いやあ、参りました。このパンには。
直径が何と30センチ(こんなでかいパンは人生初です!笑い)、小さな球形のパン27個がくっつきあって、それはまるでお日さまではありませんか。人生を照らす太陽!(笑い)。あまりのサプライズで、頬が緩んで、つい笑ってしまいました。
妻とふたりで少しずついただいているのですが、中に入っているのがこれまた多彩でして、カスタードクリーム、チーズ、あん、それにチョコレートにレーズン、ラムレーズンにリンゴジャムと……、これからいったい何が出てくるやら。
この、お日さまのようなパンを焼いて送ってくれたのは、三重県亀山市にお住いの、パン職人のフキコさん。世に明るい人は多けれど、彼女は本当に太陽のように明るくいつも笑っている、そういう人です。パンに描かれている目と口の笑顔があるけど、そのままのそっくりな人と言ったら怒られるだろうか(笑い)。
今回のドアリラ展に合わせるつもりがこんなに遅くなってゴメンという添え書きがあって、一緒に甘柿も食べてほしかったので、とのこと。いやあ、さすがに参りました。涙こぼれるほどの感謝です(笑い)。
フキコさんは岩手県は水沢(現・奥州市)出身で、筆者と同じ1956年生まれ。たまたま教員の採用が互いに宮城県仙台市だったということと友達の友達という細い糸ながら、そこで筆者はつながったのです。それから2年か3年かして彼女は、旦那さんの故郷の亀山に嫁いで行きました(岡本おさみと吉田拓郎の名曲「花嫁になる君に」というのがあったなあ。ニュアンスはちょっとちがうけど。笑い)。
仙台駅のホームで去り行く彼女を仲間で囲んで、「たんぽぽ」という歌を歌って送ったのだったっけ(雪の下のふるさとの夜……♪。知られざる名曲ですよね)。なつかしいなあ。
あれから40年近く。その後会ったのは一度、京都に所用があってそのついでに立ち寄らせてもらったきりです。普通はそこでおしまい、もしくは時間と距離という係数を掛け合わせれば関係はしだいに疎遠になっていくものです。
フキコさんに筆者が惹かれだしたのは、実はその後です。彼女は50歳を前に一念発起して教職を退き(最後は特別支援学校だったと思う。子どもが大好きだっただけに後ろ髪引かれる思いは大いにあったのだろうけれど)、フランスに渡ってノウハウを得、パン作りを生業にしてしまったのです。その、自分への正直さ、その、身のひるがえしのあざやかさ。筆者が生涯にわたる仕事としてドアリラの職人になろうとした、その思い切りに少なからぬ影響のあったことは確かです。
彼女曰く「パン作りの魅力に惹かれ、パンが取り持つ出会いの楽しさに人生を感じて、2005年、自宅の一角に週3日(月、水、金曜日)営業の小さなお店を開いたのです」。altertrade.japanの「店舗紹介第11回」より/*現在は週2日(水、金曜日)
今、彼女の店のドアには購入していただいたドアリラが取りつけられています。パンを買いに来る方が、ドアを開けたとたんに漂うパンのいい匂いと同時にドアリラの音がやさしく響く……、それはドアリラ職人としてのこの上ない喜びです。どうぞ、多くの人がいい匂いとない交ぜのやさしい響きに癒されますように。そして彼女と筆者は友人でありつつ、これからは職人としてのライバル。ホンモノにどうアプローチできるか、受け取った方にどのように喜んでもらえるか、いかに充実した暮らしを編むことができるかの。
互いの人生がよりよいものであるよう。そして、たくさんの人生がそうでありますよう。
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