本日は12月1日、とうとう師走に突入です。
例年なら12月の半ばまでには何度かの雪が来て、クリスマス前には根雪になるのが普通ですが、はたして今年の雪はどうでしょう。
昨年が記憶にないほどの少雪でしたので、その反動がくるのか、はたまた昨年のようなのか、気になるところではあります。
12月に入ればまずは冬至を迎えるのが楽しみです。冬至はそれ以降、わずかずつでも日足を伸ばしていきます。
そしてひき続くクリスマス、クリスマスは冬至と合わさりながら太陽神のお祭りでもあるでしょう。このふたつは明らかに希望の名に値します。
さて、今回のsignalは「新薪小屋日誌2」にひき続く作業の様子、冬の雪囲いのために小屋全体をトタンで覆って完成に至るまでのこと、あたらしい薪小屋つくりの最終回です。題して「新薪小屋日誌3」。
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下は、7月23日に一応の完成を見た新薪小屋、キツネ小屋。
旧小屋同様、このあたらしい薪小屋にも「鳥獣保護区域」のキツネのプレートを飾りました。よってこれは、キツネ小屋と呼びます。
このプレートは当然ながら環境省がつくる正式なものではなく、北海道旅行の単なる観光土産、クリエイティブコンパスという会社の製品です。
そうあの有名な「熊出没注意」と同じシリーズ、とても気に入っています。
今回の薪小屋つくりの新たな工夫のひとつは、小屋の下部分を雨除けとして波トタンで覆うことでした。
この4月に解体した旧薪小屋から出た長尺の波トタンがたくさんありました。それを活用しない手はないです。
トタンをはがし…、
(トタンをはがしはじめて、この屋根には防水のためのアスファルトルーフィングを敷いていなかったことに気づきました。小屋ごとき、必要ないと思ったのだったか)。
丸ノコで切断して野地板を取り去った旧薪小屋の屋根。
けっこう厚みのある材料だったので、野地板をていねいにはがせば使い出はあったのですが、屋根の上でのバールと玄能(ゲンノウ)使いはあまりに面倒で、それで丸ノコを使ったのでした。
下は、雨除けのために波トタンを張りつける下地材を回したところ。
この下地材を回したときに、実はここで、レベルの不確かさを思い知りました。
薪の出入りの北と南はともかく、2間の長さの東西では約20ミリほどのレベルの差が出ていました(-_-;)。それもこれも、レベル取りを水準器に頼りきってしまった結果です。でも、ここまできたらそれを承知の上で作業を進める以外にはありません。
ドンマイ、ドンマイ、です(笑い)。
25年ほどの時間が経過した古い波トタン。風雨に雪にさらされて汚れがこびりついています。
クレンザーをつけ、タワシでこすれば塗装当時の赤(赤錆色)がよみがえってきました。
塗装? そう赤錆色の波トタンがなかったのでブラウンのものを買い、屋根に張ってから油性ペンキで塗装をしたのでした。
わざわざ、ですよね(笑い)。普通、こんなことしませんよね(笑い)。
我が家の、主屋を含めた建物の色の基本は黒と赤、外壁が黒で屋根は赤です。のちに工房およびヒュッテをつくるときから外壁にフォレストグリーン(キシラデコールのタンネングリーン)が加わってはいますが。
筆者にとってこの色の基本は移住当初からとても大切にしてきたことでした。
古波トタンは乾かしたのちに、黒の油性ペンキを塗りました。
塗料というものはモノ(素材)にあたらしい命を吹きかけるものですよね。
塗装によって古いトタンがよみがえってきました。これでまた耐久性が保たれるでしょう。
どうしたら波トタンを正確に切れるか、それが大きな問題でした。
波トタンを波の方向に対して直角に切るならまだしも(ここは波板用板金ハサミで対応できる)、平行に切るのは平用板金バサミでも切ることができません。紙でもなんでもそうだけど、切るというのは切った片方が曲がっていかないと進むことができないのです。無理に切ろうとすれば、どちらかの片側をダメにする覚悟が必要です。
そこで懇意の板金屋に相談したところ、金属も切れるチップソーがあるとのこと。
丸ノコに特殊なチップソーつけたらできるかもしれないとイメージし、早速にもホームセンターに行けば、ありましたありました。金属にも新建材にも木材にも対応する多用途のチップソーが。それは1,000円もしない安価なものでした。
波トタンは薄い金属板ゆえに丸ノコでの切断はとても不安定です。しかも細かい金属くずが飛び散るので、特に目を守るため保護メガネと作業用ゴーグルを2重につけて、最善の注意を払っての作業となりました。
切断音もすごいです。
苦労はしましたが、それでなんとか、タテにもヨコにも切ることができました。
ガイドを使って正確に、ゆっくりとていねいに。
並行切りのために厚い板をならべて作業台とし、ガイドの下に切断箇所ギリギリ近くまで板押さえを渡してトタンを安定させて切断しました。
用具を生かすには、下準備が何より大切です。
そうして、寸法通りの波トタンを張り合わせ、板金用ビスで下地材に留めて、雨除けのための覆いつくりは終わりました。
これで土台の腐朽をだいぶ防いでくれるはずです。
これが新薪小屋の夏場の姿です。
8月7日、大きな区切りを迎えて記念の写真、ちょっとポーズ。
筆者は山登りをするけれども山登りに体重の増は禁物です。身体が重くなっては疲れるし、動きが鈍くなるし、第一危険が増しますゆえ。それは日ごろから心がけているつもりです。
それで動きに支障が出るほど太ってはいないと思うけど、この写真の、浮き輪のような腹のぜい肉にはがっかり(笑い)。
歳には抗えない?(笑い)
次には薪の出入り口の覆いを考えましたが、ここはシートが最善です。冬場の吹雪をしのげればいいのです。
シートはブルーが一般的でシルバーのものも使ったことがあるけど、陳列棚をよくよく見ればブラックもあるのですね。
ブラックは同じ厚みと質でもブルーシートの2倍の値段だったけど、ここは色を優先しました。ここに、ブルーではね(笑い)。
1.8×1.8メートル、1間(けん)四方のもので、1枚約1,000円だったと思います。
折りたたんで、巻いてまとめれば、夏姿。
シートの下の左右につけた強力なゴムの輪を互いに交差させて、上方の右左のフックに掛け…、
下からクルクルと巻いて、紐でくくればシートは簡単にまとまります。
強力なゴムを使っての留めは、我ながらグッドアイデアです。
こんな留めでも冬場の吹雪にも対応できることは旧の薪小屋でも証明済みです。
ここまで来たのが8月12日のことでした。
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薪の出入り口のシートの作業から、次には冬場のための、取りはずし自在の全体的な覆い戸つくりに移るのですが、この間には2か月の空白が生じています。
筆者の生業はドアリラを主とした木工品の製作、それは自分でも時々忘れることだけど(笑い)、2か月という空白は5年ぶりとなる展示会(ルーザの森クラフト展)の準備に入ったがためです。
ここは大工仕事から頭を切り替えて展示会モード、わき目もふらずに集中しました。
下は、その展示会(9月28日(土)~10月6日(日))のスナップから。
大勢の方に来ていただいて、展示会は成功裏に終了しました。
多くの出会い、多くの再会もあって感動的な10日間でした。
展示会終了時の残務に区切りをつけて、薪小屋つくりを再開したのは10月14日のことでした。
いろんな部材をつくっているうちに、厚さと幅が同一の切り落としの短材がたまってきました。これを利用して、長い材をつくることにしました。
互いを相欠きして径10ミリ丸棒の栓を入れて短材同士を継ぎました(相欠き栓継ぎ)。
相欠きの合わせ部分には接着剤を塗っていますので、栓を叩き込めば相当な強度が出ます。
それを18本ほどをつくって覆い戸の枠の材料としました。
これによって短材はほとんど無駄なく使いきることができました。うれしいです。
コーナークランプを使っての覆い戸の枠づくり。
つくった覆い戸の枠を、あらかじめ取りつけていた座付貫抜(カンヌキ)に渡しました。
当初は雨戸のように上と下のカンヌキをスライドするイメージでしたが、最終的には覆い戸を少し持ち上げて落として固定する方法に変更しました。
仮設置したこの枠に波トタンが張られれば覆い戸は完成というところまできました。
覆い戸は18枚、あと、もうひと息です。
そうして、うまい具合に波トタンを切って、張り合わせて、覆い戸は完成にこぎつけたのです。それは10月22日のことでした。
残すは、取り外したときの覆い戸18枚を保管するスペースの確保と収納のための枠木のを工夫です。これは雪が消えてからの課題ですが、そうむずかしいものではなさそうだし、かかっても2日程度の仕事でしょう。
新薪小屋の最終的な完成です。
うれしいです。
手前のブロック積みは、側溝との境の土留めです。この部分は法面(のりめん)に近く、地面が傾斜しているので動きになにかと不自由を感じていたのです。
コンクリートブロックは新たに購入したものではなく、大方は旧薪小屋の基礎として使っていたものの再利用です。
雪が消えてからの旧小屋の解体にはじまって、雪が来る前に新薪小屋が完成しました。冬期間を除いたほぼ1年という長いスパンの作業でした。
この薪小屋は最低でも30年ほどは持つはず、相棒も自分もこの世にいられる時間には十分すぎるほどです(笑い)。
これでもう、薪置き場に苦労することはありません。
そして、あたらしい小屋に薪を収納しはじめました。
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新薪小屋のキツネ小屋が完成し、除雪機の格納と材料保管を主とする(リスの看板プレートをつけた)リス小屋の下屋(げや)の薪スペースが気になりました。完成したのちのふた冬は薪スペース側面にベニヤを打ちつけてしのいでいたからです。
ここは、柱に細工をして板を落とそうと思いました。
板落としの雪囲いはスマートでカッコいいです。
下は、リス小屋下屋の薪スぺース側面。
細工を施し、板を落としてみたところ。
落とし板をステイン塗料で塗装しました。
このステイン塗料はキシラデコールという商品で、文化財の保護塗料としても採用されているものです。
キシラデコールは、防水性と防虫性、不朽性にすぐれた高級塗料です。4リットル缶で約10,000円弱、というところでしょうか。
こういう場面での塗装は、同じ姿勢を取りながら動かざるを得ず、腰にきます。イテテテ(笑い)。
完成です。
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昨年春に栗園のクリの木を3本(頼まれて)伐採し…、
玉切りにした薪材を庭に放置していました。それにようやく手をつける時が来ました。
量としては軽トラックで10回分くらいはあったと思います。
久しぶりのチェンソーづかいと斧の振り下ろし。
そうして1週間ほどはかかって放置していたクリ材をすべて薪にしました。それを順次、あたらしい薪小屋、キツネ小屋に運んで積んでいきました。
と、立派なケヤキ(欅)とサクラ(桜)があるがいらないかという電話です。
お相手は電力会社から依頼される支障木を伐る業者の方で、先の展示会にいらして当方が木製品をつくる者と見て、その材料として差し上げたいということでした。ありがたいことです。
でも、製材されているものならともかく、自分で板材にはできず、ケヤキの方は泣く泣く薪材に、サクラは今後の彫刻材として使えるかもしれないと思い、ブロックにして保管することとしました。
買ったらとんでもない金額だろう、ケヤキとサクラが届きました。
手前のケヤキは堅かったです。
チェンソーの燃料給油1回の作業につき、2回3回と刃の研磨をしました。材が堅すぎて、チェンソーの刃の切れ味がほどなく鈍くなってくるのでした。
玉切りにするにしても普通は35センチぐらいの長さを取るのですが、ケヤキは12センチくらいまでがせいぜい、これでも斧を振り下ろして割るのに一苦労です。
チェンソーの刃はガイド(赤いプラ板)にしたがってていねいに研いでいきます。
研ぎの角度(30°)が大切なのです。
そうして、薪は少しずつたくわえられて行きました。
薪はこうして保管され、1年から2年の時間をかけて燃焼に適する材になっていきます。
少しずつ少しずつ薪が積まれいく光景を目にするのは胸がすく思いです。
これが冬の寒さを乗り切る我が家の、自前の燃料です。
自前の燃料、それがどんなに素敵なものか筆者は知っています。
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あたりの紅葉が飴色に変わり、木という木がほとんどの葉を落とせば、いよいよ冬の到来です。
ルーザの森の道約1キロのわたって設置していた環境美化看板を撤去してきました。
ルーザの森のビューポイントの笊籬橋からの眺めは、冬ざれです。
この時期に晩生のキノコを求めて近くの山に入れば、近年の温暖化が影響しているのか山の様子は一変していました。
ここ10年ほどは取り続けていたナメコ(滑子)の菌はどこへやら、ほとんど見当たらなくなりました。至極残念です。
下は、ようやく出会ったクリタケ(栗茸)の群生。
焚火をした隣接の林も落ち葉でおおいつくされ、
そうして、この11月19日に雪が来ました。冬が来ました。
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これで薪小屋つくりの話はおしまいです。
それじゃあ、また。
バイバイ!
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