製作の時間

日誌2。打設、壁と基礎の撤去

ルーザの森クラフトの工房の、増築日誌2。打設、壁と基礎の撤去。

東北中央道の(米沢)八幡原インターチェンジ近く(ここから6キロほど)にある公園のトチノキ(橡)が実を落としはじめ。

そんな秋、全面的な協力を得ている同じ町内のS大工(いわば筆者のスーパーバイザー)に、コンクリート土間工事の前の“やり方”(建築の前に正確な位置取りをすること)をやっていただきました。
自分でもできることですが、言葉に甘えて。

S大工は実に原始的な方法で水準をとっています。バケツ(水盛缶の代用)に水を入れ、ホースを入れて口を吸って水を引き、遠く離れた位置に同じ高さの印をつけていきます(バケツの水面とホースの先の水面の高さが同じになるのです)。
先人の知恵って、すばらしいです。ほれぼれします。

手持ちのストック材からは“木取り”ができなかった“野地板”(屋根の下地材)と外壁板の一部として、製材所から買ってきたものを乾燥させています。  

秋はいよいよ深まって、木々は葉を落としはじめました。東北のつかの間の明るい森の出現です。

従来の外壁の板をバールを使ってはがしはじめました。材はぜいたくにも厚さ20ミリ近くもあるものを使っていたので、十分に再利用が可能です。
板をはがすと出てくる白い紙ののようなもの、これこそは現代の住宅の欠陥を補う魔法の紙、透湿防水紙です。
断熱高気密をうたう住宅が増えているけれども、これは同時に空気の流れを遮断して湿気を閉じ込めてしまうものでもあります。それをこの透湿防水紙で湿気を外に出して、何とか耐用年数を伸ばす役目を担っているのです。

下は、透湿防水紙の上に張りつけられている“胴縁”という、外壁(外板)を打ちつけるための下地材です。厚さは20ミリほどです。
注目すべきは、縦の材に対して、横の材をぴったりくっつけるのではなく、わずかなすき間をとっていること。ここが重要なのです。こうして外壁にたまる熱い空気を上方に逃がすことで室内の温度を上昇させないようにしています。“外断熱”の基本的な考え方です。

コンクリート土間の“打設”(生コンクリートは流しただけでは強度を持ちません。中に含んでいる砂利や砂を落ち着かせるために竹の棒などでつつく必要があるので、「打つ」という字があてられています)がはじまりました。
この工事自体も自分でできないことではないですが、ここに立ち上がるべく建物のその基準は正確なものでなければなりません。ここは思い切って、業者にお願いしました。

まだ乾ききらない柔らかなコンクリートの上にスチロールの板を置いて、そこに乗ってコテで均す技術は見ていてほれぼれします。
N左官とは(彼の仕事を観察しながら)よくしゃべり、コテ使いなどいろいろと教わりました。

柱の立ち位置に、基本ブロックの基礎を置いてもらいました。これはただ置いているわけではなく、土間面とアンカーボルトで固定されています。

そうして、雪が来る頃となりました。野外の仕事はこれでいったん終了です。

クリスマスが来て。
年が明けて。
春も近づいて……。

この間筆者は、クラフトフェア(福島は会津三島の「ふるさと会津工人まつり」。結局これはコロナ禍の影響を受けて開催されなかった)出店のための準備、それから端材によるテーブルウエア、特にスプーンとバターナイフの研究に勤しんでいました。
厳冬といえど、工房には薪ストーブがあってあたたかで快適な作業ができます。

年を越して(2020年)3月半ばを過ぎて、いよいよ壁と基礎の撤去作業を本格化させました。
下は、工房内から見た撤去の該当部分。
選挙管理委員会を通してもらってきた選挙ポスター掲示のベニヤが内壁の下地を作っていたことが分かります(今は、このベニヤを入手するのはとても難しくなってきた。委員会は委託業者に対して撤去後はすぐ産廃に送るように指示しているようだ。もったいないことです)。

工房はもう、機械と物品にあふれて狭苦しくとても作業どころではなくなっています。
壁や基礎の撤去の工事のために移動する必要がある棚の物品は、車庫やコンテナ小屋など方々に移動しました。
増築後には新しい機能的な棚を作る予定にしていたので、この棚はのちに解体しました(25年ほども使いました。お世話になりました)。

3月24日のこと、雪が降ってきました。
ガラス窓を外し、窓枠を撤去し、さらに窓台も取り払いました。あとは、土台と基礎部分を撤去すればよいわけです。

胴縁をはがし、透湿防水紙を取り払うと、小屋の構造が見えてきます。この斜め材の“筋交い”こそは、トラス(三角形構造)を作って建物を強固にしているのです。
このトラスは西洋の考え方です。奈良の東大寺大仏殿の明治期の修復では、鉄骨トラス構造を取り入れたさきがけだということです。

そうこうしているうちに春が来て、フクジュソウ(福寿草)が咲きました。

雪も解けてきて、本格的な撤去作業の再開です。
下は、“基礎”のうえに載った“土台”を切っているところ。

土台を撤去した断面のところに、基礎と土台の間に板をかませてあるのが分かると思います。これを“ネコ土台”といいます。
基本、筆者の基礎と土台はこのようにしていますが、建物が持つかどうかの分かれ目はここの通気をどういうふうに工夫するかにかかっていると思っています。

昔の家屋(茅葺民家や古い寺など)の基礎に注目したことがあります。ところどころに(ほぼ柱が立ちあがる位置に)大きな自然石が置かれてあり、その上に工夫して土台を据えつけています。そうすると地面と土台には大きなすき間ができますが、このすき間こそが建物を丈夫にいつまでも守ってくれていることに気づかされるのです。
現代の建物はこうするわけにいかずに“布基礎”が主流になっていますが、コンクリートで囲んでしまうことで空気の通り道を塞いでしまってもいます。ところどころに換気口を設けてはいますが所詮は小さなもの、それを補うために考案されたのが板をかませるネコ土台というものです。

以上、ここまでは予想通りの、あまり苦労はしない作業でした。

以下は、基礎部分の撤去です。
前回の工房の基礎工事も柱の立ち上がり部分に基本ブロックを置いており、基本ブロックと基本ブロックの間に、掘り出したレンガ(かつてここに住んでいた陶芸家が登り窯をつぶして埋めていったもの)をモルタルで積んでいったものでした。これが想像以上に、堅牢強固でした。

基礎の壁の撤去のためにまず考えたのは、両端のレンガと基本ブロックの境目の両側からディスクグラインダーに装着のダイヤモンドカッターで切れ目を入れ、それを大きなハンマーでたたけばレンガ部分は砕け散るように思われましたがとんでもないことでした。ビクともしませんでした。

ならば、切れ目を入れたレンガの部分にタガネを差してたたいて少しずつ取り去って欠いてしまえば、あとはハンマーの一撃で壊れると思ったのですが、これもだめでした。

ならば、基礎の底の部分を少しずつ欠いて両側から痩せさせれば何とかなると想像して作業を進めました。そうして一撃を加えてようやくのこと基礎の壁は倒れたのでした。いやあ、難儀しました。
それにしてもすごい重量でした。

ディスクグラインダーを使って石やコンクリートやレンガを切る作業というのはものすごい粉塵に見舞われます。筆者は上下にヤッケを着込み(半日の仕事で脱ぎすてて洗濯です。よって3着ほどを常備しています)、口には(より強力な防塵対策という意味で)防毒マスクをつけての作業、身体中に粉塵が降りかかっています。
 

ほとほと、疲れました。
腰が、腰が……(笑い)。

日誌2、「打設、壁と基礎の撤去」は、ここまで。
次は、日誌3、「基礎と土台」に続きます。

また、日をあらためて。
じゃあね!