本日は(23年)5月19日、昨日の猛暑から一転、肌寒い日です。
今年の5月は総じて気温が低く推移し、あたりを歩いても霜でやられてしまった草やワラビが黄土色や茶褐色に変色してしまっています。
農家は今、農作物の管理に頭を悩ましているやもしれず。
5月といえば筆者たちにとっては、条件反射のように、ゼンマイ採りということになります。
年中通して使う食材としてのゼンマイを採るということはもちろんだけど、若いみどりの森の中を歩くのは何よりたのしいこと、野鳥のさえずりを聴きながらの時間は何にも代えがたいのです。
ということで今回のsignalはゼンマイ採りのこと、そしてそのあとのこと、題して「ゼンマイと日輪」です。
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季節は加速度的なスピードで進み、ここらルーザの森も万緑の名にふさわしい風景になってきました。
エゾハルゼミ(蝦夷春蝉)の初鳴きが17日、そしてホトトギス(不如帰)がやってきたのは昨日18日、それからついさきほどはアカショウビン(赤翡翠)がヒュルルル~~という美声を響かせたところでした。
この三者の登場によってあたりはいよいよ初夏の装いとなってきています。
このひとたちは、明確な初夏の指標なのです。
庭のホオノキ(朴木/モクレン科モクレン属)の若木がトップの葉を大きく展開しだしました。
アオダモ(青梻/モクセイ科トリネコ属)の白いポシャポシャの花が咲きました。
森に日が降りそそぎ…、
万緑にあって、レンゲツツジ(蓮華躑躅/ツツジ科ツツジ属)が咲き( んーん、何ともいえぬ趣深い緋色だ)、
万緑にあって、ヤマツツジ(山躑躅/ツツジ科ツツジ属)が咲き( んーん、何ともいえぬ趣深い韓紅だ)、
そんな13日に、森に入ったのです。
久しぶりに見たたくさんのシドケ(モミジガサ/紅葉笠/キク科コウモリソウ属)。
先日、福島は西山温泉(柳津町)の知り合いと電話で話していて山菜の話になり、自分のところではシドケは出るけれども採って食す習慣がないと言っていました。
ところ違えばの例です。
めざしたとおり、今年もゼンマイ(薇/ゼンマイ科ゼンマイ属)に会いました。
今回のゼンマイ採りは早くもなく遅くもない、時期がバッチシでした。
こういうタイミングというのはそうあるものではありません。
少し湿ったスギ林の林床のぽっかりと日が差すあたりによいものが見られます。
枯れたスギの葉が毛布のようになって寒さを防ぎ、ゼンマイが成長するのを助けていたみたい。
スギ林を抜けて広葉樹の林に至るあたりにイワカガミ(岩鏡/イワウメ科イワカガミ属)が咲いていました。思えばイワカガミというのは、ちょうどゼンマイが出る頃に咲くのでした。
こういう花を見つけるとうれしくなってエネルギーが増します。
ほんの標高400メートル弱のルーザの森にあってこのイワカガミの花姿は独特です。
ともするとイワカガミの本来の故郷は高山あるいは北方で、そこから気の遠くなるような長い時間をかけて徐々に温暖な麓に順応してきたのではとも想像させてしまう花です。
手にしたゼンマイ。
ゼンマイはひとつの株に対してふたつのものがあって、栄養葉(女ゼンマイ)だけを採ります。
頭がゴワゴワした塊りになっているものは胞子葉(男ゼンマイ)で、こちらは残しておきます。栄養葉でも小さなものも残します。
採る・残すといった暗黙の瞬時の判断が、来年以降の出を左右していくのです。
地元の者は永続的に採れることを考えながら採っていきます。
下で、右に見えるのが胞子葉、左の綿をかぶったものが栄養葉です。
雪崩のあとなどの空がぽっかり見える広葉樹の下には(そこは山の滋養が流れつくということか)太くてよいゼンマイが多く出ているものです。
ゼンマイの栄養葉が育ったもの。
ゼンマイの秋の黄葉。
これはこれでうつくしいものです。
そうして歩き回って2時間ほど、肩のリュックをいっぱいにして。肩の荷は約10キロ。
相棒の、「ツカレテシモタ!」(笑い)。
リュックに満杯のゼンマイ。
帰りの谷川で。
谷川の底は凝灰岩の一枚岩。
川底も含め、ルーザの森全体が巨大な一枚岩なのだと思います。
谷川の流れに映る樹の影。
ひかりの中の深呼吸…。
これがゼンマイ採りの頃の味わい深い時間なのです。
いつもの笊籬淵は閑か。
淵は静かに青い水をたたえて…。
溪と、みどりと、水と、ひかりのセッション、シンフォニア。
ゼンマイ採りの頃のウォーキングがたまらないのはこういう極上の時間を持てることなのです。
*
家に帰り着けばさっそくにも(ゼンマイの茎の堅い部分を1本1本折り取る)下処理が待っています。
ほどなく下処理に取りかからなければ、その日のうちに終わることはありません。
以下の写真は昨年までの、天候に恵まれたときの画像です。
野外に薪ストーブを設置し(この鉄板1枚プレスの時計型ストーブはもう25年ものです。そろそろ限界です)、ここでゼンマイを茹で上げ、簾(すだれ)に広げては天日で急速に乾かし、乾き具合を見ては2度3度と手で揉み込んでゼンマイの腰を強くしていきます。
そしてカラカラに乾かして出来上がりです。
けれども天気というのはそうもこちらの望み通りにはいきません。
今回ゼンマイ採りに入った日は晴れてはいましたが、午後は曇りから雨、翌日以降は雨の予報だったのです。こうなるといつもとは様子が違ってきます。
今回のふたり合わせたゼンマイの総量は、約20キロ。
他の場所にもいいゼンマイが出ていることは分かっていたのですが、それを見捨てて戻ってきました。
もう背中が重くて痛くて、歩くのもヨッコラカッコラ(笑い)だったゆえ。
この20キロは干しあがれば、わずか1.8キロから2キロほどになっていきます。
茹で上げのための薪ストーブは今回、雨が予想されたため、野外ではなく薪小屋の空いたスペースの中に設置しました。
ストーブの下に空間を設けて、火が危なくないように気をつけながら。
一輪車の中にあるのが、下処理したゼンマイ。
沸騰した鍋(取っ手を取りつけた炊飯器の廃物利用)にゼンマイを入れると水は濃い臙脂色に変わっていきます。
ゼンマイを茹でるときの特有の豊潤な香りがあたりに漂います。
あざやかなみどりが少し褪(さ)めた色に変わる頃が引き上げどきです。
そして予想通りに天気は雨模様。
こうなるとゼンマイづくりはたいへんなことになります。管理する者にとっては、神経を使う、たまらない時間が過ぎます。
ゼンマイを干しあげるのには太陽の熱とひかりが絶対条件なのです。
その絶対条件がなくて、かつては乾燥の途中に腐敗を招いたこともあります。とっても悲しいことですが、せっかくのゼンマイが台無しになったこともあったのです。
だから、ゼンマイ干しのときに雨が降る、太陽が雲に隠れている、太陽が顔を出さないことのコワさを筆者たちは実感して知っています。
それで今回は、筆者のデスクワークの場所である部屋(工房と併設のルーザヒュッテ)を思い切って乾燥場にすることにしました。背に腹は代えられません。
敷きつめた3枚の簾(すだれ)にいっぱいに広げた茹で上がりのゼンマイ。
薪ストーブに火を入れ、サーキュレーターを“強”にして回し…、
ときに、本降りの雨で…、
乾燥の度合いに応じて、揉みを入れて(これが製品の良し悪しを大きく左右する)…、
工房用扇風機も動員し、“強”にして首を振らせて風を送り…、
室温は43℃まで上がり、湿度は28パーセントまで下がり…(拷問のような環境だ)(笑い)。
気が抜けない時間が経過します。
そうして火の管理をしながら、適宜に揉みを入れながらの一昼夜が過ぎました。
筆者はもうヘロヘロに疲れてしまいました。
ゼンマイをつくり上げるというのは手間がかかるものなのです。特に、日差しがないときは悲惨なほどに。
それほどまでして? と不思議に思うでしょうが、それは筆者たちがゼンマイの魅力に取りつかれているからです。
このゼンマイの煮物が食べたいのです。どうしても食べたいのです(笑い)。
もうそれは身体にしみついて離れない味と食感なのです。まさにアイデンティティそのもののような(笑い)。
当地方では盆や正月や祝い事などのハレの日はもちろんのこと、(特に我が家では)1年を通して折を見てこの煮物をつくります。
また、当地方の温泉旅館の多くが旅人へのもてなしとしてゼンマイ煮を年中、メニューに加えているものと思います。そう、ゼンマイ煮は何よりのもてなしの意味があるのです。
まさに風土が育てた料理、それがゼンマイ煮です。
都会の真ん中の小料理屋でゼンマイ煮をじっと見つめて、目に涙をためている者がいたら、そのひとはまちがいなく雪国出身者だと思います(笑い)。
そういう時にはお願いだから、そっとやさしく、涙をためるバケツを差し出してくれまいか(笑い)。
思えば、雪国に生まれ育った者の幼い頃の、冬の食の単調なこと。一昔前を生きた者ならえてしてそういう記憶を持っているはずです。
特に筆者の家は農家ではなかったから保存する食材も少なく、貧しかったし。
物流がまだ発達していなかった頃の、海からは遠い雪国の内陸部のこと、冬分の魚といえば塩を飽和状態にして保存したしょっぱい塩引き(マスやシャケ)ぐらい、塩ホッケはたまに食べたかもしれない、クジラやイルカの塩ベーコンもあったなあ、乾燥物の棒ダラは高級で正月に出るくらい。
新鮮な野菜などないから塩漬けの菜っ葉を戻したり、乾燥させた葉ものを戻して煮込んだり、塩抜きしたキノコを出してきたり、そして時に干しゼンマイを使った煮物が出たのです(ただし筆者が子どもの頃に住んでいた場所にはそうはゼンマイが採れるものではなく、干しゼンマイをつくったとして少量だった)。
そうして、どのようにして冬を食いつなぐか、そのためにどのようにして食材を保存するか、雪国のひとびとは昔から知恵を働かせてきたのだと思います。
下は隣の高畠町の“道の駅たかはた”の店頭にあった保存食の数々です(店に断りを入れて撮影させてもらいました)。
食材の保存の名残りが今に伝わっています。
下は“こめごめ”の乾燥物。
“こめごめ”の標準和名はミツバウツギ(三葉空木)です。
可憐な花などお構いなしに、カタクリ(片栗)も乾燥させて。
大いに余ってしまったのだろう、クキタチ(茎たち。薹/とうが立った野菜。アブラナ/油菜のもの?)も乾燥させて。
米沢の町の基礎をつくったとされる直江兼続が奨励したというウコギ(五加木)の乾燥ものもあり。
そして、ワラビの塩漬け。
たくさんの種類の乾燥品、保存食品。
干しゼンマイはまだ出ていませんでしたが、もうすぐ、たぶん100グラム当たりで(品質にもよりますが)2,000円から3,000円くらいの値で並ぶのだと思います。
とても高価に思えるかもしれないけれど、それだけゼンマイは製品にするまでの工程と苦労は多く、さらには利用価値が高いということなのです。
下は、我が家のコゴミの塩漬けです。食べて、配って、送って、差し上げて、それでも残ったものを漬けているところ。
現在はワラビがどんどんと出ている最中で、ワラビも同様に漬け込んでいます。
我が家は食材の保存を大切にしています。
そうしてお日さまが顔を出したのは、ゼンマイ採りに入った日から4日後のことでした。
待っていました、お日さまを。
待っていました、太陽を、お天道さまを、そして日輪を(日本語って、なんてこうも豊かなんだろう!)…。
これで、ゼンマイの乾燥の仕上げができます。
うれしいです、実にありがたいことです。
筆者は、まごうことなき日輪教の信奉者です(笑い)。
宮澤賢治に、自身が作詞した「精神歌」という歌曲があります(作曲は川村悟郎)。
現在も花巻農学校の後身にあたる花巻農業高校の第二校歌として歌い継がれている佳曲です。
歌われる詞の何とすばらしい詩的な世界であることか、これは筆者の愛唱歌のひとつでもあります。
全四連、各冒頭の「日ハ君臨シ」は賢治の思想の根本、これを現代のひとびとがないがしろにしたり忘れているために原発だ、戦争だと飛躍するのだと思います。愚かなことです。
そう、すべてのいのちの源には「日ハ君臨シ」があるのです。
日ハ君臨シ カガヤキハ
白金ノアメ ソソギタリ
ワレラハ黒キ ツチニ俯シ
マコトノクサノ タネマケリ
日ハ君臨シ 穹窿ニ
ミナギリワタス 青ビカリ
ヒカリノアセヲ 感ズレバ
気圏ノキハミ 隈モナシ
日ハ君臨シ 玻璃ノマド
清澄ニシテ 寂カナリ
サアレマコトヲ 索メテハ
白堊ノ霧モ アビヌベシ
日ハ君臨シ カガヤキノ
太陽系ハ マヒルナリ
ケハシキタビノ ナカニシテ
ワレラヒカリノ ミチヲフム
少しでも日が当たるよう、場所を変えて。
そして今年も何とか干しゼンマイができあがりました。梅雨入り前の大きな仕事のひとつでした。
この量は当然自家消費できるものではなく、親しいひとに送ったり、訪問の時にはお土産として持参したり、お客があったときには持って帰ってもらったりします。
干しゼンマイはとかく重宝します。
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5月の、あたりの白い花、
ガマズミ(莢蒾/ガマズミ科ガマズミ属)の花。
ホオノキの、何とも豪華な花。
ユキザサ(雪笹/ユリ科マイヅルソウ属)の花。
時はぐんぐん進んで、夏が近くなってきました。
エゾハルゼミの大合唱も間近でしょう。
それでは、本日はこのへんで。
じゃあまた、バイバイ!
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