮮なムキタケのおいしいこと。自炊として泊まっているのに、思わぬ豪勢な夕食となったのです。
翌10日は8時前には宿を出ました。泥湯・小椋旅館、そして素敵な女将、たいへんお世話になりました。また来ます、それまでさらばさらばです。
早い出立は、帰途の途中に山形県は大石田に陶工のブルーノ=ピーフルさんを訪ねるため。大石田は泥湯から約100キロ、約2時間半の走行のところ。モノをこさえる者にとってモノをこさえる人はただそれだけで魅力的、ましてやあきらかにヨーロッパのエスプリ漂う者には特に。念願かなっての、ピーフル邸の訪問です。
こちらの興味を引いたのは、まず彼が自ら作り上げた家屋が魅力的だったこと、画像だけではなしに実際にこの目で確かめたかった。それから、フランスを故郷とする彼がどんな思いで日本そして大石田に暮らし、今何を思っているのか。
窯場を見せていただいたあと、母屋に通され、広いテーブルに座りました。家屋はベタ基礎の土間の上に約3メートルの高さの石の壁が周囲に築かれ、それを基礎として土台が載り、そこから柱が立ち上がって2階部分が作られるという構造です。やはり、発想そのものがすでにクリエイト。
周囲が石の壁ということは、ガラス窓はあるにせよ大方の外光は遮断されて、端的に言えば、室内は暗いのです。その薄暗い中でピーフルさんは何でもないらしい。彼のようなブルーアイにとっては強い光はとても耐えられないらしい半面、弱い光には滅法大丈夫なのだということを本で読んだ記憶があります。ヨーロッパの人間て、夕暮れの微妙に移り変わる光をとても大切にするものです。そんな中で、会話は弾んでいきます。なんか、憧れのヘンリー=ディビッド=ソローの小屋にいるみたいだ(笑い)。
彼は常に陶芸で己を表現するために挑戦しているらしく、もう20年来探求しているのはセラミックとガラスの融合、ひとつ作品の中にそういう異質なもの同士が共存できないものか、どうか。そしてもうひとつは、やはり異質なものの組み合わせとしてセラミックに金属はなじまないのか、どうか。彼は、自分にしかできないオリジンを求めて余念がないのです。奥様のミホコさんはそんな彼を、とても頑固、と言います。言い出したらきかない、と。でも頑固でないクリエーターなどいないでしょう。
彼はまた、大石田に生息する国指定天然記念物、ギフチョウ(岐阜蝶)とヒメギフチョウ(姫岐阜蝶)の環境保全にも取り組んでいるのだと言います。蝶マニアには大石田に生息するこの2種はつとに有名で、高値で売買されることから乱獲が起きているといい、それを守りたい、これをもって大石田の名を広めたいのだという。筆者も知っているカンアオイ(寒葵)とウスバサイシン(薄葉細辛)、この食草が大事だと。
彼が日本人論として述べたのは、3.11という大惨事にあって、被害にあっているにもかかわらず、周りにごめんなさいと言わんばかりの低姿勢。自分が周りを生かし、周りがあってはじめて自分が生かしてもらっているという日本人に見られる奥ゆかしさが理解できないということ。被害は被害としてなぜもっと訴えないのか、加害者に要求しないのか、それが歯がゆいというニュアンスです。これは、自我から出発するヨーロッパと周りのものにも生命を認め個はその中の一つに過ぎないとする東洋(日本)の文化の、それこそおもしろい相克なんだろう。
そして事前に聞き及んでいたことではあったけれど、彼も彼女も3.11の原発事故にはとても憤慨し敏感だということ。彼は、作品にもその思いを込めているらし。と、あの2011年9月に東京は明治公園で行われた歴史的な脱原発集会にピーフル夫妻は参加し、そういう筆者もその時に居合わせていたのです。奇遇でした。
そうして彼女には大石田名物の千本だんごというとても美味な“ずんだん団子”を用意していただき(これはすごい団子です、団子の概念が変わりました。うまい!)、それから彼が好きだという蕎麦ワッフルを作ってくださったのでした。それは素朴な味ながら筆者ははじめて口にするもの、とても新鮮でおいしかったです。
そうして4時間があっという間に過ぎたのです。よい時間でした。おふたりに感謝です。
それにしてもピーフルって、絵になるよね。母屋の前で、蔦の紅葉が美しい窯場の前で。
よい気分転換、スイッチの切り替え十分、エネルギーは満タン……。
佳き時間かな、3泊4日の、旅の空、そして飛ぶ声。