あなたの
ひと日の幸をいのる しずかな朝
ひと日の業をつつむ やすらう夕べ …ドアリラ
あなたに寄りそう やさしい音色 …ドアリラ
A silent morning to pray for your happiness
A peaceful evening to soothe your life in a day
A beautiful tone of your door-lira lingers near you forever
※英対訳は山内松吾氏による/2018.10.19
ドアを通って
しあわせが ひとつ
しあわせが また ひとつ
やさしい音色…、ドアリラ
大切なひとの、特別な日のために
あなたの、安らかな時間のために 素敵な日々のために
※2019.12.13
©ルーザの森クラフト/doorlira works, lusa woods craft
ルーザのこと
仙台暮らしをしていた筆者が家族ともども終の棲家を求めてやってきた、それがここ山形県米沢市の郊外、万世町梓山笊籬(バンセイチョウ/ズサヤマ/ザル)地区です。1993年の晩秋のことです。森の生活にあこがれを抱いていました。薪ストーブのある暮らしをしたいと思っていました。そして、質素でつつましい生活を何より願っていました。よってというべきか、買い物とか雪のこととか通学のこととか土地としての利便性は大切なこととしても、まず先にほしかったのは風景の美しさでした。空気や水の美しさ、空や海や山や川の美しさ、森や林の美しさ……。美しい自然からの恩寵こそが心と身体を満たしていく、筆者は今でもそう思っています。(子どもたちは通学のためにずいぶんと歩いたので丈夫に育ち、それぞれに巣立っていきました)。
ここは東北の植生に典型的なブナ帯、コナラ(小楢)を主木とする落葉広葉樹におおわれた森です。豪雪の地ゆえ積雪は平年で180センチに達しますが、雪が解ける頃の光の美しさといったら息をのむほどです。そして山菜を探して歩く春の野山のふっくらしたあたたかさ心地よさ、新緑のさわやかさみずみずしさ、花を愛でながら歩く野の小径、紺色に沈む深い緑陰、紅葉のあでやかさ、秋深まれば山の恵みのキノコが腰籠を満たし……、やがて樹々はすべての葉を降らせて束の間の明るい空間を作り、そしてまた雪がやってきます。ここでは人も動物も草木も、すべてはこのサイクルの中にいます。このサイクルに収まっていることの、つつましい幸い。
筆者はこの場所を“ルーザ(lusa)”、工房名ともしているこの森を“ルーザの森”と名づけています。人にはバタ臭いと一笑に付されることのあるこのドイツ風の呼び名と表記、命名のヒントは住まいと工房の所在地である小字名にあります(ククッ。笑い)。それからこの語感・音感はドイツの革命家、ローザ=ルクセンブルク(Rosa Luxemburg 1871-1919)から来ています。彼女が残した言葉のひとつ「自由とは、思想を異にする者のための自由」は、今も変わらずスタイリッシュ。時代と人生を重ねてピュアに生きた女性に惹かれもした若い日の、その情緒的な痕跡です(笑い)。そしたら、最近発見してしまいました。ルーザという村がネパールに実際にあるんですね。
筆者がこの地に工房の建設を思い立ったのは2003年頃のこと。懸案だった、自ら基礎から手がけた車庫が完成し、次に思いをはせたのがモノ作りの拠点としての工房でした。それは大雑把に言って、構想と図面引きから完成までに10年、材料集めに約5年、建築にも5年という歳月を要しました。車庫もそれ以前の自作の薪小屋などもそうだったのですが、材料のほとんどは解体材・建築廃材で焼却の運命にあったもの、一旦は使命を終えたものたちです。梁や柱などの材木はもちろん、断熱材やガラス窓など使えるものはみんなみんな。すべては、“拾う”、“もらう”、なければ“作る”、もしくは“仕方なく買う”が基本です。けれどどうして材料集めに5年?建築に5年? それは筆者が一介の勤め人であったためです。歳月は、土曜、日曜などの細かな休暇をやりくりして作業をし続けた結果です。
古本屋で見つけたひと昔前の大工のための教本(『木造住宅 建築工事の進め方』市ケ谷出版社1981)にはよく学びました。家屋の構造や手順、世界に誇る日本の大工の粋である継ぎ手と仕口など数多くのことをここから吸収しました。それから現場の大工の仕事を観察するのは楽しかった。大工の仕事には無駄というものがありません。長い間に培われた経験が材料を手なずけ、材料と会話し、技術をもって適材適所に配っていきます。分からないことがあると知り合いの大工に出向いて聞いて疑問を解き、そうして少しずつ技術を覚えていきました。
作業の基本は一人でコツコツですが、肝心なところはプロや専門の技術を持った友人に助力を請いました。ベタ基礎や上棟、屋根葺きはプロに、電気の配線の確認(!)は電気工事士のYさんにと。肝心なところをおろそかにしない、自分を過信しないというのは、建築に限らずとても大切なことと思っています。
そしてつくづく思ったものです。石を拾ってきて踏み場用に敷いたり、モルタルを練ってレンガを積んだり、材木を加工して継ぎ手仕口を刻んだり……、筋交いを入れ家屋の強度が徐々に増してゆくときの胸の高鳴り、窓を入れたときに見える外の景色の新鮮な驚き、雨を避けることができる屋根のありがたさ、冷たい風を防いでくれる壁のうれしさ……、(人類の最大の発明は何といっても家屋です!)何で人はこんなに興奮するほどにおもしろいことをすべて業者に任せきりにしてしまうのだろう、と。嗚呼、もったいない。これは、森の中に自ら小屋を建てて居住まいしたヘンリー=デイヴィッド=ソロー(Henry David Thoreau 1817-62)も言っていたことだったなあ。唐突だけど、そう、筆者はソローに導かれるまま歩いているという思いは確かにあります。
そうして工房はできたのです。2013年の夏のことです。この工房は造作のための下小屋を兼ねますし、家で使われる家具を製作したり、時には修理工場になったりと機能は様々です。後述のドアハープ製作の木取り、挽き割りにはじまる、塗装と最終組み立て前までの主要な作業も、ここで行われます。小遣いを貯めて手に入れた自動カンナ、昇降盤やバンドソーなどの大型の機械も少しずつ備わってきました。いわばここは筆者の、城のようなもの。
工房には山小屋(ルーザヒュッテ=lusa hutte)が併設されています。これは趣味の山登りの折によく利用してきた山小屋(避難小屋)へのあこがれからで、山小屋での簡素で素朴な暮らしに日常でもひたっていたいという思いがあってのことです。簡素で素朴な暮らしは、日々の暮らしの中で何が大切で何が余計で不要なことかを教えてくれます。ということで、ヒュッテは筆者たちの、山に行くときの準備基地であり戻りつく場所、次の山を夢見る空間なのです。時にはちょっとした寄り合いの場所になったり、または筆者の机仕事の場、またある時はゲストハウスに早変わり。尚このヒュッテは、特別な日を除いて、シュラフ(または寝具)持参と自炊を条件として宿泊に利用することもできます。
先に触れたとおり筆者は勤め人でしたが、勤めを持っているということは、退出(退職)の時期が来れば少々粘ったとて先は知れているということです。ほんの数年が伸びるだけ。人生80年と言われはじめた現代、その先をどうするかは避けることのできない等しい課題です。日々の生活のための金銭的な手当てもそうだけど、何より日々を支えてゆくその精神的な、充足に足る営為の柱!。人はそれぞれですが、筆者にはその時間、遊んで暮らしたいとか悠々自適に過ごしたいという思いはかねてから薄く、むしろ、生涯にわたって現役でいたい、ほどよい緊張のともなう生活を送りたい、できればモノ作りをしたいという願いを持っていたものです。それで50代にさしかかった頃から、先のことを具体的にいろいろと、まじめに思案していました。
生涯にわたる仕事として、大工はどうなのか?、家具作りは?、竹細工はどうか等々。明かせば、ネマガリダケ(根曲がり竹)を材料とする竹細工の道に進むことは有力な候補でした(嗚呼、ネマガリダケ工芸の強靭な美しさ!)。本場信州戸隠や越後阿賀野あたりの工房に頼み込んで徒弟となって一定の修行を積み、ある程度の基礎的なスキルを身につけ、あとは手先の器用さと斬新なデザイン力に期待して研鑽を積めば、それなりのモノはできると踏んだのです。しかも竹細工の場合は作業のスペースをあまり必要とせず、さらには道具や用具を一通りそろえるのにそれほどの投資は必要ありません。けれどもその先はどうなのか。十年数十年とキャリアを積んだ先達に所詮は付け焼刃のペイペイが伍してゆけるのか(そんな訳ないだろう)、材料となる良質なネマガリダケの安定的な確保ができるのか、そもそも製品として売れるのか。そんなことに考えが及べば、せいぜいが実用品として親戚や周りの者に配って喜ばれるのが関の山ではないのか。そういう、趣味の範囲にとどまることは願わない、望まない。
他に大工も家具作りも、そのまねごとは可能でも、残され限られた時間ではどれも、残念ながら“道”にはならないと思いました。自分にしか生み出せない魅力的なもの、筆者がさきがけとなるような、そういうモノ作り……。クリエイトに関しては、思い上がりもよいところの、そういうコンセプトの延長上にある、道。
そうして思い出したのです。およそ20年前、ある雑誌(「ウッディライフ」山と溪谷社、だったと思う)に掲載されたドアハープなるもの、楽器の要素もある実用的な工芸品、そのフォルムと機能に魅かれ、そこらのあり合わせの材料でこしらえて楽しんでいたことを。その頃のことをふりかえって調べ直してみると、雑誌に紹介していた家具作家の方は当時は製品ラインナップのひとつとしていたものの今は製作していないこと、他に日本にそういったものを作っている職人はほとんどいないことも分かりました。ゆえにこそ、これだと思いました。その時、定年を待たずに職を退くことを決めました。
では世界にあるドアハープとはいかなるものなのか、興味深くネット上で見てみました。ヒットしたのは日本国内のものはごくわずかで、主にはアメリカやドイツ、それに北欧のものが多いようでした。一括りするのは乱暴に過ぎるかと思いますが、フォルムはどれもこれも不思議と似通っており、いくつかのパターンに分けられるほど発想が単純です。そしてフォルムからは何より、用と美の核心たる機能する美しさが伝わってこない。妙に装飾的で不自然なカーブが多く、デザインの肝であるバランス感覚やシンプルさにも欠けてもいます。しかし、およそデザインというのはその国の風土や流れる空気の集積(または溜り水の上澄み)のようなものですから、そこに住んでいない者が共感しないのは当然にしても、しっくりとこないのは如何ともし難く。こういうこともあって、独自のデザインを追求しようという意欲が湧いてきたものでした。
ドアハープの歴史はどうなんだろう。これはドイツでバロック時代(16世紀初頭から18世紀半ば)のものが実物として残されていることから、ドイツには歴史があることは確か。また海外の情報を当たれば(もちろん翻訳機能で!)、スカンジナビア特にスウェーデンに700年ほどの歴史があるという記述を目にしましたが根拠が定かではありません。また、ドアハープを語るものとして、「あなたのドアを歓迎や幸運、健康や繁栄が通過するのは北欧の伝統」という記述もあることから、北欧ではひとつの文化として認識されていること、「スウェーデンのドアハープは、結婚記念や誕生祝い、新築祝い、退職記念、クリスマス、バレンタインデーや復活祭、父の日に母の日など、あらゆる特別な日のための素晴らしいギフト」などという宣伝文句も見受けられますので、スウェーデンでは生活に入り込んでいることは確かなようです。このように、ドアハープが現在、世界の国々でどのように扱われ親しまれているのかは興味があるところであり、このあたりは今後、機会を見て探っていこうと思っています。
また、ドアハープの起源はいつかと訪ねれば、それはドアの起源とあまりたがわず符合するのではないでしょうか。最古の鍵と錠が発掘されたのが紀元前4000年から2000年くらいの古代エジプト文明なのだそうで(『鍵と錠の世界』彰国社1995)、それはドアなしにはあり得ないわけですからドアの出現のあとであるのは当然です。しかしそもそものドアの起源は現代でもよく分からないようです。それはともかく。ともかく、遠い遠いはるか昔、ある時誰かが遊び心からドアの壁面に紐をつるし、紐の先に結わえつけたモノ(はじめは石だったかもしれない)がドアの開閉によって前後に揺れ動き、ドアの壁面を打った、音が鳴った……、その動きと音におもしろさを感じた……、これがドアハープのはじまりというものでしょう。それはひとつの潤いの発見でもあったはず。やがて楽器のような空間のある箱が作られドアに取りつけられ、そこに張られた金属のストリング(弦)を吊るされた紐の先の木片や金属ブロックが打つ……、その弾いて連続するやさしい音色に癒しを覚える……、そういった草創の頃のことは容易に想像できます。これはまさしく文化と言えるもの。
ここまでドアハープということばを用いてあれこれと述べてきましたが、ここからはそれを“ドアリラ”ということばに置き換えることにします。ドアハープ(door-harp)は読んで字のごとく、ドアのハープ、ドアに取りつけられる楽器のハープです。ドアリラ(door-lira)も意味は同じ。あえて言えばリラはイタリア語で小型のハープ、竪琴を指し、それは一般的には英語やフランス語ではライアー(lyre)と呼ばれているものです。つまり筆者は、ドアハープの新しい魅力や価値を世に問おうとするに際し、名前にもオリジナリティーをと考えたのです。ゆえにドアリラは、ドアハープの、当工房のオリジナルブランドというわけです。電子オルガンに対しての“エレクトーン”(ヤマハ社の商標・商品名)、オイルパステル(クレヨンのやわらかいもの)に対しての“クレパス”(サクラクレパス社の商標・商品名)と同じですね(笑い)。ドアハープではなく、ドアリラ……、この単語での検索では当ルーザの森クラフトが限定的にヒットしましょうし、この名称の広がりはドアハープが日本の家庭に入り込んでゆく指標にもなるやも知れず。そうしたいと願う、考えてみれば壮大な夢。
余談ですが上の“クレパス”、この名前はかぐや姫の名曲「神田川」にも出てきますが、これが一般名詞ではなく商標名であることに難癖をつけたNHKは、かぐや姫の紅白歌合戦出場に際し、クレパスをクレヨンに変えてくれと要求し(笑い)、かぐや姫は拒否して出場を辞退したというのは有名な話。1973年のことです。NHKって、おバカ(笑い)。
新しい生活に入って、感官を研ぎ澄ましてフォルムのデザインをはじめました。それは数か月続きました。そして幾多のラフスケッチから図面に定着させること約100作、次には絞りに絞って約30作、最終的には18作にまで絞って減らし、それに基づいて試作品をこしらえてフォルムと機能の関係を確かめ、修正を加え、実製作のためのフォルムを決定していきました。日本古来の意匠を訪ねたり、日常的なモノから発想を得たり、あれこれと巡らせながらの膨大な時間は実に楽しいものでした。
雑誌に紹介されたものを参考として、自分なりのデザインを施して作って遊んでから約20年、いざ本格的に実際の製作に入ろうとすると当然ながら壁に突き当たることの連続でした。テキストがあるわけでなし、師匠がいるわけでなし、デザインひとつにしても身近に聞ける人がいるでなし。それでまずさしあたって、当時の雑誌に掲載されていた記事(コピーを保管していた)を頼りにして京都にお住いの家具作家のNさんに手紙を送りました。Nさんからは、当時のことをふりかえっていただいて、チューニングピンやチューニングハンマーの作り方や紐の材質などの貴重なアドバイスと励ましを頂戴しました。非常にありがたかったものです。
まずはライアーやハンマーダルシマあるいはチェンバロなどの古楽器に使われるチューニングピンをどうするか。これがなければ、そもそもドアリラなど成り立ちません。20年前には、(当時のNさんの説明書きにあった「チューニングピンは楽器店やメーカーで入手」は叶わず、ホームセンターで求めた)特殊ボルト(六角穴付ボルト)を使用し、弦をナットで下から締めつけて固定し、ボルトの頭を六角レンチで回してチューニングするという方法を考えたのでしたが、いざ製品化を前提とするとそれは見栄えとしてどうか。そこで先の作り方のアドバイスにしたがって、適当な径と長さの金属(鉄、真鍮)を用い、弦を通すための極小の孔をボール盤であけ、タップダイスを使って溝を切りました。頑張ればできないことはありませんでしたが、これを100本や1,000本の単位で手作りする労力を考えると途方に暮れました。まず、無理です。
チューニングピンは作らないとすると、では流通しているのか。楽器の専門店に聞き、ピアノの調律師を探して聞き、ハンマーダルシマの所有者につてを頼って聞き、それでも一向に分からない。ではとネット上を探すのですが、これもこれぞというものはなかなか見つからないのです。あっても1本単位でべらぼうに高価だったり、適価と思われたものは英語圏と来ています。と、幸運にもチェンバロのチューニングピンがネットオークションに出たのです。思わず入札してすべてを落札しました。後に出品者とやりとりしたところによれば、チェンバロを自作しようとして挑戦したけれども挫折したということでした。入手先も聞きましたが、もうそこでは在庫が底をついているようでした。それまでピアノやハープのピンなら何とか入手の方法は見つかってはいたのですが(これは大きすぎてドアリラには不向き)、よって、グッドタイミング。
とはいえ、それでも100体ほども作れば使い切ってしまうぐらいのピンの数です。そこで思いついたのは、チューニングが必要なのは片方(右側)だけでよい、左のピンは弦を固定するだけでよし、ピンを回す必要はないわけだから溝を切る(彫る)必要もない、ならば自分で作ればよいとなったわけです。そこでØ5ミリ、400センチの金属棒(鉄、真鍮)を購入し、それをチューニングピンと同じ40ミリの長さに切断し(鉄の切断には参りました。ずいぶんと火の粉を浴びました)成形し、それを知人に紹介してもらった精密加工の町工場に持ち込んでØ1ミリの孔をあけてもらいました。加工賃はだいぶかかりましたが、そうしておよそ2,000本を用意できたでしょうか。それによって、入手したチューニングピンの数に対して出来上がるドアリラの数を倍に想定することができたのは大きな転機でした。
肝心のドアリラ本体の木材の材料は? これは運に助けられました。伐採を生業とするSさんにたまたま知り合い、樹齢500年と目される銘木のハルニレ(春楡)の、約3寸厚に製材し乾燥したものを大量に提供してもらったのです。この申し出がなければ、筆者はドアリラの製作に突っ込むことができたかどうか。Sさんは恩人といえる人。材料の入手によって、それを薄く挽き割り、カンナをかけ、接(は)いで使える材料にしていくという目途が立ったのです。とはいえ、材料はいずれ尽きるもの。あとは自分で丸太を購入して、製材し3年5年と乾燥させて使うまでです。一方、ドアリラは求めやすいものもと考えていたため、表面に無垢材を薄く削いだものを貼った“突き板”と呼ばれる材料も使うことにし、それは家具の産地の福岡県大川市の業者に発注しました。
しかし難儀したのは、チューニングピンについても本体の材料についても、ドアリラ製作の一連の過程にすればほんの一例に過ぎません。では、吊り下げる木球は?どこにある?作る?材質は?大きさは?紐を通す孔はどうやってあける?球の中心を貫通させるには?……、紐は?どこにある?材質は?編み?組み?モノフィラメント?太さは?どうやってミリ単位で精確に留める?……、木球の吊り下げの方法は?板の張り出し?金属ピン?木ピン?材料は?どうやって作る?入手する?……、ストリング(弦)の素材は?種類は?調達は?……、塗装の方法は?塗料はウレタン?オイルステイン?ワニス?ワックス?拭き漆?……、製品に焼印を押すとして、どうやって作る?あるいはどこにどうやって発注する?……、ピンを打ち込んで同じ高さにそろえるには?……、厚い板を切り抜く道具は?……、凸面ならともかく凹面をサンディングするには?……。次から次へと無理難題が押し寄せては悩み、頭を使い、冶具・道具を作って工夫したり、アプローチの方法を別に考えたり、一部はあきらめたりして、その都度乗り越えてきました。すべてが手探りなのですから、まあこんなことは、当然といえば当然のことです。パイオニア然として、それもまたよろしというところ。
そうしてようやく、お披露目の日を迎えました。
今、心を穏やかにして自分の作るドアリラを思っています。時は静寂な朝、ドアを押して働きに出てゆく勤勉な女や男、やさしく鳴るドアリラの音色、それは一日の幸せを祈るがごとくに響く。そして一日の仕事を終え、愛する我が家に帰り着いてドアを引けば、ドアリラは平安の夕べを供する……。わたくしのドアリラはそういうものでありたい、と。
あなたの
ひと日の幸をいのる しずかな朝
ひと日の業をつつむ やすらう夕べ …ドアリラ
あなたに寄りそう やさしい音色 …ドアリラ
A silent morning to pray for your happiness
A peaceful evening to soothe your life in a day
A beautiful tone of your door-lira lingers near you forever
ルーザの森クラフト/本間哲朗
謹筆
2018年9月