結城哀草果(ゆうき・あいそうか。山形市出身、1893-1974)という歌人がおりました。近代日本歌壇を牽引した斎藤茂吉(上山市出身、1882-1953)門下で、終生農民であることを誇りにして生きた、そういうひとであったようです。
日常の暮らしはもとより、公の場でもテレビ出演の際にも(郷土の文化人としてメディアへの露出も多かった)、銀座を歩くにもタツケ(モンペ)の姿であったという。これは、気骨の表れででもあったでしょう。
歌のひとつに、こうあります。
…… 置賜は国のまほろば菜種咲き若葉茂りて雪山も見ゆ
歌は、黄色な菜の花が咲いて、若葉が繁って、なおかつ白い雪山も見える、そんな置賜は理想郷である、と。
置賜の春の美しさを色彩豊かに描いた、まさしくこれは筆者たち置賜に住む者の原風景、心象中にかがやく風景画なのです。奥深いところに蔵(しま)われている大切な歌とも言えます(少なくとも筆者には)。
今は置賜を遠く離れて屋久島に住む友人の直近のたよりによれば、この歌を(今は亡き)「父が好きでよく口にしていました」とのこと。多感な時期にこういう素敵な親の姿に触れえたことの幸いを思ったりもしたものです。
ここにおける“置賜”の読みは、哀草果の言葉遣いおよび筆者の倣いにして、「オイタマ」です。また、奥羽線下り、米沢から山形方面に向けてひとつ先の駅の“置賜”も「オイタマ」です。ちなみに、我が母校の宮内町立(後に、現・南陽市立)宮内小学校校歌にある「熊野神社の森をおい 置賜平野前にして」の“置賜”も、南陽市立宮内中学校校歌の(哀草果の作詞による)「置賜は四季美しく」の“置賜”も共に、「オイタマ」です。
けれども以上は例外中の例外、公の呼び名は「オキタマ」です。例えば“東置賜郡”の場合は「ヒガシオキタマグン」、“置賜総合病院”、“置賜農業高校”、“置賜保健所”、“置賜さくら回廊”などはみな「オキタマ」です。
ごちゃごちゃしているけれども、これは当て字と表音の経年変化でふたつが残った、行政は「オキタマ」の肩を持ったということでしょう。
陸奥の国・優嗜曇郡…、“優嗜曇”は「ウキタム」、または「ウキタミ」と読ませており、934年頃に編纂された『和名類聚抄』では、“於伊太三”という漢字が 当てられ、「オイタミ」とされたという。
“ウキタミ”はアイヌ語で、ウ(広い)、キ(葦)、タミ(谷地)で、「広い葦の生えている谷地」という意味とのこと。*以上、参考はweb「山形鉄道おらだの会」等より
参考までに、高畠町には県立の博物館、“うきたむ風土記の丘資料館”があります。
兜山は、直江兼続が城下の整備を進めるため、その山頂から城下を眺め、屋敷や道路、堰の配置など、現在の市内の基礎ともなる町割りを決めたとされる山です。なるほど、米沢市街が一望です。
この写真は、とある夏の日の登山の際のもの。
置賜平野には南に米沢市、北に南陽市、西に川西町、東に高畠町の2市2町があり、人口はおよそ15万人です。標高は200メートルほどです。
ちなみに筆者の住む万世町梓山(バンセイチョウ・ズサヤマ)に位置するルーザは米沢市の東方、栗子山(1,216メートル)の山麓に当たります。
高畠町は、先の哀草果の歌をふまえてのことだと思うけど、「まほろばの里」を町のキャッチコピーにしています。
この写真は約30年近く前の、家族で山登りした時のものです。
秋葉山からは、置賜平野が一望です。ここから、直線距離にして20キロ先の米沢の河川敷花火大会の花火も見えます。
高畠町の市街より見る雪山の飯豊連峰の現在。
なお、置賜平野の中央部からは、南に巨大な吾妻連峰、南西に飯豊連峰、北西に朝日連峰、北東に蔵王連峰が見えます。こうした名だたる連山を四方に見渡すことができるのは、山形県ではここを置いてほかにありません。
高畠町の郊外より飯豊連峰。圧倒的な迫力です。
春の日にかがやくバッコヤナギ(跋扈柳、別名に 山猫柳。ヤナギ科ヤナギ属)。
コブシ(辛夷、モクレン科モクレン属)が咲き出しました。
宮澤賢治が作品で用いる“マグノリア”の一般的なものは、コブシなのでは。あえて、ホオノキ(朴木、モクレン科モクレン属)としているのもありますね。
我が庭の広場のコナラ(小楢、ブナ科コナラ属)の林立。
この写真は、もう少ししての、5月に入ってからのもの。
オオヤマザクラ(大山桜、バラ科サクラ属)。
実際のオオヤマザクラはあと10日ほどで満開を迎える模様。
笊籬溪(ざるだに)の萌えいずる若葉。生命が横溢する5月の色です。
鑑山(470メートル)から見た現在の飯森山(1,595メートル)。どっしりとした山座。
山桜のひとつオクチョウジザクラ(奥丁子桜、バラ科サクラ属)、だと思う。現在の野山を彩っています。
梨の花だろうか、蔵王の峰を背景にして。
春の妖精(スプリング・エフェメラル)、カタクリ(片栗、ユリ科カタクリ属)。
カタクリの分布は日本全土のようだけど、みちのくの春にも欠かせない美しい花、今がその盛りです。
我がヒュッテの前にそびえるブナ(山毛欅、ブナ科ブナ属)の若葉。5月の連休当たりの頃。
この若葉は特別で、日の光に透ければ神々しくもあり。
宮澤賢治の「虔十公園林」の冒頭にもブナの描写がありました。
ソメイヨシノ(染井吉野、バラ科サクラ属)。町場のものは今が満開を迎えているようです。
筆者たちのところは町場より標高が100メートルは高いので、あと10日というところでしょうか。
市中より、天元台と西吾妻を望む。
この山の風景は米沢市民にはなじみのもの。雪形(雪の消え残り)を“白馬の騎士”と呼んで親しんでいるのです。こんなにはっきりと図を想像させるものもそうはないのでは。
この雪形、実際は天元台の樹木帯を切り開いたスキーコース(笑い)。馬の頭のてっぺんがリフトトップです。
ちなみにだけど、天元台スキー場の売りは、パウダースノーとともに、このリフトトップ(1,820メートル)から、麓のロープウェイの湯元駅(920メートル)までの標高差900メートル、距離にして6,000メートルに及ぶロングコース。
吾妻連峰を背景とした、果てしなくまっすぐな奥羽本線(同じ軌道を走る山形新幹線)。
郊外の、ポカポカの野山。
水面に桜が映えて。
「置賜は国のまほろば…」は、これでおしまい。
どこも、“住めば都”、ここも都のひとつです。
*
「新型コロナウイルスの世界的流行を抑えるためには、外出規制などの措置を2022年まで断続的に続ける必要がある……。こんな予測を米ハーバード大の研究チームがこの14日に米科学誌サイエンス(電子版)に論文を発表。措置が必要な期間は、抗ウイルス薬やワクチンの開発、救急医療態勢の拡充などで短縮できる」。4.15付 朝日新聞はこう伝えています。
コロナ禍の行く末知れず。
コロナ禍は2022年までという、それほど長期的な闘いを我々に強いるのかも知れない。そうなると、耐えられるか・持ちこたえられるか否かは別として、この“2022”という数字を意識の底に置くのはよいのかもしれない。混乱の時に、最も危険なのは取り乱すこと、不安に駆られること、最も大切なのは、心穏やかにしていること、とにかく冷たい眼を持つことだと思います。
今後、新型コロナウイルスから身を守るための閉じこもり、家ごもりからくる身体の不調、精神バランスの失調がじわりじわりと押し寄せてくるのではないでしょうか。特に、高齢者は危険です。
報道や醸成された空気(ひとびとは何と引きずられていることだろう)とは異にし、ひとのあまり集まらないところで、身体を十分に動かす…、歩く、走る、運動するというのはこれからますます重要になってくるように思うのですが。
そういうお前は、今は何を?
普段は石工(笑い)。でも今日は全国交通安全週間の最終日の15日、黄色の帽子と黄色いジャケット姿での国道立ちの後(筆者は何を隠そう、交通安全オジサンなのです)(笑い)、このエセーの肉付けのため、ちょっとした取材を決め込んで、置賜のポイントポイントを歩いてきたというわけです。気持ちのよい朝、気持ちのよい運動でした。
途中立ち寄った、“道の駅たかはた”では、従業員の方がぼやいていました。「お客さんの数はもう、最低です。来ないです」。全国、どこもそうなんだろう。
それでは、とにかくお元気で。
バイバイ!