新年が明け小正月の15日が近づくと我が家では、団子木飾り(“団子差し”とも“繭玉下げ”とも)をします。ここ10年ほど前からです。当時筆者は特別支援学校に勤めていて、その出向先の病院のプレイルームに毎年この時期に飾られており、謂れや風習より何より、その華やかな彩りに魅せられたのがきっかけです。
でもそういえば昔はどの家にも、そう言う筆者の幼い頃の(かつて住んでいた山形県東置賜郡宮内町=現南陽市の)家にも飾ってあったもの。木の枝に大黒様や打ち出の小槌、大判小判や鯛などの縁起物の船せんべい(あざやかな色で染めた最中の皮のようなもの)を下げ、枝先には餅を丸めて差すのです。その餅は時間の経過によって乾いて割れて床に落ちるのだけれど、それを炒ってあられにしたような。そうした風習もいつの間に家々で廃(すた)れ、筆者の中では約40年ののちに復活したという曰くです。
我が家の団子木は単純に、外の景色の重々しい無彩色が発する何とも鬱屈な面持ちからの解放、春を呼ぶ風物詩という位置づけですが、本来は秋の豊作と養蚕(繭)の盛況を祈願するもののようです。その姿は垂れ下がる稲穂であり、相棒のヨーコさんの実家のようにかつて養蚕を生業のひとつとしたところでは繭玉を見立てていたものでもあり。
団子は今、餅というよりも米粉に水を加えて練って蒸して作って(それこそ団子を)用いていると思う。市販の飾り用の安価な紅白団子も売っているし。我が家では実際の餅や団子はつけずに、船せんべいの色とりどりの球をそれに替えています。
また、少しはオリジナリティをと思い文具屋で見つけたポチ袋の“大入り”、“奴凧”や“達磨”を切り抜いて下げ、それからパウチ加工した祈願の文字も。
1月10日は決まって山形市の初市。筆者も一度だけ行ったことがありますが、それはたいへんな賑わいです(下の写真。発信元;山形市役所)。
街の中心部の七日町(なぬかまち)から十日町にかけての道路数百メートルにわたって露店が並び、臼、杵、まな板などの木工品、地域の特産品やらが売られているのですが、この団子木飾りの木の枝や飾り物もたくさんたくさん。初市で売られる木の枝はヤナギ(柳)が多いのですが、ここ米沢ではミズキが一般的です。
ミズキは水木。地中の水をどんどんと吸い上げ、樹の体内にたくさんの水を蓄えていることからの命名だと思うのですが、事実そうです。
一度ゆえあって直径20センチほどのミズキをチェンソーで切り倒したことがあったのですが、そのあとの水分の吹き出し様と言ったらすごいもの。ゆえにミズキは「火伏せ」として縁起を担ぐ人もいます。ミズキは水に通じ火を出さない=火事にならないということです。
さらに、ゆえに逆に、敷地にこの木が生えるのは縁起が悪い、敷地の水を吸い取って火事を出しやすくしてしまうとも。こう教えるのは(檀家となっている)寺の和尚です。でも筆者はこの方、厄だの字画だの、風水だとか方角だとかの謂れで生きてはこなかったので(むしろそれらの習俗因習はひとの創意や努力を阻害するものとして意図して撥ね退けてきた。一方、都合のよいものは取り入れて(笑い))、このミズキについても同様、いずれも敷地のものを利用してきました。ミズキはマツと同様、その木を見ると樹齢が分かります。特にすべての葉を落として裸木となる晩秋以降ははっきりします。枝は幹から直角に近い角度で横に輪状に延び、1年は枝の根本から(上下の)次の枝の根本までを指します。つまり、枝のない幹の区分がいくつあるか、それを数えると樹齢が分かるという訳です。
ミズキは5月の末頃には白い花を一斉につけ(それは見事!)、10月頃に実が黒熟します。そして実を落とし、葉を落とした後の冬の裸木の美しさは格別です。枝の赤味が一層映え、あたりの白い景色と好対照をなすのです。
アイヌではミズキはカムイ(神)に歓迎される木とされ、ことのほか敬愛の対象だったそうです。ミズキをイナウニニ=木弊の木ともいうのだそうで、イナウ(木弊)は祭祀に使う棒、先をウェーブ状にクルクルチリチリに削りだしたもの。また漁で得た鮭の頭を叩いて息の根を止める道具としても珍重されたとのこと、これもミズキが神に選ばれし木だったということでしょう(web;Hokkaido Rejional Buveau)。
下は芽吹きの頃の我が家のミズキ。この、天を衝く芽のツンツンも美しい!
団子の木はいつ頃外すものかと土地の人に聞いても答えはあいまいです。普通は2週間ぐらいかなあ、ぐらい。それで我が家では、春が来るまで彩りが絶えぬよう雛人形を飾る2月中旬頃まで下げておくことにしています。
そうそう、近隣の長井市の、獅子頭職人が提供する蕎麦と餅の店・獅子宿燻亭(ししやどいぶしてい。ここはさながら貴重な獅子頭の博物館)、あるいはやはり近隣の南陽市の中山間地域、荻の、有名な蕎麦屋・源蔵そばでは、縁起物として年中飾っていたような。いずれも見事なものだった記憶です。
雪深いところに住む者は、春が来るのをこうして待つのです。それは、祈りでもある。冬は厳しいけれど、その冬を踏ん張って越すことの何よりのご褒美が春、そういうことになります。
下は、これまでの我が家の団子木の小さな歴史、2011年、14年、17年のもの。11年の光が違うのは、この時までの光源は蛍光電球(電球色。それ以前は白熱電球)、以降の現在はLED(電球色)であるため。
はて、この団子木飾り、この風習は山形県独特のものなのかどうか。かつては全国広範囲にあったものがしだいに廃れ、山形県に残ったものなのかどうか。東北ではどうなのか。関東甲信越、それ以南ではどうなのか……、興味のあるところではあります。
今年も団子木を飾ったし、外は久しぶりの晴れ間だし、小屋の雪下ろしでもするとしますか。ねえ。
おまけです。
本日13日は地区のさいと焼き(どんど焼き、御柴灯、左義長など全国に20超もの名!)でした。晩秋に刈った茅が燃え盛り、火の粉が夜空を照らす様は圧巻でした。闇夜に響く「ヤハハエロー!ヤハハエロー!カホウ(家宝)持ってこーい!」の叫びが人々に幸いをもたらすようで、本当に、よい、年のはじめとなりました。