exhibition

クラフト展の時間

 

本日は(2024年の)10月13日、天気は快晴です。

前回のsignalは開催が迫ってきた「ルーザの森クラフト展」の案内という主旨でしたが、今回はその後のこと、クラフト展期間中のことをつづってみたいと思います。
題して「クラフト展の時間」。

写真はほぼオリジナルですが、中にはMさんとSさんから提供を受けたものが含まれています。その写真には下にmおよびsを付しています。

このA5判のチラシはラクスルにインターネットで発注して400枚をつくったもの。
デザイン的には前回とほぼ同じではあるものの、モンドリアン風の色面分割の面の色を前回のローヤルブルー/royal blueともいうべきものからやや赤みを帯びさせ紫紺(しこん)=グレイプ/grapeに変えたことがひとつ、それからキャッチコピーを前回の、

あなたの
 ひと日の幸いをいのる しずかな朝
 ひと日の業をつつむ やすらう夕べ …ドアリラ

あなたに寄りそうやさしい音色 …ドアリラ

から

ドアを通って
 しあわせがひとつ
 しあわせが また ひとつ
 やさしい音色…、ドアリラ

大切なひとの、特別な日のために
あなたの、安らかな時間のために
 素敵な日々のために

に変えたことが大きなところです。こういう部分には時間をかけて気をつかいました。
植物画展の同時開催ということで、その絵をあしらったことも大きなことでした。

誰も気づいていないと思うけど、この約7年の間に工房の看板の木の素地が痛み、「ルーザの森クラフト」の糸ノコでくりぬいた文字の部分を白のアクリル絵の具で化粧直しをしました。

電柱を一時的に借りて案内板を6箇所に設置しました。
そうして、当日初日の9月28日(土)を迎えたのです。

m

玄関を入ってすぐの芳名帳。
わきに立つこけしは、(山形)肘折系の名工・佐藤巳之助の逸品です。
こけしといえばこの顔、と惚れ込んだものです。

玄関先のしつらえは骨董の醤油の通い瓶に、実のついたガマズミ(莢蒾)の枝を挿しました。ガマズミは秋を代表する植物のひとつ。
北原白秋の「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」の赤い実はガマズミだったと思うなあ。
ガマズミを食せば少々酸味があってとてもジューシー、これはクマの大好物であり、我が家はこの実で果実酒をつくって常備しています。

リビングのしつらえは何がいいだろうと思案したのですが、この時期なら野生のキクイモ(菊芋)の花は今が盛り、ということで数本を勝手にもらって活けてみました。
このキクイモの群生地は野生動物の食糧基地、春先に雪が解けて黒い土が現れ出すとサルやイノシシが一斉にくりだしての芋ほりがはじまるのです。

それから遠くに住む友人が花を届けてくれ、近場のひとも花を携えてやってきてくれ、展示会の器としての会場は華やぎました。

今回の展示会はドアリラ(およびわずかカトラリー等)と植物画がメインではありますが、壁面に常時飾られているものも見ていただきました。
下は、日本を代表する彫刻家の佐藤忠良(1912-2011)のブロンズ作品「北の少女」。
前回のsignalで明かしていますが、このブロンズはある大手建設会社が忠良に型を依頼し、鋳造して株主に配ったペーパーウエイトです。それをオークションで入手して額装したのです。
どこから見てもCHURYO、とても気に入っています。

下は、「よしの十八歳」という題の筆者制作の版画(一版多色木版)です。1987年の作。
浮世絵に代表される陽刻=多版多色木版なら何枚でも刷りが容易で可能ですが、これは陰刻、彫るのは簡単ながら一枚を刷るのに相当の時間を要します。
よしのはちょうど20年前に亡くなった筆者の母、彼女が18歳のときに兄が出征することとなり、おめかしをして兄と一緒に写真館にて写真に収まったのです。その白黒写真をもとに、色彩を当てはめたらどうなるだろうとつくったのがこの版画でした。

以下は、メインの展示場所である常設のギャラリー。
ここはドアリラなどの最終組み立ての場、塗装の場所でもあり、アトリエを兼ねているところです。

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ギャラリーには木地山系こけし工人の故・阿部平四郎の言葉を掲げて、ものつくりの自分を励ましています。
なお、言葉の上の大きなドアリラは約20年前にありあわせの材料でつくっていたもの。筆者のドアリラつくりの原点ともいうべきものです。
ライアー(竪琴)のチューニングピンに出会い、コード(糸、紐)に出会い、木球に出会って本格的な製作に入ったのは約8年前のことでした。


ギャラリーのインテリア、ノイバラ(野茨)をドライにしたもの。

お客様がおいでになって。

以下の写真は展示会期間中のごく一部です。

展示会のことがこの4日(金)に新聞記事(山形新聞)となったこともあって、直接の案内を差し上げた方だけでなしに、米沢市内や置賜一円はもとより、山形市や河北町など遠方からもおいでいただきました。
庄内からのお問い合わせもありました。

実になつかしい再会もあって。
筆者が上京したときに、当時は東京にお住いのIさん夫妻に銀座のビアホールのライオンに連れて行ってもらったことがありました。当時がとてもなつかしいです。

ここは、リビングに特別に設置したカトラリーなどの製品群。
前回の展示会から空白の6年には十分な時間があって、特に雪に閉ざされる冬につくっていたものたち、雪がしんしんと降るなかから生まれてきたものたちです。
クリスマスツリーとしてのベアツリー(bare tree/裸木)、木は幹があって枝があれば十分と思ってつくったもの。我が家のクリスマスツリーはいつもこのベアツリーです。

ペーパーナイフやバターナイフ、ジャムスプーンなど。
機能とうつくしさをデザインに落とし込んで追求したものでした。
その追求の時間はとても楽しく充実したものでした。


たとえばバターナイフなら微妙に形状のちがう50本近い試作品をつくり、友人等に送って、その使い勝手を聴いた上での製品化でした。

お客さんははるばる静岡から。
昨年の月山登山でお会いしたYさん、紅葉の栗駒山を登ったその足で寄っていただきました。

廊下を展示ギャラリーに見立てた植物画の作品群、植物画はすべて友人のヨシダエツコさんの手になるものです。

基本、この植物画は非売としていましたが、どうしてもほしいという方がいらして、ヨシダさんと相談の上お譲りしたものも何点かあります。
それらの絵は筆者のつくった額ともども、これからあたらしい場所でかわいがられながら生きていくのだと思います。それは作品としては幸いなことでもあると思われ。

それにしても、静謐な世界。
作者が対象とどう向き合っているのかが伝わってきます。

日ごろからたいへんお世話になっているAさんが娘さんともどもおいでになりました。
Aさんは96歳の現役の農婦、栗園のオーナー。
日々課題があることの強さともいうべきか、いつも精気に満ちています。筆者が最もリスペクトしているひとのおひとりです。
ただしこれは9月7日のこと、ちょうど展示会の準備をしているところに、「まだやってっか、終わったのが?」と言って来られたのですが、1か月ちがいの勘違いだったようで(笑い)。

同じ町内会の方たちも来てくださって。
日ごろの世間話やらで楽しい時間が過ぎました。

おなつかしいご夫妻もおいでになって。

近くに住むご婦人が熱心にスマホを向けている先にあるのは、実は娘さんが製作したカレンダーです。
この春にその父上がおいでになってカレンダーを筆者にプレゼントしてくれたのでしたが、付属のプラケースでは味気なく、筆者は木材で専用の飾りケースをつくって飾っていたのです。
それに目をとめてくれた母上が感じ入って写真に収めているという図です。

ポストカードサイズのカレンダーを専用のケースに収めて。

その娘さんは、知るひとぞ知る、ちぎり絵作家のウメチギリさん。
ウメチギリさんの絵本を持っているという上山のIさんが、父上母上それから後日にウメチギリさん本人とよき縁を結ばれたようで。

ウメチギリさんが別日に娘さんとともにおいでになりました。

天童と、福島は郡山、それに神奈川の寒川から。
遠いところ恐縮でした。ようこそおいでくださいました。

テーブルの片隅に置いていたふじ(リンゴ)、実はこれは筆者の木彫作品。
匂いをかぐひともいて愉快だったなあ(笑い)。

横須賀の友人のOさんが、定宿にしている福島県奥会津は柳津町の山あいの鄙びた温泉地、西山温泉の老沢旅館の大女将とその息子さんをお連れして来てくれました。うれしかったです。
大女将のタミ子さんには筆者もとてもお世話になっているし、是非に米沢にとお誘いしていたこともあって、それが実現したのです。

この6月に筆者は尾瀬・燧ケ岳登山の帰りに老沢旅館に宿泊してきたのでしたが、下は、その直後に出た朝日新聞の記事、在来作物のひとつの「五畳敷芋」をひとり守り続けているタミ子さんを追った記事です。
筆者はそのことを新聞ではじめて知ったのでした。

五畳敷芋記事2406

筆者はタミ子さんに所望し、無心しましたよ。是非今度、その五畳敷芋とやらを食べたいと。何としても食べたいと(笑い)。
それに対して彼女はこころよくOKしてくれました。うれしかったです。
暮らしに希望がまたひとつ加わったという感じでした。

自宅からすぐの森の広場。
ここにテーブルと椅子を用意して、いかようにもくつろげるようにしていました。
何人かの方が散策を楽しんだり、ここで昼食をとられたようで。

森の広場の焚火のかたわら、植物画の作者のヨシダエツコさん。
彼女は展示会の期間中を通して、筆者の片腕としてよく動いてくださいました。それは、長いつきあいとはいえ感謝のしようがないほどです。

なんで昼から焚火かというと、炉の底が雨で湿っていてそれを乾かして夜の焚火の燃えをよくしようとしてのことです。

夜の焚火?
あることをきっかけにここ2年半ほどメールで交流を続けていた神奈川は逗子にお住いのMさんがおいでになることとなり、さらに泊まっていかれることとなり、それではとこちらから所望したのがマンドリンを持ってきて、ということでした。彼女はマンドリン弾きなのです。
その音色を漆黒の夜に、焚火のかたわらで聴くことができたらどんなにか素敵だろうと想像して、思いはどんどんと膨らんでいきました。

その会の構想をやりとりしているうち、「わたしが伴奏するのでうたってほしい」「こんな歌が好きです」「賢治の、「「花巻農学校精神歌」」が聴きたいな」、「茨木のり子の詩の朗読などがあったらいい」という希望があって、こちらからは「武満徹の「「小さな空」」がいいな」「唱歌ではこんなのはどうだろう」…、と加除修正をしつつプログラムを固めていったのです。

マンドリンの音色を筆者と相棒だけで聴くのはもったいないこと、それではとヨシダさんはもとより身近なひとたちにも声をかければ、急な呼びかけながらいずれもふたつ返事のOK、それで計9人の会と相なったのでした。
じゃあ、自分は芋煮をつくってくる、一品を提供しますといううれしい申し出もあって。

やりとりしながらつくったしおり。

この「なつかしいうたの夕べ/マンドリンの夕べ」のプログラムを記しておけば…。

[朗読]
注文の多い料理店 序(悦)
注文の多い料理店 広告(悦)
[うた]
・星めぐりの歌
・見上げてごらん夜の星を
・朧月夜
・椰子の実
・知床旅情
・琵琶湖周航の歌
・里の秋
・ふるさと
[朗読]
茨木のり子の詩から(和)
[演奏]
ダニーボーイ(柚)
エーデルワイス(柚)
[うた]
・早春賦
・夏の思い出
・遠き山に日は落ちて
・浜辺の歌
・冬の星座
・小さな空
・花巻農学校精神歌

最後の、賢治の詞になる「花巻農学校精神歌」は土とともに生きる民のうた、詩的な言葉のつらなり、人生の道しるべのような、普遍的な希望のような。これがすごく好きです。
この歌詞に惹かれ、筆者は我が家の墓にこの歌碑を添えています。
花巻農学校の流れをくむ現在の花巻農業高校ではこの歌を今も第二校歌として歌っているとのこと。
花巻農業高校の校舎には、4番の歌詞の最後「ワレラヒカリノ ミチヲフム」がスローガン?校訓?として掲げられてもいます。
こういうのを、カッコイイというのです。

焚火に興じつつ、干しいもを炙っている面々。 

自分で手がけたサトイモを使って、米沢流芋煮をつくってくださったイワオさんと。
ごちそうさまでした。とてもおいしかったです。さすがは米沢の味です。

マンドリンの伴奏に、なつかしい歌々をみんなで口ずさんで。 

これまで準備のために気を張りつめていたためか、仲間たちがこころよく参集してくれたうれしさのためか、そしてこころの琴線にふれるマンドリンのやさしい音色がかぶさってか、筆者の目から真珠のような(笑い)涙がひと粒、ふた粒。
感動的な夜であったのは確かです。
後日、イワオさんと電話でしゃべっていたならば、感激して涙が出た、と言っていたものです。やはりです。

ご参集の仲間たちと。
焚火のある暗闇の森の中に、よい時間が流れました。
きっと森の動物たちも聴いていたはず、クマもイノシシもリスも、タヌキもキツネもアナグマもみんなみんなやってきていて、そしてぐりとぐらもきっと来ていたのです。そして、うっとりしていたかも(笑い)。

翌朝のMさん。  

秋です。

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このときは米沢市郊外にお住いのTさんが猟師から回ってきた(いただいた)というクマの手の話題で持ち切り。
西置賜の小国町の山あいの食堂(小玉川の越後屋)では「熊の手そば」というメニューがあり、1杯10万円とのことです。本当のことです。
そんな話題も加わっての大盛り上がりのひと時でした。

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クマの手をつくって見せる、相棒のヨーコさんの変顔ときたら!(笑い)

遠く気仙沼より友人のY君が泊りがけで駆けつけてくれました。

何を隠そう、Y君は書家。
下は彼の揮毫による茨木のり子(1926-2006)の代表的な詩「六月」です。
Y君は今年の毎日書道展で「毎日賞」を受賞、この書も価値がグンと上がったりして(笑い)。

いい加減に酔っぱらっています。
もうすぐ、あるいはそうは遠くない時期に、70歳を迎える4人(笑い)。
自分ももうすぐだけど、信じられない(笑い)。

この日も朝からお客様がおいでになって。

はるばる仙台より。もう約40年ぶり?の再会。 

はるばる宇都宮から。共通の友人のHさんがおいでになって。

仙台から、大崎地方の加美町から。
筆者たちが11年住んだ仙台時代にたいへんお世話になった方々。
この出会いがなければ今の自分はないくらいの恩義を感じています。

筆者たちが約35年前に米沢に来たころからのおつきあいの面々。
いやあ、ご無沙汰してました、お久しぶりでした。お会いできてうれしかったです。

隣りの高畠町から仲良しのお三人で。

石巻からKさんがはるばると。なつかしい話題がポンポンと。

笑顔が花咲いて。

これはこれは、もしかして小林克也さんじゃないですか(笑い)。東京からようこそです(笑い)。
これは冗談、でもそっくりですよね(笑い)。
本当は今は埼玉の幸手でラーメン屋を営む友人のお兄さん、西置賜の白鷹よりおいでくださいました。
地元の「うたの会」に入って活動しているということで、昨年は北海道、今年は佐賀でうたごえを披露されるのだとか。

いろんなひとと会い、いろんなことを話しました。
期間中のある日、閉展時間を超えるが訪ねていいかという電話があって、特に用事という用事があるわけでないのでおつきあいしたことがありました。
その女性は、小学校に勤めているが定年まではあと2年と迫ってきた、その後再任用で雇ってもらえなくはないが、その選択はしないつもり。これからは今まで抑えていた自分の好きなことをし、自分の好きなものに囲まれて暮らしたい。充実した時間を過ごしたいという話でした。
ずっと耳を傾けながら思ったのです。時間は有限だと、致死率100%、自分の場合もそうだけど残されている時間はそう多くはないのだと。やはり思い描いていることを着実に一歩ずつなしていきたいものだと。
サシで向かい合っての幸福な時間、深い瞳だったなあ、期間中にはそんなこともあったのです。

そうして、展示会に流れた時間は終末を迎えました。
案内看板を回収してきました。

今後どれだけ展示会をできるかは分かりませんが、予定としては2年後の2026年、筆者の70歳記念の年に開催できればと思います。それまでの2年間、ものつくりを存分に楽しみつつ、製品の研究と開発に勤しみたいと思っています。乞うご期待です。

普段はあまりひとに会うことのない筆者のものつくりの暮らし、この展示会の9日間は数年分にも匹敵するような、何と濃密な時間が流れたことだろうと思います。これに対してヨシダさんは、「1か月を濃縮した時間」と言ってましたが(笑い)。このちがい!(笑い)

終了からだいぶ経つけど、まだ身体はフワフワ、気持ちもホワホワで、いまだ余韻があとを引いています。
でもそろそろ切り替えて、仕事に取りかかります。
雪が迫っています、冬支度は待ったなしですから。

今回の展示会にあたり、お忙し中、わざわざ遠いところからも足を運んでいただき、とてもありがたかったです。
またさまざまなお届けもの贈りもの等を頂戴し、とても恐縮しました。本当にありがとうございました。

ドアリラ記事2410

それじゃあ、また。
バイバイ!

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