上は、現在の玄関口のしつらえ。敷地に咲くヤマツツジ(山躑躅。ツツジ科ツツジ属)。
花瓶は実験用のガラス器、大学の処分品として出たものをいただいてきたもの。そのまわりの器は、米沢の貴重な名品、古成島焼。ゼンマイとの交換品だったかもしれない(笑い)。
筆者は今、工房増築の日々。
下は、ホームセンターから買ってきた三六判(1820×910ミリ)のトタン板を切って、役物(やくもの。建築における特定の場所に用いられる部材)の“水切り”を作っているところ。水切りとは、雨が外壁を伝って流れ落ちて土台部分にためないようにするための部材。買えばいいのだけれど、切って、叩いて自作しているところ。当然ながら、驚くほどに安上がりです。
筆者は時に職業を変えて、本日はさながら板金工でして(笑い)。
相棒のヨーコさんが窓からひょっこりと。
ブナと、増築部分の分かる現在のヒュッテ(左側)と工房。
みどりはこんなに濃くなってきました。
また、今年も来てくれました。
この(5月)17日にデビューは、アカショウビン(赤翡翠。カワセミ科ヤマショウビン属)。
“キョロロロロロー”という尻下がりの美しい声が森中に響き渡ります。
カワセミの仲間にあって、アカショウビンだけは渡りをするのだとか。冬は東南アジアに行くという。
それにしても、嘴といい全身といい、南国のレッドだね。
17日の昼にデビューの、エゾハルゼミ(蝦夷春蝉。セミ科ハルゼミ属)。
筆者が鳴き声をあえて音表記にすれば、“ギョウエーン ギョウエーン ケケケケケケケ”となるのだけれど。
“ギョウエーン”と何回か言って一呼吸置いたあとの“ケケケケケケケ”は、1オクターブぐらいちがうんじゃないかと思うほど音程を上げて歌います。この合唱はけたたましいものです。
18日にデビューの、ホトトギス(杜鵑。カッコウ科カッコウ属)。
いつも思うことだけど、ホトトギスとツツドリ(筒鳥)とカッコウ(郭公)というのは見た目そっくり。いずれも、“托卵”というずる賢い子育ての習性(“他人”の巣の卵を蹴落としてそこに卵を産みつけ、子育てをその鳥に任せてしまう)を持つのも同じ。けれども、その鳴き声はまったく違います。
ツツドリはのどかで平和な感じ、カッコウはのびやかに歌っている感じ、でもホトトギスは叫んででもいるかのように甲高い。これが響きだすと、季節は次のステップへと進行します。
ちなみに、どうしたわけかカッコウはこの森にはいません。
と一度は記したのだけれど、カッコウが来ました(25日昼)。30年近く住んでここでカッコウの声を聴いたのは3度目です。
この三羽烏(???)の登場は、「もうゼンマイ採りはおしまいですよ、もう春にはおさらばですよ、春はもう遠い過去です。もう夏です、初夏です」という通知なのです。あたりはみどりがグングンと濃くなってきています。
下は、この9日と22日の、鑑山からの望遠。銀色を帯びていたコナラ(小楢。ブナ科コナラ属)の若葉が緑色をグンと増しているのが分かると思います。
それに対応するのが、同じ日付の下の2枚のコナラの葉の色です。もう、こんなに色が変わっています。
下は、鑑山の途中にあったツクバネウツギ(衝羽根空木。スイカズラ科ツクバネウツギ属)。
ちょうど中腹の、アオハダ(青膚。モチノキ科モチノキ属)のさわやかな青葉。
アオハダの木はすっくと伸びた株立ちが美しい。雌雄異株で、これは雄株。
鑑山は全山がイワカガミ(岩鏡、岩鑑)ゆえの名なのだけれど、もはやほとんどが花を落としていました。残っているのは、下のような白花だけです。
筆者はこれを昨年に発見し、新種あるいは希少種と思ってドキドキしていました(笑い)。
新種はともかく突然変異による色素の欠落(メラニンの欠乏)いわゆるアルビノとして、非常に希少価値のあるものと思っていたのです。イワカガミの花の色というのは、濃淡はあるにせよだいたいがピンクですから。
でも、考えてみたら変です。もしも突然変異であるなら、ピンク系にしてもこの白系にしても花の咲く時期に違いはないはず。そうして疑った結果、分かりました。種(しゅ)が違っていました。
この白花は同じイワカガミでもヒメイワカガミ(姫岩鏡、姫岩鑑。イワウメ科イワカガミ属)というもののようです。
鑑山には、イワカガミとともにヒメイワカガミが混在して自生しているということです。いやあ、新事実に出会って気分よし、です。
ルーザの森のビューポイント、笊籬橋から笊籬溪(ざるだに)を望んで。
橋の欄干からすぐ見えるウリハダカエデ(瓜膚楓。ムクロジ科カエデ属)の青葉。
秋にはすばらしい紅葉となります。
散歩から家に戻って。
ヤマツツジ(山躑躅)は今が満開の時を迎えています。
ユキザサ(雪笹。ユリ科マイズルソウ属)も花盛り。
これまではずっと、野生種・自生種を紹介してきたのですが(このエセーの本領は野生にありというポリシーがあって)、実は我が家にもいくつかの園芸種はあるのです。
下は、ハーブとして有名なタイム(タチジャコウソウ、立麝香草。シソ科イブキジャコウソウ属)。
知人からいただいたものがどんどんと増えて。
ハーブティーにはいいみたい。糖尿病予防には顕著な効能が認められるのだとか。
ドイツスズラン(独逸鈴蘭。キジカクシ科スズラン属)。
我が家のスズランを調べているうちに知りました。これは正式にはスズラン(ニホンスズラン)ではなく、ドイツスズランという園芸品種だということを。花を覗き込むと、真っ白なのがスズラン、赤い色味がわずかに見えるのがドイツスズランとのこと。
玄関口とリビングのテーブルに飾っているけど、すごい芳香です。
かつての職場の出向先で野生化していたものを見つけて花壇に移植したツリガネスイセン(釣鐘水仙=シラーカンパニュラ。キジカクシ科ツリガネスイセン属)。
青紫があざやかで、いかにもヨーロッパという花です。
シャガ(射干。アヤメ科アヤメ属)。薪小屋の脇にひっそりと。
野生化したイチゴ(苺。バラ科オランダイチゴ属)を移植したもの。
あまり収穫はないけど、初夏の味覚として楽しんでいます。
スーパーなどに売っているミツバ(三葉。セリ科ミツバ属)は、ところ構わず雑草のように生えてきて。
久しぶりに見た、オニタビラコ(鬼田平子。キク科オニタビラコ属)。
本当に久しぶり、もう5年以上も経ったろうか、ササバギンラン(笹葉銀蘭。ラン科キンラン属)。
ひと株だけひっそりとして咲いていました。清楚という言葉がぴったりの花です。
近縁にキンラン(金蘭)があるけど、まだお目にかかっていません。また似たようなものにカキラン(柿蘭。カキラン属)があって笊籬橋近くで見たことがあるけど、これも見てからけっこう経つなあ。
クワ(桑。クワ科クワ属)の若葉。
この木の皮は甘いらしく、冬場にサルが大挙してやってきて、家の前の桑の木の皮をペロッと食べていったことがありました。
冬にスノーシューであたりを散策すると、サルの足跡とともに、クワの木の皮が食べられている姿を見かけます。サルは知っているのですね、これがうまいこと、健康にいいこと。クワは、葉を含めて全木有用な証明でもあり。
シダ植物のシシガシラ(獅子頭。シシガシラ科ヒリュウシダ属)の若葉。
お獅子様の顔に垂れる前髪からの命名でしょう。
ヤマモミジ(山紅葉。ムクロジ科カエデ属)の日に透ける青葉。
カリン(花梨。バラ科カリン属)。
このへんのスーパーなどでマルメロ(榲桲。バラ科マルメロ属)を“カリン”として売っているのを見かけることがあります。間違いですね。カリンには毛がなくて肌がツルツルしています。マルメロは全体が毛で覆われています。
このカリン、筆者たち家族がこのルーザの森に移住してきたその記念にと植えたものです(移住は1993年冬、その翌年に)。食べられる(利用できる)果実のなる木を、ということで。イチジク(無花果)やウメ(梅)も植えましたが、雪から苗を守るのはたいへんなことで、ようやくカリンだけが成長が許されたのです。
このカリンに花をつけはじめたのは苗として植えてから20年近く経ってからのこと、実が生るなんてあきらめていた頃だったので花を見つけたときの喜びと言ったら。
この花、あまり知られていないと思うけど、それこそあざやかな韓紅(からくれない)の美しい花です。
去年はまったくだったけど、今年はたくさんの花です、たくさんの実をつけてくれそう。
実はカリン酒の材料にします。これがまたうまいんだよね。
*
ここでコーヒーブレイク。
あたり一面、全方位、みどり、みどり、みどり…。
今、ルーザの森はどこもかしこもみんなみんなみどり、万緑(ばんりょく)の森なのです。
もう筆者は身体中がみどりに染まって、みどり人間になっています(笑い)。
写真は工房前のコナラの林。
……“万緑”をうたった句をちょっと。
詩歌は力を持っていると思うんだよね、筆者としては。言葉は、イメージを心に定着させていく。イメージは精神を限りなく刺激していく。
万緑の中や吾子の歯生えそむる 中村草田男
この「万緑」の季語は、中村草田男が創始したとのこと。この句は若い父としての幼子への慈しみと青葉が溶け合って実に瑞々しい句境です。
万緑や峠は孤独にして候 北原武巳
万緑の庭に英国式紅茶 史あかり
万緑のなか一本の樹のアリア 川島ひとみ
萬緑やあの日の父を尾行せむ 八木忠栄
旅にしていま万緑と潮騒と 淡地和子
万緑の中や過呼吸症候群 内田美紗
萬緑の仕上げの雨の五六粒 岡本 眸
万緑のふところに入るロープウェイ 岡本明美
万緑や母子の接吻音たてて 鷹羽狩行
万緑に三十号を塗りつぶす 松崎鉄之介
万緑やカステラを焼くぐりとぐら 田中桜子
万緑やけふは鳶になりにけり (拙句)
嗚呼、万緑にいのちのきらめきたるや。
*
下は、12日、15日、18日、22日の森の広場の移り変わり。
(こんなところに、cobid-19の瘴気などやってこない。清浄なみどりの力が怖くて入り込めないんだ、きっと)。