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クラフト展、いよいよ

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本日は(2024年)9月12日、前回のsignal「額をつくる」の末尾での予告通り、あまり間を置かずに新しい記事をアップしました。というのもこの時期を逃したら、意味が薄くなってしまうゆえの。
今回のsignalは、9月28日(土)から10月6日(日)まで、工房現地にて開催を予定している第2回のルーザの森クラフト展のご案内です。

第1回の開催は今から6年前、2018年の10月初旬のことでした。
それから想定と予定に反してずいぶんと間が空いてしまったのは、それもこれも感染症COVID-19のためでした。ひとびとの移動さえままならない中、展示会を開いても意味は薄いと感じたのです。
よってこの間は、製品の開発と研究に充てた時間ともいえます。
まあ、小屋の建築など、大工仕事にも注力してはいましたが(笑い)。

第1回のタイトルは、当クラフトの当時の、唯一の製品名を冠してそのまま「ドアリラ展」としました。
ドアリラ(doorlira)…、
この言葉は、実は筆者の造語です。
ドアリラは一般名詞ではドアハープというものですが、まず、ハープというよりは小型の竪琴(ライアー)の方がイメージにフィットしていると思ったのです。
ライアーはドイツ語でlyra、英語ではlyre、イタリア語ではliraと表記し、リラという読みにもなります。つまり、ドアのあとに竪琴を意味するイタリア語のリラをくっつけて、“ドアリラ”としたのです。
でもなぜわざわざと思うひともいるでしょうが、この言葉は当クラフトだけが使うオリジナルブランド、したがってこの言葉で検索をすると一発でHPに行き着くことができるというわけです。ネット社会では、これは大きなことです。

下は、前回の展示会のチラシ。

ここで、当クラフトの主製品であるドアリラがどんなものか、どんな風につくられるのか、なじみのない方のために簡単に紹介しておきます。
ドアリラは多くの弦楽器のように中が空洞になっていて、表面にサウンドホールという穴(下の作例では星形のもの)が空いています。そして張った弦(ストリング)を吊ってある木球が叩くことによって、空洞の中で音が増幅して鳴るという仕組みです。
木球が弦を叩くのは、ドアの開閉の動きによってです。叩くとはいえ、小さな音が響くという感じです。

下は、空洞をつくって組み上げた本体に弦を張るためのピンの穴あけをしているところ。

開けた穴にピンを打ち込んでいるところ。
この左のピンは発注した4メートルほどの真鍮の金属棒を自分で切断し、業者に依頼して穴(径1ミリ)を開けてもらったものです。

右のピンはチューニングピンで、浜松の楽器製造会社から取り寄せたもの、ようやく見つけた会社から残りわずかの規格ものの在庫をすべて引き取ったのはおよそ10年前です。高価だったと思います。
このチューニングピンは先のライアーの他、チェンバロにも使われるものですが、ピアノのピンに比較してひと周りもふた回りも小さいもの(径5.0ミリ、長さ45.0ミリ)です。
たぶんですが、今はもう、需要が乏しいだけに国内での製造はすべて打ち切られているのではと思います。

弦をピンに渡した後に、専用のチューニングバーで締めていきます。

このあとに木球を吊り下げてドアリラの完成となりますが、完成までには当然ながら数知れない工程を踏んでいます。
日本に先例がほとんどないだけに(ドアリラ=ドアハープを専門にしている職人は自分以外いないと思う)、すべてが手探り、何度も失敗し、改良に改良を重ねてようやく現在に至っているということです。

下は、我が家のリビングに設置しているtreeタイプのドアリラ、試作品のひとつです。

以下にはドアリラのラインナップから数例を紹介しておきます。
写真の下のキャプションは品番のようなものです。

D-04 tree
A-03 dulcimer
C-03 dotaku
D-03 butterfly
D-05 horn left
F-01 pick

尚、ドアリラの全ラインナップについては、当ホームページのworksをご覧ください。
https://doorlira.com/works/

以下は我が家のドアリラの設置例です。

展示ギャラリーのドアに。これは、F-01 pick。
ここは、ドアリラの終盤の工程(塗装、ピン打ち、弦張り、木球の吊り下げ)を行う作業場=アトリエでもあります。

2階の部屋のドアに。これはdarumaの試作品。

ギャラリーのドアに、かつてつけていたjuhyo。

で、今回の展示会で前回と大きく違うのは、ドアリラをはじめとした当クラフトの製品の他に友人のヨシダさんの絵を飾ることです。
このいきさつについては、前回のsignal「額をつくる」にくわしく書いているので興味の向きはそちらをご覧いただくとして、20点におよぶ植物画が飾られます。

絵は、どれもこれも決して熟(こな)れていない、達者というのとは違う、素人だけれども絵の持つ詩情を醸すうつくしいものたちです。
絵を観ることができるひとなら、それがどんな価値があるものなのかが分かると思います。


宮澤賢治の有名な童話集『注文の多い料理店』の序に、

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。

という一文がありますが、「これらのわたくしのおはなし」の部分の「おはなし」を「絵」に置き換えたら、これはそっくりそのまま飾られる絵を語ることになりましょう。本人もきっとこう思っているはずです。

ふたりで展示作業を終えて、あとは来訪者を待つだけとなった絵たち。

絵をつつんでいる額はいずれも筆者の手づくり。
うつくしいものを抱き込んで、額がうれしそうにしています。

作者のヨシダエツコさん。
出会いからもう30年余、長いおつきあいとなりました。

何の変哲もない廊下がギャラリーになりました。 

前回2018年のときもそうだったのだけれど、展示会がなぜ、秋のこの時期なのか。
少し遠いように思うかもしれないけれど、それは冬、雪、そしてクリスマスを前にする時期だからです。おいでいただく方へのイメージの喚起という意味もあります。
筆者は、冬、雪、そしてクリスマスが好きです。
クリスマス…、ひとびとを安らい、日々の暮らしのわずらわしさから解放し、ただただ祈りにも似たしずかな時間がすぎてゆく。
雪が降って当たり前のこの時期は生活するにはきびしいものになるけれども、それは日々のニンゲン(それはワタクシとしてもよい)の思い上がりを諫(いさ)めるという意味も持つのです。そう、この急激な気候変動もニンゲンの活動に起因していますしね。自然をどんどんと危機に追いやっているのもそうだし。
そしてクリスマスは冬至祭でもある。その日あたりからわずかながら少しずつ、けれども確実に、日足が長くなる…、それは希望以外にはないのです。希望、そう希望が何よりなのです。

実生(みしょう)から大切に育てた木だっただけにとても残念だったけど、枯れたために今は伐り倒してしまった工房前のトウヒ属のイラモミ(刺樅)。
このイラモミは、日本で最もクリスマスツリーのイメージに近い樹ではないでしょうか。

我が家の、素朴なクリスマス。

そう、クリスマスツリーをつくろう。
あの、緑のプラスチックのツリーの安っぽさはもういい。趣味の悪いデコレーションからは詩が生まれることはなく、筆者にとっては忌避すべきものになってきました。だったらイメージ通りに自分でつくったらよかろうと。

考えてみると、ツリーのつまるところは幹があって枝があるというふたつの要素でなりたっていることが分かります。だから、そのふたつさえ押さえれば、立派なツリーになります。装飾などいらない、葉さえもいらない、このシンプルさがいいと思ったのです。
そうして、ヌードツリー(nude tree=装飾のないツリー)ならぬベアツリー(bare tree=裸木)をつくろうとしたひと冬(2021年12月~22年3月)がありました。それは、ドアリラの世界から飛び出てちょっと別の世界を覗くこととなりました。

厚い板から角棒を木取りして、それを丸棒にする、しかもわずかな傾斜をつけて…、幹をつくるとはそういうことです。
枝を少しだけ上向きにするためにすべての穴を同じ角度にして空けて(25ミリ正四角から八角の棒にした時点で穴あけを済ませ)…、

つくった治具を使ってどんどんと角を落としつつ丸め、傾斜をつけるためにひたすら手カンナ掛けと鋸ヤスリ掛け(右下の道具)と紙ヤスリ掛けをほどこして、そうしてようやく幹ができていきました。

幹部分の樹種は2種がありますが、右2本がケヤキ(欅)で左がナシ(梨)です。
ケヤキはともかくナシが造作材として市場に出回ることはまずありませんが、実はこれは骨董屋から造作の材料として購入していた古い炉縁なのです。
長いつきあいとなった骨董屋の主人に言わせれば、囲炉裏が普通にあった昔、その炉縁はサクラ(桜)かナシ(梨)でつくられていたということです。ふたつは堅牢で狂いや歪みがなく、しかも熱にも耐えられるという性質があったということでしょうか。
ナシ材は見ての通り、青味がかっています。

底に、当クラフトの焼き印を押しています。

枝の部分は径8.5ミリの丸棒、これは福岡の業者からの取り寄せです。
枝の樹種はナラ(楢)、ナラは堅牢です。
点滅灯などを引っかけるための刻みを入れ、差し込みのために先端を削り、

接着剤をつけて、穴に枝を強く差し込んでいきます。

最後の一番上の短い枝の取りつけを待つツリー。
中央左がナシ、右がケヤキです。

枝ぶりの部分。

枝ぶり。

それでは、ずいぶん早いけど、Merry Christmas!

そう、この空白の6年という膨大な時間の中で、ドアリラとは別の世界に入っていたときの、以下はベアツリー以外の製品たち。

バターケース。
パンに塗るバターが好きで、そのバターがよいケースに収まっていたら素敵なことと思ったのです。
いったんつくったものがどうも不満で引っかかりを覚え、すべてを廃棄して、翌年もう一度つくりなおした蓋。
写真の材料はケヤキですが、他にハルニレ(春楡)とサクラ(桜)が用意されています。
陶器の容器部分は発注品です。

バターナイフ。

バターを掬(すく)う、パンにバターをのせる…、普段使いのその機能をつきつめて、試作に試作を重ねながらつくっていたら、形は下のデザインに落ち着きました。
友人たちにモニターになってもらって、その使い勝手の意見を収集したりもしました。
樹種は、クリ(栗)、サクラ、ハルニレ、めずらしいところではメルバオ(インチアという表記もあり。太平洋鉄木)というものもあります。メルバオは古い家具を分解して挽き割ったものをネットで購入したものです。

バターとくればジャム。
このジャムスプーンというのはとても奥行きが深いカトラリーです。
ジャム瓶の底の角のジャムを掬えるか、首の曲がり部分のジャムを取れるか…、その機能をデザインに落とし込む作業は楽しかったです。
材はクリとハルニレ、それにメルバオです。

ペーパーナイフ。
現代では実用的とは言えないけれども、ペーパーナイフのデザインの豊かさ、おもしろさ、造形のうつくしさ。
ネット配信よりはCD、CDよりはカセットテープで音楽を聴くという面倒くささ、デジタルよりはフィルムカメラで写真を撮ったり、そうしてわざわざ便利さや安易さにさからって用をなす、そのプロセスで心が満たされる…、ペーパーナイフというのもそういう立ち位置にあるものでしょうか。
筆者はすっかりペーパーナイフの虜になって、無心の時間を過ごした時期がありました。

成形のためにつくったさまざまな形の台木に貼りつけた紙やすり。

boomerangと名づけたペーパーナイフ。

たまにペーパーナイフで、不要の紙を半分にして、さらに半分にして、メモ紙をつくるのもよいかも。

バターケースにバターナイフ、ジャムスプーンやペーパーナイフにはいずれもlusa(ルーザ)の刻印が押されています。
塗装は上のいずれもオイルフィニッシュ、食品衛生法をクリアした(亜麻仁油と紅花油が主成分の)ロハスオイルという安全な塗料を使用しています。

ということで、展示会にしては世界が少々散ってしまったきらいはあるものの、これが筆者のトータルな今です。
日どりや距離などの条件にかない、お時間の許す方はぜひおいでいただきたいものです。

それじゃあ、また。
バイバイ!

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