森の生活

水、その後

本日は(2025年)9月15日、敬老の日です。
筆者は現在、町内会長とともに地区委員(行政委員)を兼ねているのですが、地区委員は同時に地区の福祉協議会の役員にもなっています。
福祉協議会の大きな仕事のひとつは敬老会の主催、おとといはその下準備の会場づくりや資料綴(と)じ、景品の仕分けを行ってきました。
昨日は、各戸を訪ねてお祝いを述べ、会への不参加者に景品の鯖(サバ)缶を手渡してきました。

なぜにサバ缶?
米沢でサバ缶は重宝する食材(山形県内陸部に共通しているよう)、春の山菜汁やたけのこ汁にサバ缶の投入は欠かせません。ひっぱりうどんやそうめんの具にも最適、缶詰そのものがおかずのひと品としても。
つまりサバ缶は味噌や醤油と同じくらいに大切な必需品なのです。
山形県民のサバ缶愛は半端ではなく、たぶん、サバ缶消費量が全国1位だと思います。
よって敬老会の景品にもサバ缶一択なのです(笑い)。ただ、時節柄、これまでの3個が2個となって、ご老人の落胆やいかに(笑い)。

さて、本題です。
今回のsignalも前回に引き続き、水がテーマ、題して「水、その後」です。
というのは、8月11日に濁(にご)りはじめて15日にようやく戻って元の水になったのでしたが、9月10日にまたにごってきてしまった、今度はさらにひどいにごりようなのです。よって。

前回のsignalでは、凝灰岩の巨大な一枚岩を通ってくる伏流水をイメージしました。
と同時に我が家から1.5キロ先のスギの大規模な伐採作業の影響を実地調査して考えてみましたが、それはなさそうでした。
けれども、ここに住んで33年ではじめての水のにごり具合いとはじめての大規模な伐採作業、この時間的なかぶりとの関連を否定できません。
6月半ばからの梅雨の時期にしてはあまりの雨の少なさとカンカン照りの日々、そして水がにごった直前の土砂降りの雨は大いに関連がありそうです。
事実、今回のにごりの前日の9日、10日にやはり一気の大雨が降っています。

下は9月10日夜の、浴槽にためた水のにごり。
その下が、比較対照のために、そのままにして朝に撮影したもの。
右に映る円いものは底の水抜き栓です。これが透明度を測る指標に使えます。

11日朝にいったん水を抜いて改めてためた水、7時36分。
にごりは相当です。

同日15時30分。

12日7時7分。

よく見ると、水は単に濁っているだけでなく、泡のような浮遊物も確認できます。

12日8時26分。これがにごりのピークのよう。
前回のピークのものと比べて、さらにひどい状況です。

12日16時50分。
にごりが引きはじめていることが分かります。水抜き栓が見えてきました。

13日7時36分。ずいぶんと透明度は回復してきたけれど、この浮遊物は何だろう。


どの家庭でも同じことですが、きれいな水は飲料に、料理用にといろいろなところに使います。
そして、水が濁ってからというもの、にごった水で洗わざるを得なかった食器類の最後の仕上げとして、きれいな水での濯(ゆす)ぎも必要になってきます。
前回からの経験でそれは、2リットルの湯を沸かしてきれいにした洗い桶に張って、約1リットルの水で割ってのゆすぎと湯くぐし…、そうして、我が家では1日に最低10リットルのきれいな水が必要ということがわかりました。
逆にいえば、きれいな水が10リットルあれば普段の暮らしはできるということの証明です。
ただしこれは水が汚れた場合のことあって、断水なら比べようもない量の水を必要とするでしょう。

ゆすぎと湯くぐしをした食器類。

台所の入り口に備えた10リットルの水タンク。
このようなタンクは我が家には3つ備えてあります。元々は焚火の際の消火用に買っておいたものです。

懇意にしている約1キロ先の栗園で、3日ほど水を分けてもらいました。

今回着目したのは、約1,500メートル先の伐採現場ではなく、家のすぐ近くの貯木場です。
現場で伐り出された木が1カ所に集められ、運び出しを待っています。

木材が崩れないよう、タテとヨコを交差しながらの両端の処理して積み上げる方法は見事。
我が家の薪積みはこの方法を応用しています。  

写真をクリックして拡大すると分かるのですが、貯木場は我が家のすぐ近く、すぐそば。

朝の4時から積み込み作業をはじめた日には、まいりました。それでこちらは睡眠を妨げられ、起きてしまいました。
このことについては、発注元の市内町内会の依頼先の「やまがた森林と緑の推進機構」(=機構。元の林業公社)に抗議しました。

水のにごりとこの貯木場の関係がどうもあやしい。

そして思い出しました。我が家の伏流水は方角的にほぼ東から西に(道路に対して約20度の角度で)ゆるく流れていると施工にあたった工務店の社長が言っていたことを。
約6メートル下の井戸の底を覗けば、何らかの浮遊物の移動があったものでしょう。
この伏流水の流れの上流方向、すぐ近くに貯木場があります。

下は2005年当時の、花壇サークルをつくっていた時の写真。手前の円形が井戸。

そしてもうひとつ着目したのが、コンテナ小屋のことです。
このコンテナ(国鉄C20形コンテナ)は1995年ころに薪小屋用にと、当時の国鉄清算事業団から購入したものです(輸送代を含めてひとつ12万円ほどだったと記憶しています)。
ところが薪を入れると、高温多湿ゆえに薪はすぐに更けてしまうのでした。失敗でした。
ということで、不経済ながらもう1ケをさらに注文して、屋根をかけて物置小屋にしたものです。


基礎は独立基礎として、ひとつの基礎につき基本ブロック6つを積んで、その上にコンクリート板を乗せる…、そのようにしてつくった基礎に、主屋の近くに置いてあったコンテナを手配したクレーンで吊って設置したものです。大がかりな作業でした。

独立基礎に設置した国鉄コンテナ。

左の基礎に対して、右の基礎の上にはさらに2枚のコンクリート板が載っていますが、これはのちの作業です。

10年ほどして、コンテナが少しずつ傾いてきたことに気づきました。右側(道路の反対側)が沈み込んできたのです。
水準器を当てれば今は水平を保っていますが、設置時よりも9センチ沈み込んでいました。基礎の上にさらに2枚のコンクリート板が載っているのはそのためなのです(両コンテナを少しずつジャッキアップしてコンクリート板を差し込んだのです)。

コンテナひとつの重量(自重)が1.1トン。ふたつで2.2トン。
中のしまってある材料や荷物それに基礎を含めれば、総計2.5トンくらいの重量が掛かれば、10年ほどで徐々に9センチ沈み込んだということ。
筆者自らが雑木林を開拓したここは、軟弱な地盤だという証明です。

と同じ軟弱な地盤に、この巨大な材木の量。
機構の職員に聴いたところによれば、ひと棚が10トントラック2台分、すなわち20トンとのこと。

ここに最大3棚が置かれた時には60トン、それに重機や運搬車などが入ればおよそ70~80トン。これが狭い面積にのっかればどうなるか。

当然ながら、地盤は沈み込むでしょう。
この沈み込む場所は伏流水の流れの道すじに当たっている…。
急な大雨が降って伏流水として流れる水量が一気に増えた…。
その増えた流れに(流れの速度も増して)、圧しつけられて沈み込んだ地盤の底(空洞の天井)がふれた…。
よって水が濁った。

筆者の推理はここまで。
たぶん、当たっていると思うなあ。
12日には機構の職員に濁った浴槽の様子を見てもらったし、さて機構ではどんな判断をするか、それは今後大いに注目です。

この伐採作業はすでに終了、あとはわずか残った木材を運び出すだけとなりました。木材と機材のすべての重量が取り除かれるのもあと少しです。
そのあとに、また一気の大雨が来て水が濁ったとすれば、筆者の推理は怪しくなりますが(笑い)。

下は13日7時46分。
ほぼ完全に元に戻っていますがまだわずかながら濁りが確認できます。

そうして14日、ようやく元の透明な水に戻ったのです。
今回も約5日間の水騒動、ヤレヤレです。
でも、いい勉強をしましたよ。

米沢の水瓶の水窪ダム、8月30日の様子。
この時の貯水率は15パーセントでしたが、9月8日時点では13.4パーセントまで落ち込んでいます。

山形県米沢に限っては、雨はまったく足らないのです。
この冬も夏場の反動で、大雪かなあ。

水をめぐる話はこのへんでおしまいです。第3弾とはならないことを願います。
水がなければ生きていけませんよね。水が当たり前にあることに安穏とせずに、ありがたく貴重なものということを心がけたいと思った次第です。

そうそう、我が家をお訪ねの時は、おいしい水でコーヒーを淹れてさしあげますよ。
そしてペットボトルでも持参され、どうぞ自慢の伏流水をお持ち帰りください。

それじゃあ、また。
バイバイ!