本日は(2025年)11月29日、快晴でした。
このところ、仕事がひと段落すると夕空を見上げることが多くなってきているのだけれど、夕焼けがきれいです。
観天望気で夕焼けは、明日は晴れるという約束ごと。それから一日の労働を祝福してくれているような色合いがいいです。
吉野弘に、そのもの「夕焼け」という詩があるけど、あの清澄な世界はずっと心にあるなあ。
この17日の夜には雪マーク通りに雪が降り出し、朝には5センチほども積もっていました。そのあとは降ってはいないけど、もう冬、本格的な雪ももうすぐです。
そんなことで今回のsignalは、「冬へのガンガク」という題でつづっていこうと思います。
ガンガク?
これは米沢をふくむ置賜(おいたま、おきたま)地方の方言で、「備え」「準備」「段取り」のことを指します。幼い頃から聴いていた、このガンガクという言葉が筆者は好きです。
*
冬へのガンガク。
米沢市の東の郊外に位置する筆者たちの町内会には6つの隣組があって、29世帯、77人の住人がいます。
ご多分にもれず、少子高齢化と人口減少が急速に進む典型的な過疎地帯です。
以前も触れたけど、筆者は今、(隣組輪番の)町内会長を務めており、この8月に、ある隣組の住民から相談を受けていました。それは、隣組を通る市道に民地からの樹木がはみ出し、道路が狭くなって歩きづらく、クルマも通りづらくなっている、その支障木の撤去のために市と掛け合ってくれないかというのです。
支障木は、かなり前に廃業しもはや建物自体が崩れかかったラブホテルの敷地からのもの、こういう場合、事業者はひとに迷惑がかかろうがどうなろうが我知らず関せずなのです。
よそ者というのは、どうにも身勝手なものです。
それで市道を管理する米沢市は、再三再四、事業者への要請・勧告をしたとのこと。けれども一向に応じる気配がなく、強制的な伐採と撤去やむなしの判断をしたのでした。
この間、3か月もかかりました。
夏場、民地からの樹木がはみ出して、道路の3分の1を占めるまでになっていました。
で、その様子を見てみると約100メートルにわたるものすごい作業量、これを隣組だけでやるのはとても無理というもの。
そこで協力願いの文書(回覧)を会長名で出したのですが、当該隣組からの4人に加え他から7名が駆けつけてくれたのでした。これには、隣組のキャップも筆者もとても感激し、涙ポロポロでした(笑い)。
困っている時の助け合い、コミュニティーがいかに縮小しようと、この結びつきがあれば大丈夫。
チェンソーで、刈り払い機で、ノコギリで、フル回転の力仕事。
木の枝を主なものとして、軽トラに満載して7杯分の作業でした。
みなさん、よく働きました。お疲れ様でした。
これで除雪車の運行もスムーズでしょうし、ひとはもちろんクルマの通行もゆうゆうです。
*
冬へのガンガク。
中島みゆきの初期の歌に「冬を待つ季節」というものがあるけど、その中に ♪ 春夏秋は冬を待つ季節 ♪ というサビ部分があります。
まあこれは、季節を男女の恋愛になぞらえているのでしょうが、このフレーズは雪国のためにあります(笑い)。
雪国の場合、冬をいかに越すか、それが人々の一番のキモ(肝)なのです。
雪国では、季節は冬を中心に回ると言ってもいいのです。
下は、今年でも来年でもなく、再来年の冬以降のための薪の調達。常に、先々が大切なのです。
長いあいだ森に暮らし、薪ストーブで暖を採る生活をしていると、それに関してもいろんなつきあいができてくるものです。
ずっと昔から懇意にしてもらっているアキオさんは電力会社の支障木の伐採もやる方で、その支障木をいただけることに。ありがたいことです。
保管場所の現場に行けば、一旦自分の仕事を中断し、わざわざ重機を使って軽トラの荷台に載せてくれて大いに助かりました。
この秋はこうして7回ほども薪材を頂戴して運んだことでしょうか。
雪も近いので、道路の美化のために設置していた看板を回収してきました。
これのおかげもあってか、道路へのゴミのポイ捨てはずいぶんとなくなってきました。
冬へのガンガク。
18日朝、雪が積もっていてあわてました。冬への備えはまだほとんど手つかずなのです。
除雪機を格納し材料置き場ともしている小屋(リス小屋…リスの看板をつけているので)に、板を落として壁をつくって、雪囲い。
薪小屋に覆いをして、雪囲い。
窓という窓に板を渡して、雪囲い。
こうしないと、屋根からの大量の落雪の跳ね返りで窓ガラスが割れてしまうこともあるのです。
何せ昨季のここの最大積雪深は245センチでしたからね。
半端ではないのです。雪の脅威を知らない者にしたら卒倒するぐらいなのですから(笑い)。
市の除雪車のための目じるし、それから家庭用の除雪機を安全にスムーズに動かすために、竹竿を8カ所立てました。

冬へのガンガク。
新聞販売所の着任間もない所長がいらして、雪が降って除雪が大変になってくる頃からの新聞配達が心配、できれば(200メートル先の)T字路に新聞受けを設置してくれないか、と言うのです。かつてはそういう対応をしてもらっていたということを聴いているので、と。
確かに、冬場の新聞配達はたいへん。除雪の関係で普段は朝5時前の配達が午後の3時ぐらいになったこともあり。ましてやT字路から先の我が家までの除雪は十分でないのはわかっており、要望を聴き入れました。
で、専用の、T字路の立ち木にくくりつける新聞受けをつくりました。
そしたらなんだか、主屋の新聞受け郵便受けのポストも新調したくなり、ついその気になって、思い切ってつくり替えました。
かつてのものは引っ越してきた1993年11月から2か月後につくったもので、そう、我が家の外観を模したものでした。
とても愛着がありましたが、ベニヤなども使ってのあり合わせの材料と未熟な技術がもろで(笑い)、やはり替え時でした。
前のものより、少し大きくしました。
最終、ポストの窓の上に、新聞と郵便のピクトグラム(視覚記号)を描き入れました。
*
冬へのガンガク。
三重に住む友人は隣に住んでいるかのような近さのひとで、四季折々の素朴なものを送ってくれます。
隣家の八朔(ハッサク)がボタボタと落ちはじめたから(完熟したので)持っていかないかと声がかかったので、もったいないのでたくさんもらった(笑い)、それを送ります、とか。
庭のビワ(枇杷)の葉がたくさんなので送る、乾燥させてビワ茶にするといいよ、とか。
そうしてこの夏場に送ってもらったのが未成熟の青ユズでした。
愛用のオピネルのナイフを使っての、ムサい(手がかかって根気のいる)作業、一心不乱に皮をむきました(笑い)。
もはや腱鞘炎です(笑い)。
我が家のわずかな畑で収穫した青トウガラシ。
皮をむいて残った玉から果汁をしぼり出して。
果汁は青柚子胡椒つくりの時のために加えることとし、残ったものは冷凍してポン酢替わりにして使います。
ユズ皮とトウガラシをミキサーにかけて粉砕し…、
塩を加え、果汁を加えて、すり鉢で擦り…、
青柚子胡椒のできあがり。
何本かは身近なひとに差し上げました。
使わない分は冷凍して年中使えるようにしています。
他に、普通の黄色の柚子胡椒はまだあります。
青柚子胡椒は、うどんにそばに、鍋物に、ビックリするほど合うのです。
そう、カツオのたたきにもぴったしでした。
やはり友人からはローゼルが送られてきました。
前にはこのローゼルでつくったガーネット色の果実酒ももらっていて、今度は自分でつくったらどうかとのことでした。
はじめて見るローゼルの実は、奇体な物体(笑い)。
ローゼルを調べれば、アオイ科フヨウ属なのだそうで、萼(がく)と苞(ほう)の肥大した部分は生食も可、ジャムやゼリーや果実酒にも、との説明があります。
果実酒の熟成が楽しみです。
萼と苞をはずした種子は、熟し具合がよいものを選り分けて保存しておきました。
冬近くになると、方々から大根はいらないかという声がかかります。
ありがたいことです。
食べきれないものは刻んで、日光に当て、夜には薪ストーブの乾燥した空気で乾かして保存食にしました。
柿はいらないかという声がかかって、取りにゆけば、100個ほどももいで、きれいに軸まで切りそろえて待っていてくれました。
イワオさん、ケイコさん、どうもありがとう。
そんなんで一生懸命に、相棒と二人して、夜なべしながら皮をむきました。
ベランダに干すにはフックがあった方がよかろうと、太い針金(番手♯10。Ø3.2ミリ)をワイヤーカッターで切ってつくりました。
ベランダに干して、あとは風と太陽と時間、自然の力に任せます。
以前に柿を干したときには、留守中にベランダまで登ってきたサルに全部やられてしまったこともあったっけ。
サルは憎っくき輩(やから)です!
今年は、目をギンギンに光らせて見張ります(笑い)。
こうして2、3日おきに揉むとおいしい干し柿ができるのだとか。
気温が下がってくる11月の、我が家の恒例行事の燻製。
木工作業で出たサクラのかんな屑を燻煙材として電熱器に載せて、端片をさらに載せて。
電熱器を200ワットにしてかんな屑を燻(いぶ)すこと2時間、これが燻煙材再投入のタイミングです。これが1サイクル。
燻製する材料によって、これを2~3サイクル行います。
鶏のササミ。
塩サバのフィーレ(開き)。
今回は他に、豚バラブロック、さつま揚げなどの練りもの、それにチーズを燻しました。
それぞれに十分な量を丸2日かけてつくりました。
燻製は何よりの保存食です。
できあがった一部、豚バラベーコンとスモークササミ。
まず、完璧ですね(笑い)。
手づくりの燻製器。
ガソリンスタンドでもらったオイル缶をふたつ組み合わせ、その下には材料をできるだけ熱源から遠ざけて低温燻製にするための台をつくって高さを出しています。
これによって燻製器内の温度は、高くなっても30℃程度に保たれます。
燻製は冷燻が最高の品質を約束するけど、それはこれよりもっともっと大がかりなものにしないと無理です。ですが、温燻でもこのくらいの温度なら十分な品質に仕上がります。
かつて横浜に住むご婦人が画業の集大成として自費出版の画集を送ってくださったことがありました。それで返礼のつもりで、瓶詰したキノコの塩漬けを送ったことがあったのです。
そしたら、電話がかかってきて聞かれることには、「塩抜きって何ですか。どうするんですか」という問いかけでした。
ビックリしました。
塩蔵ものの塩抜きは欠かせない作業、それが分からないということがとても意外だったのです。
そして思いました。都会に住む者は、いつでもどこでも、季節を問わず、金さえあればほしいものが手に入る…、そういう便利さの中で暮らしているのだと。食糧を保存する必要などないのだと。だから、金がなければどうしようもないのだと。
雪国に暮らす者はそういうわけにはいかなかったのです。
今でこそ雪国の冬季でも物流は途切れることはありません。したがってマーケットには年中さまざまな物が並びますが、地元の店や産直や道の駅に行けば、乾物や塩蔵物の保存食は今でもたくさん並んでいます。
貧しく、食いつなぐことに懸命だったころの記憶が、今は食文化となって受け継がれているのです。知恵というものです。
その知恵を、我が家でも、ということです。
*
冬へのガンガク。
11月の半ば頃には山に、晩生(おくて、ばんせい)のキノコが出てきます。
行ってみれば、ナメコ(滑子)はまだ蕾でした。
ムキタケ(剥茸)はこんなに大きなものも。直径にして20センチくらい。
ムキタケは大して珍重されるキノコではないけど、ゼラチン質ゆえにシチューにはよく合います。
ヒラタケ(平茸)は実においしそう。でもめったに巡りあえません。
これはうれしい出会いです。
さっそく今夜はバター焼きでしょうね(笑い)。
キノコを採る場所は家から歩いて10分ほどのところ、小1時間ほどでこの収穫です。
でも、これは昨年までの10分の1くらいしかない感じです。

今年の山はキノコをはじめとして何もかもが不作です。
ツキノワグマ(月輪熊)の大好物のコナラ(小楢)やミズナラ(水楢)などのドングリは全然、ガマズミ(莢蒾)やウワミズザクラ(上溝桜)などの液果(漿果)もさっぱりです。昨年の大豊作とはえらい違いです。
これではねえ、クマは食い物めあてに放浪をするわけだ。
町は危険なことは分かっていつつも、行って餌にありつこうとする。なければ飢え死にしてしまうし、冬眠などできるものじゃないし。
でも気の遠くなる種としてのツキノワグマの歴史の中で、今日、町場にまで出なければならない事態になっているけど、こうした事態をつくり出したのはいったい誰なんだという話ではあります。
*
もう、ガンガクは万端。
雪よ、どんと来い、です(笑い)。
そうして秋は進行して、ルーザの森は今、晩秋の佇まい。
最後まで残るタカノツメ(鷹爪)の黄葉は見事です。
静寂な淵も、
そうそう、ガンガク、ガンガクとくりかえし使ってきましたが、このガンガクは山形県は米沢・置賜地方だけの方言と思っていたけど福島県は会津地方でも使われているのだとか。
米沢と会津は歴史的にも深い関係にありますが、それはこのガンガクという言葉ひとつにも象徴されているようです。
それじゃあ、また。
バイバイ!
※本文に割り込んでいる写真はサムネイル判で表示されています。これは本来のタテヨコの比から左右または上下が切られている状態です。写真はクリックすると拡大し、本来の比の画像が得られます。また、写真の下にあるスライドショー表示をクリックすると写真が順次移りかわります。






















































