山歩き

山巓の風に吹かれて

岩手より戻ってからというもの、新装なった工房で取り組んでいたのは下のような脱衣所のワゴン作りです。
今まではプラスチックのちゃちな物を使ってきたのですが、何か機能的でないな、どうも美しくないなとずーっと思っていたのです。それで思い切って、廃材・解体材を使って作ってみることにしました。寸法をとって、機能をデザインに落とし込んで。
とはいえ木工の心得のあるひとなら、これはやっつけ仕事であるのは見抜くはず。木材を組む箇所はわずかで(柵に使った丸棒は上下に刺して組んでいますが)、ほとんどはイモ継ぎ(平滑なものと平滑なものを接着)をしてビス留めにしています。イモ継ぎというのは構造上は弱いです。
でもまあひとに差し上げるでなし家で使うもの、これでも今後長きにわたって役目を果たしてくれるでしょう。

下の段から、1段目は洗剤ボトルや石けん類の収納。
2段目は洗濯用品と体重計の収納。
3段目に足拭きマットとタオル・バスタオル。ここには崩れ防止の柵を。
4段目は脱衣かご用に。
「よいベビーベッドができました!」とは相棒のヨーコさん評(笑い)。

製作中には、ワゴンを作ったら“山”、完成したら“山”と呪文のように唱えていました(笑い)。
いつものことだけど、ひとつの区切りをつける、ひとつを達成したあとにはご褒美があると筆者は自分に言い聞かせているのです。
で、ワゴンを作り終えたので予定通り山に行くことに(笑い)。

よく晴れ上がった文句のない快晴の日、(米沢の)下界は日中の最高気温36度まで上がると予想された(8月)20日、約1か月ぶりに西吾妻に、いつもとは趣きを変えて西吾妻小屋の先の西大巓(にしだいてん、1,981メートル)まで行くことにしました。
下界(の市役所あたり)は標高にして220メートル(ちなみにルーザの森は350メートル)なら、ロープウェイの先の天元台高原でもはや1,400メートル、そこからさらにリフト3基を乗りついでトップの1,820メートルまで上がるのですから、涼しいわけです。山は天然のクーラー。

下は、テツオ君がリフトに乗るの図。オレって、けっこうスリムだね(笑い)。
気持ちのいい、約40分という長きの空中遊泳です。

リフトトップから少し歩くとかもしか展望台に。ここから久しぶりに、いまだ雪をいだく飯豊連峰を見ました。

サンカヨウ(山荷葉/メギ科サンカヨウ属)には、ちょうど宝石のような青い実がついていました。

大凹(おおくぼ)に、オゼミズギク(尾瀬水菊/キク科オグルマ属)が。

大凹の小さな池塘(ちとう)に水草が輝いて。

これぞオアシス、大凹の水場。ここの水は本当に冷たいのです。

岩海の天狗岩から望む、吾妻神社越しの飯豊連峰。

アキノキリンソウ(秋黄輪草、秋麒麟草/キク科アキノキリンソウ属)が登山道の道々に。
この花は長く秋を彩ります。

ミヤマリンドウ(深山竜胆/リンドウ科リンドウ属)の青い星々がそこかしこに。

お盆が過ぎた証拠、ウメバチソウ(梅鉢草/ニシキギ科ウメバチソウ属)がたくさん。
この白がとにかく光を反射してまぶしいです。

西吾妻の代表的な花、エゾオヤマリンドウ(蝦夷御山竜胆/リンドウ科リンドウ属)が咲きはじめていました。西吾妻はこれから、この青紫が主役になっていきます。

ミヤマセンキュウ(深山川芎/セリ科ミヤマセンキュウ属)が白く光っていました。

今回の山旅のメインはここからです。
ここはピークの西吾妻山(2,035メートル)を少し下ったあたり、西吾妻小屋(避難小屋)とともに飯豊連峰を奥にして。

この日のロープウェイの第1便(平日は8時20分)には14人ほどが乗っていました。(駐車ナンバーから)福島、会津、宮城、仙台、青森、新潟、群馬、横浜、遠くは徳島からもおいでのようでした(やはりこれは“百名山”という名前の威力ですね)。
中年のご夫婦が1組、若い男性のふたり連れのほかはみな男性のソロでした。
ただ今回は道々、(あまりないことですが)ソロの女性ふたりにも出会いました。そのひとりに登りの道を譲ったら、「恐縮に存じます」との奥ゆかしい言葉が返ってきました。ていねいな返しにこちらが恐縮してしまいました(笑い)。

カメラのシャッターを押してくれた青森からの(筆者とほぼ同年齢と思しき)岳人は、昨日は会津駒ケ岳、その前が一切経山、そして本日は西吾妻とのこと。車中泊にて方々の山を回っているようです。
また休憩の西吾妻小屋でご一緒した白布(しらぶ)峠のルートを来たという(70歳ぐらいと思しき)岳人は神奈川からとのこと。この前は北アルプスに山小屋泊で登ってきたけど小屋は定員を半分にして満杯、(新型コロナウイルスの感染の)リスクが少ないと見てやけにテントが多かったね、自粛自粛でみんなうずうずしてたんだと思うよ、とのこと。明日は鳥海山、それから早池峰に回って、南下して栗駒山に登って帰ろうと思っている、すべて車中泊で、と平然とおっしゃる。山が人生そのもののような方でした。
青森の彼もそう、日を置かずに連続してポンポンポンと高峰を登るのですから、その体力たるや驚異的です。つわもの(強者・兵)以外何者でもないですね。

小屋を過ぎて西大巓をめざせば、圧倒的な展望が開けてきます。
筆者にとって西吾妻は身近でありながら、実は西大巓はこれで2度目なのです。1度目は2年前(2018年)の7月下旬のこと、そのときはグランデコまでを縦走したのでしたが、台風の襲来とあってまわりの景色を見るという余裕がなかったのだと思います。ということで今回は新鮮でした。

下は、西大巓に向かう道。
もうちょっとするとお花畑なのだけれど、キンコウカ(金光花)の盛りは過ぎており、ウメバチソウがわずかあるばかり。

西大巓のピークに近づいて見上げると、そこには10人ばかりのひとが同じ方向に視線を向けながら腰を下ろしていました。山巓(さんてん)の風に吹かれて、この風景を目に収めるためにここに来たと言わんばかりのやわらかな表情で。そう筆者もその通りなのです。山巓の風がいい。

西大巓というのは、西側の白布峠、同じく早稲沢、南のグランデコそして北東の西吾妻山からの、計4つのルートの合流地点でもあります。
それぞれから来たひと達が一堂に会することは、特に独立峰ではよくあること。
住む国(地方)も環境も暮しも違う見知らぬひとが自分の足でそれぞれの登山口から歩いてきて一箇所で出会うという景色はいいものです。それは、それぞれはちがっているけれども、ピークで図らずも合流しともに同じ時間を持つという緩い連帯意識のような感覚と言ってよいのだろうか。
鳥海山、それから栗駒山でもそんな感慨を持ったなあ。

下は登山者に撮っていただいたもの。背景は磐梯山。

西大巓の眺望は抜群です。
ほぼ南の方角に磐梯山とその奥に猪苗代湖が控えています。
それにしても1888年の磐梯山の大爆裂のすさまじさ、(風景を一変させた爆発)それがまざまざです。

下はその右の、檜原湖を前にした磐梯山から雄国沼にかけての稜線です。
筆者たちはここをずーっとたどりました。

南東方向には1900年にあったという爆裂跡が今に生々しい沼の平を擁する安達太良連山の鉄山。右方向のピークがその名もリアルな“乳首”と称する安達太良山。
安達太良山頂直下のくろがね小屋で一夜を過ごしてからもう14年にもなるけど、西大巓から安達太良連山がはっきりと見えるなんて、今まで不明にして知りませんでした。

下は、安達太良の爆裂火口の沼の平。2006年10月撮影。

いやあ、いい風景です。
こうしてかつての足跡を残した山々を眺めていると、自分は地球の一部として足をつけているんだという(まったく当たり前だけど)感慨がわいてくるのです。山の魅力って、こういう感覚を持てることなのかもしれない。

下は、西大巓より下って、たおやかな西吾妻山を正面にしているところ。

帰りに、天狗岩(2,005メートル)でちょっと休憩。これは、セルフ。

ツルコケモモ(蔓苔桃/ツツジ科スノキ属)が小さな実(クランベリー)をつけはじめていました。

コケモモ(苔桃/ツツジ科スノキ属)にも真っ赤な実が。

そうして、小さな山旅は終わりました。よかった。

いやあ、連日、暑いです。たまらないです。
エアコンのない我が家のこと、暑さがひどいのは1年のうちで1週間程度と思い定め、これをしのげば何とかなると思って27年になります。
当然、暑さしのぎには工夫をします。筆者お気に入りのキリン“ソルティライチ”(笑い)を凍らせて溶けた冷え冷えを飲んで水分と塩分を補給、サーキュレーターと扇風機をブンブンと回し、とても耐えられないときには水風呂に入って身体を冷やし(笑い)、寝るときの枕は保冷剤(ハード)2ケをバスタオル2枚にくるんで作って……。
でもこういうことって、いつまで続けられるんだろう。
とにかく暑いね。年を経るごとにどんどんと暑さが増してきている感じです。
でも、暑い暑いと言っても、18日過ぎには朝夕はめっきりと気温が下がりずいぶんとしのぎやすくなってきたのは確か。あたりにはコオロギなどの虫の声もしてきましたしね。少しずつ少しずつ、秋は近づいてきているようです。

去年2019年の秋というのは、まったくのキノコの不作でベテランの松茸採りを呆れさせたほどです。それから豪雪の地にして雪のほとんど降らない驚きの冬を越し、それが過ぎたら今度は新型コロナウイルスの世界的な襲来、そして今夏の局地的で急な豪雨と猛暑・酷暑という時の流れでここまで来たのでしたね。
松茸の壊滅的な不作、異様な雪の少なさ、ウイルスの伝播・伝染の脅威、急過ぎる豪雨に酷暑……、ひとつひとつが異変ともいうべきレベルの重大な事態です。
でも最近つくづく思うことだけれども、これらは別個別個にあるように見えて実はつながっていて、霊長類のヒト科ヒト属のヒトという種が自分たちだけがいいようにふるまい、そのことによって知らず知らずのうちに地球に多大な負荷をかけてきた、そのしっぺ返しなのでは、と。どうだろう。
はて、これから先はどうなんだろう。さしあたってこの秋はどうなっていくんだろう?

最後はナスの話。
お盆を過ぎたあたりから、米沢を含む置賜(おいたま、おきたま)地方で食卓に上るもののひとつに茄子漬けがあります。
茄子漬けは筆者も子どものころから口にしてきたもので何の変哲もない代物です。ところが外に出た18歳にしてこのナスもその茄子漬けもきわめて稀なものだということが分かってショックを覚えたものでした。
だいたいナスというものはそれまで丸いものとばかり思っていたのですから(笑い)。ナスに長いものもある、カルチャーショックとはこのことです。

この特別なナスである“薄皮丸茄子”のいわれをたどると、戦後すぐのころに米沢の近隣、(筆者の生まれ育った)南陽市宮内の篤農家・沖田与太郎というひとが新潟の行商人から譲り受けた種を栽培し、皮が薄いものを選び抜いて品種改良を重ねたというのが定説のようです(県のホームページより)

薄皮丸茄子の漬け物を作る上で重要なのは、その漬け汁です。漬け汁は塩と砂糖と明礬(みょうばん)と水を過熱して合わせるのですが、分量の違いで微妙に味が変化し、それぞれの家独自の味になるよう。
薄皮丸茄子漬けは、瓶にぎゅうぎゅうに詰めたナスを漬け汁で浸し、ナスが空気に触れないよう大葉などをかぶせ、さらには青唐辛子を添えたあとは冷蔵庫で1日半くらい置けば出来上がりという手軽さです。
今では、この地方ではこれがなければ生きていけないほどの(笑い)必需品になっています。ありつけなかったひとの顔には死相が浮いているので分かります(冗談!)。
どうしてそんなにまで? と思うかしれませんが、食べてみると分かります。たぶん、病みつきになると思います(笑い)。

薄皮丸茄子の漬け物は近年、県が推奨してけっこう有名になってきているみたいで、材料は通販ででも手に入るようです。
興味の向きはお試しあれ。

それじゃあ、バイバイ!

 

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