旅の空、飛ぶ声

サンテンイチイチから15年

1,000年に1度と言われた大災害からもう15年、もしくはまだ15年という言い方も可能だろうけど、とにかく15年という時が経ちます。
今回のsignalは、筆者が震災後はじめて被災地を訪れたあれこれを、当時を詠んだ川柳に力を借りてつづってみようと思います。
惨劇を忘れぬよう、戒めを込めて、題して「サンテンイチイチから15年」です。

以下ところどころで紹介する川柳は、仙台に本拠を置く川柳宮城野社が編集し、2011年11月に発行された「大震災を詠む川柳」(河北新報出版センター)によっています。

この2月28日、相棒と連れだって、友人の住む南三陸の気仙沼に行ってきました。
気仙沼は宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。
出発した我が家はいまだ60センチの積雪の白い風景、でも福島県境の栗子の峠を越えれば一変、そこはまるでちがう風景です。
東北中央道から常磐道、仙台東道路を経て三陸道にて気仙沼。気仙沼は自分らにしてみれば1か月という時間を先に行く、春そのものでした。

自身が米沢の地でもうこの世の終わりかもと思ってしまったあの時の大地震、けれども東北の太平洋沿岸を襲った大津波の惨状は想像はしていても、ここ15年、それは想像の域にとどまっていました。
被災地に足を運ぶということが自分の中ではどうもしっくりこないものがあったのです。半ば、見物、見学ではあるまいし、という。

ただ今回、ちょうどよいタイミングで気になるコンサートが気仙沼であり、これを機に友人宅も訪ねようと思い立ったという訳です。

下は、46年ぶりに訪れた気仙沼大島、その景勝地の竜舞崎を歩きました。岬へといざなう良い散歩道でした。
岩礁荒々しく、うつくしいリアス式海岸が連なっています。

竜舞崎灯台。

乙姫窟(おとひめいわや)。

・・・

生きることほんとに知って水を飲む 木田比呂朗

納得のいかない傷を撫でている   中條節子

あの日から海は他人の貌で凪ぐ   佐々木つや子

ヘリ降りる遺体安置所の静寂    水戸一志

追憶の海に浮くもの沈むもの    濱田則子

…… 恐怖におののくも同時にそれは慣れ親しんだ海でもあるでしょう。
その海に浮くもの沈むものあり、それは思い出の心象と共に思い出の物理的なモノでもある、それを溶け合わせて詩情を醸していていると思います。そうして、今という時間を支えているのでしょう。

下は、宮城県気仙沼向洋高校、海辺からわずか150メートルの距離にあった学校です。
ここに高さ13メートルの津波が襲いかかったのだそうです。
それは校舎4階にまで達しましたが、的確な避難指示のもと、校内にいた生徒・教職員らは全員無事だったということです。これは奇跡というものです。
現在は、校舎を破損したままの状態で震災遺構として保存し、「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」として一般公開されています。
友人に、家に着くまでに是非見てきて、と言われていた場所です。

校舎屋上から見た海。
そして手前は広大なパークゴルフ場となっていて大勢の人たちがプレーに興じていました。
ここに津波が来ました。

校舎3階に流れ着いた車。
この波のエネルギーのすさまじさ。

津波は校舎4階までにも押し寄せたけれども、この中庭の卒業生が植樹した記念樹は生き残り、15年した今も成長を続けているということです。
校舎屋上にはこの木の説明看板があって、この木を「ヒバ」としてあったのですが(案内の職員もそう語っていた)、筆者は直感してこれはヒバではなくカイヅカイブキ(貝塚息吹/ヒノキ科ビャクシン属)だと思いました。
全国各地から海外からも来て学ぶ公的な施設にしては稚拙な間違いをするものです。今後のためにと施設に関係のある友人を通して申し入れをしました。
そのうち改善されるでしょう。

校舎4階にあったスチールの書類ケース。
ケースの40センチぐらいまでが錆びていますが、これが気仙沼向洋高校における津波の最大到達高を示すものです。
校舎4階床上40センチ、恐ろしい高さです。

・・・

言葉にはならずアーアー言うばかり 浅川芳子

二度三度目玉洗って見た故郷    鹿野太郎

青葉繁れる哀しくて儚くて     松本幸夫

もち物はイノチ一個となりにけり  津田公子

…… かけがえのない命を「イノチ一個」とする研がれた言葉、それしか自分にはなくなったという空虚さとともにこれがあればまた歩き出すことができるとでも言うのでしょうか。重たい喪失感、そして何とか希望を探したいとする作者の心の声がする句です。感性は研ぎ澄まされています。
津田さんにはこんな句もあります。

人となる別れるたびに泣くたびに

かもめ鳴くなき人々を呼ぶように

下は、友人が是非見ていってほしいと案内してくれた宮城県気仙沼市と県境を接する岩手県陸前高田市の海岸。

この穏やかな凪いだ海が牙をむいた。

・・・

渾身のさくらは今を咲いている    唐木ひさ子

全壊の友へひたすら手をさすり    國分郁子

あの日からヒトノカタチで生きてます 渋谷 博

真っ先に知らせるバラが咲いたこと  大沼和子

…… 艱難辛苦の末にようやく見つけた希望が、バラの花を通して語られます。それを人に知らせることのできるうれしさがあふれ出て来ています。希望を見つけたということでもありましょう。

震災の後すぐに、心の奥底から吐き出された言葉たちの深さ。
「(川柳が)いのちの文芸になった」、とは川柳宮城野社主幹の雫石隆子氏の弁です。

 

ここに国が整備した高田松原津波復興祈念公園があります。
言わずと知れた、奇跡の一本松のある海岸です。

 

名勝高田松原を復活させるべく、松の植樹が広範囲に行われていました。
この松は何だろうと思って見ていたのですが、筆者の身近にあるアカマツのようであり、ちがいようであり、どうもあいまいで疑問を持ちました。後日、家に戻って調べて分かりました。
樹種は、アカマツ(赤松)とクロマツ(黒松)の交雑種のアイグロマツ(合黒松)で、赤い幹はアカマツの特徴、剛直な葉はクロマツの形質を受け継いでいるとのことです。
奇跡の一本松もアイグロマツです。

高田松原海岸の復元は国が担っているのでしょう、案内標識によれば植樹7年の年月、育ってきた松の枝打ちがなされていました。

奇跡の一本松。
名勝高田松原の松の約7万本のうち、ただ1本だけ生き残った松の木です。

一本松は震災後に残念ながら枯死しましたが、陸前高田市が寄付金により現状の形でモニュメントとして再整備しました。復興のシンボルとなっているのです。
枯死した松は一旦根元から切り倒し、幹の外観はそのままに、中に特殊素材の心棒を差し入れて、枝葉はそれらしくつくり直したものをつけて、コンクリートの基礎の上に立たせたもの、これが今日の「奇跡の一本松」です。

復元工事中の写真。現場の説明看板から。

一本松手前、海岸側にあった旧陸前高田ユースホステル。
利用者減のために震災の年2011年1月より休業、当時は無人だったということです。
7万本もの松が一斉にさらわれた中でただ1本姿を留めた松は、このユースホステルによって守られたのです。
建物が津波の力をやわらげた、緩衝の効果があったものでしょう。

かの詩画で有名な星野富弘の詩に「竹」(『鈴の鳴る道』偕成社1985)があります。それを思い出しました。

竹が 割れた
こらえに こらえて倒れた
しかし竹よ その時おまえが
共に苦しむ仲間達の背の雪を
払い落しながら倒れていったのを
私は 見ていたよ

ほら 倒れているおもえの上に
あんなにたくさんの仲間が
起き上がっている

この深遠な詩風景は、ともするとサンテンイチイチ、東日本大震災全体の底に流れる主調音なのかもしれません。

御年81歳の加藤登紀子さんのコンサートに行きました。筆者は学生時代以来の久しぶりのコンサートでした。彼女の歌はずいぶんと聴いてきたものです。
マニアックかも知れないけれど、「アマンダの思い出」「あなたの気配」「あなたの行く朝」は特に好きです。
コンサートは被災地・被災者に寄りそったものだったと思います。
筆者たちの席ほぼ最奥・最後方でしたが、2列前のご婦人が終始涙をぬぐって聴いていた姿がありました。抱えきれない悲しみを背負ってここまで来たのでしょう。それが彼女の歌と語りで慰められたのでしょう。

ある歌にまつわることで加藤登紀子さんに直接聴きたいことがあって、筆者は本人に手紙を送っていたのですが、「お会いしたいものだ」という返事をいただいての対面となりました。
3月1日、コンサートが終えたあとで。
この歌についてはここで触れることはできません。いつかその機会がありますように。

そのお登紀さん、筆者を見るなり、目をシロクロさせて、「あっ、松本零士だ!」という大きな声(笑い)。
何というご挨拶、だと思いません?(笑い)

友人の山内君夫妻と。

自慢の生ワカメのしゃぶしゃぶはたまりませんでした。茶色のワカメがあざやかなみどりにさっと変わってゆくマジック。
こちらから送った米沢の銘酒・雅山流(がさんりゅう)、彼が用意してくれた地元特別醸造の山葡萄ワイン/八瀬ワインがはかいきました。いやあ、うまかった。
よい夜でした。

リアス・アーク美術館の充実した展観、5メートルもの高さまで嵩上げして整備した新しい気仙沼の中心市街、延々とつづく防潮堤…。
記憶に留めるべく景色の数々、たとえ15年が経ったとはいえ、心に刻まれたよい旅でした。

家に帰れば、冬に逆戻り。
今年は少ない雪とはいえ、ここにも春がはやく来てほしく思われる15年が経過したサンテンイチイチ。

それじゃあ、また。
バイバイ!

 

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