旅の空、飛ぶ声

奥会津の湯宿

燧ヶ岳に登って長蔵小屋に泊り、尾瀬沼から沼山峠までを歩いてシャトルバスに拾ってもらって御池(みいけ)の駐車場に戻ったのは(2024年)6月7日朝のことでした。
その足で向かった先は奥会津は柳津町(やないづまち)の山あいにたたずむ素朴な温泉宿です。そこで遠方からの友人と待ち合わせをしていたのです。
今回のsignalは山を下りてからのこと、山あいの温泉宿のことなどのあれこれ、題して「奥会津の湯宿」です。

※奥会津とは、福島県南西部を流れる只見川流域、伊南川流域の7町村(柳津町、三島町、金山町、昭和村、只見町、南会津町〔かつての田島町・南郷村・伊南村・立岩村〕、檜枝岐村)の総称です。

尾瀬の福島側からの玄関口の檜枝岐村(ひのえまたむら)、ここは山あいの寒冷地ゆえに米は作れず農作物の収穫に恵まれず、凶作の年には餓死者も出たと伝えられています。そして口減らしのために赤ん坊の間引きもあったという痛ましい歴史がある地域のひとつでもあります。それを今に伝えるのが1730(享保15)年に建立されたという六地蔵です。
六地蔵は村びとに愛らしいおべべを着せてもらって、今も往来のひとを見つめています。
最近は、子宝や子育ての守護として参拝するひとも多いのだとか。

尾瀬沼から沼山まで1時間ほどを登ってきたこともあってちょっと汗ばんだので、途中、湯ノ花温泉の共同浴場に立ち寄りました。湯ノ花は素朴な温泉場、筆者はここが好きです。
湯ノ花には4つの共同浴場があるようですが、立ち寄ったのは「湯端の湯」というところでした。湯船に浸かってゆったりです。
ここがユニークなのは地区民専用の浴室があること、地区民ならいつでも自由に利用できるよう。

途中、国の指定(国指定重要伝統的建造物群保存地区)を受ける前沢曲屋集落を歩きました。茅葺きの曲り屋が軒を連ねる景観はまるで江戸時代にタイムスリップしたかのようでした。
ただ、国の指定ともなると改修それひとつでも面倒なことが多いのはよく聴くこと、こういう景観を維持しながら住み続ける苦労もあろうかと思います。
それにしてもこのL字形の独特の間取りは家屋の中に牛や馬を飼っていたための形、それは牛や馬が家族同様に扱われていたことを物語っています。それだけ牛や馬は暮らしを支える農耕に欠かせぬ存在だったのだと思います。

前沢集落から通称沼田街道(国道289号・401号)を通って昭和村へ抜けようとしたたあたりだったでしょうか、ひと気のない集落に大勢が忽然と現れてぎょっとしたものです。よくよく見ると案山子でしたがね(笑い)。
案山子の集団は見ようによっては微笑ましいですが、ひとが減り疲弊してゆく中山間地域の哀感も漂っているのは確かなことです。

休耕田のあぜ道を埋め尽くすハルジオン(春紫苑/キク科ムカシヨモギ属)。
農業の担い手のいなくなった地域の象徴のような光景です。

道中、薪棚のうつくしさに目が留まりました。
ガソリンスタンドの跡地を利用して、薪の販売業をはじめたようで。
平面に薪を高く積んでゆく…、何気ないことに見えますが、うしろに壁はなく両脇には支えがないのです。
高く積まれた薪が自立しているヒントは薪棚の両端の交差する積み方にありますが、この技術はたいしたもの、とてもうつくしくて感心しました。 

道々目にした、今に咲く花。昭和村から柳津町に抜ける山中で。

ツルアジサイ(蔓紫陽花/アジサイ科アジサイ属)。
アジサイの仲間としてはめずらしく、木にからみついています。
同じアジサイ属で蔓性のものにイワガラミ(岩絡)というものがありますが、イワガラミはそれこそ岩などの低いところを這い、こちらは上へ上へと伸びます。またイワガラミの装飾花の白い萼片は1枚に対してツルアジサイは4枚なので区別ができます。
筆者は食べてはいませんが、ツルアジサイ、イワガラミともに若葉は山菜として利用できるとのことです。葉をもむと、キュウリの香りがします。

ウツギ(空木/アジサイ科ウツギ属)。
いわゆるこれが卯(う)の花ですね。我が家にも今、匂いやかに咲いています。

ハクウンボク(白雲木/エゴノキ科エゴノキ属)。
5~6メートルほどにもなる小高木で、花の時期に遠くから見るとまるで雲がたなびいているよう見えます。名の由来です。

柳津町の山あいの西山温泉に着いて。
この変わった花はいかにも外来種ですが、あたりではあまり見かけることはないのにここ西山温泉にどうしたわけかあるのです。はじめて訪れた6年前に気づいたことです。
名をジギタリス(実芰答里斯/オオバコ科ジギタリス属)といい、日本名ではキツネノテブクロ(狐手袋)と呼ぶのだとか。
ジギタリスは全草が毒ながら同時に薬効も備えていて、心不全の特効薬にもされてきた歴史があるということです。いずれにしても取り扱いに注意を要する植物であることは確かです。

そもそも筆者がどうした経緯で西山温泉を知ったのかというと、簡単に言えば漫画家のつげ義春からの導きです。
ジメジメとしてどこまでも暗く、そこに自虐はあっても明るさだとか希望などはとても見出すことができない、つげ義春の世界ってそういうものなのに、彼が描き出してきた世界に筆者は惹かれるのです。
どうして? 分かりません(笑い)。
つげは賛辞絶えない偉大な存在なのに華々しいところからは最も遠いところにいつもいて、それゆえにさまざまなしがらみから解放されているように感じて落ち着くのでしょうか。とにかく不思議なひとです。

筆者は近年、近くの三島町で開かれる全国的なクラフトフェアの「ふるさと会津工人まつり」に興味を覚えていて、(何度かは日帰りで行っていたのですが)せっかくの遠出、泊をともなってゆっくり見たいものだと思って宿を探していたものです。2018年のことです。
そういう時に、愛読書の『つげ義春の温泉』(カタログハウス2003)をめくっていたら西山温泉が目に留まったのです。この、ツバメが玄関口から飛び去ってゆく湯宿のイラスト…、あこがれましたねえ。この素朴さ、この湯宿の風情に。

下は、つげがこの宿に滞在したときのスナップのようです。お膳が三っつあるので3人での訪問だったよう。

宿は何よりも素朴な風情、こんな風情ある宿に泊まりたいものだと思ったのです。
同じ頃に、つげ義春と温泉を特集した『男の隠れ家』(あいであ・らいふ1999)という雑誌をめくれば、西山温泉には老沢温泉旅館という温泉宿が紹介されていました。
老沢温泉旅館はこの雑誌の表紙イラストに雰囲気がよく似ています。つくりにしてそう、玄関の上がり場風景もほぼ同じなのです。

老沢温泉旅館。これは2018年時の撮影。
今は、玄関口の引き戸がスギ材で新調されています。

でも、つげが訪ねたのは老沢温泉旅館ではありませんでした。イラストにも書き込まれているよう、これは中の湯、中の湯は今はいかにも豪勢な高級旅館の構えで、鄙びた宿の趣きはどこにもありません。
それで近くを散歩がてら中の湯を通りかかったおり(外にいらした)従業員につげ義春の訪問について聴いたことがあったのですが、確かに絵は中の湯、けれどもこの建物は老朽化のために取り壊してしまって今はない、ということでした。
残念なことをしたものです。もし残っていればそれこそ文化財級の建物、つげ義春ファンの聖地として注目の的だったでしょうに。筆者がこうやって辿りついているように。

西山温泉を流れる清流・滝谷川。
アユ(鮎)だろうかハヤ(鮠)だろうか、ヤマメ(山女魚)だろうかが泳いでいるし、今なら何よりカジカガエル(河鹿蛙)のうつくしい鳴き声が溪中に響きわたっています。
梅雨入り前の、特に夕暮れ近くの、この静寂な風情がたまらないです。
つり橋の奥が、下の湯。
下の湯は外来入浴のみの営業で、老女がひとり守っています。

昨年は投宿の老沢の湯屋が工事中で使えないため、下の湯にお世話になったものです。
ご老女は耳が遠く、茶の間からはテレビの大音量が鳴り響き、「入浴したい」という話を通すのに一苦労したものでしたが(笑い)。

老沢温泉旅館。

  

新装なった湯屋。
基礎は(建設会社にお勤めの)主人が自前でつくったとのこと。彼は基礎づくりの本職ではないけれどもたいしたものです。まず基礎にほれぼれです。
湯屋のこれまでの壁は真壁(しんかべ。柱を隠さない壁工法)ながら内と外ではさんで空間をつくっていたけれども、改修では何ともぜいたくにも桧材1寸(約30ミリ)の厚板1枚にしたとのことです。
これは壁内に湿気を滞らせない工法、きっと正解だと思います。

川のすぐ脇に建つ湯屋、上方に本館が見えます。

湯屋に下りてゆく急な階段。 

何とも、神社がまつられている浴室です。

浴槽は長い時間の歴史を刻んだそのもの。ここに手を加えられなくてよかったです。これが新しくなっていたら魅力は半減だったはず。
浴槽は3つあって、湯の湯船への流入量の調整を石片で行うという素朴なものですが、こんな単純なものでも温度がほどなく変わってくるのです。Oh primitive(プリミティブ)!(笑い)
この調整弁を開放してしばらくすると、とてもじゃないが熱くて入れません(笑い)。

さて、話変わって、老沢温泉旅館のご家族が深くかかわっていらっしゃる柳津町の伝統食の紹介。
冊子『やまのもの  かわのもの』、今年は第2集が刊行されたようでした。これは文化庁の「食文化ストーリー」創出・発信モデル事業としてです。

雪に閉ざされる冬を起点にして、夏場に収穫したものを保存しつつ料理のレシピを組み立ててゆくバリエーションの豊かさ。下は、冊子の前書きから。
これらは同じ雪国の米沢とも共通していることです。

冬の低温を生かした乾燥
塩の殺菌力を生かした塩蔵
雪の保湿力を生かした雪中保存
これらは食材を保存する技術は単に保存するだけでなく食材の味を高めます。
保存と調理を兼ねた知恵の結晶の料理たち。
ずっと伝えたい宝がここにもあります。

せんまいとわらびについて。

歳取の膳。
なんともうつくしく、素朴にして豪華だ。

旅館でもいただいた鯨肉(皮のついた脂身の部分)、自分にとってもこれはなつかしい食材です。

7日に落ち合った横須賀のOさん。
Oさんとは、2018年の最初の投宿の際にお会いしたのです。そこで豆から挽いたおいしいコーヒーを淹れてくださったのでした。それ以来、それぞれがホームグラウンドに戻ってからも交流を続けてきたというわけで。

Oさんは毎年6月には少し長い休暇を取って滞在しています。
滞在中は旅館の家族とワラビ採りに行ったり、ワラビの塩蔵の仕方を教わったり…、Oさんの人がらもあるでしょうし旅館の家族の接し様もあるでしょうが、これって普通の旅館と客の関係ではないですよね(笑い)。
今回も大女将といっしょに自分が採ってきたワラビを塩漬けしていました。まるで孝行息子だ(笑い)。

いい加減3人が酔っぱらっています(笑い)。
本当はアルコールが得意ではないOさんは持参のワインをぐぐっと飲むし、筆者もつがれてついでいい気になって(笑い)。
あら、女将もほどよく酔っているじゃないですか(笑い)。

Oさんはフライフィッシャーマン。
今回は田淵義雄のフライフィッシング論を聴きましたよ。フィッシャーマンは渓流釣りのどこに惹かれるのか、どの場面に興奮するのかたんまりと聴きました(笑い)。
田淵義雄は筆者の木工家のモデルのひとりでもあり、そんな彼は釣りびとにも絶大なファンがいることのすばらしさ。彼は惜しまれつつ、2020年に永眠しています。

よい湯宿の、幸福な時間が過ぎた、よい一夜でした。

またの再会を約束して、バアーイ!です。

今年も行ってきました、工芸の聖地とのいうべき三島町の“ふるさと会津工人まつり”へ。
本当は自分も(昨年に引き続き今年も)出店のエントリーをしたのですが、今年も「厳正な審査の結果」、落とされてしまいました。準備万端だったのになあ。
「厳正な審査の結果」などと、何もこんな言葉遣いをしなければいいのにね。それゆえにも、ショックでした。
160くらいのブースに全国から300を超える応募があったとのこと、地元枠も当然あるだろうし、実績のある工房・工人も多いだろうし、新参者が入ってゆくむずかしさは当然あると思います。審査過程が開示されるわけではないので、こればかりはしょうがないことです。

京都からおいでだという打ち刃物の若い工人ご夫婦。
1本1本、研いでからお客さんに渡していました。

今年も天候に恵まれ、このにぎわい。ものすごいひとの出です。

会津美里町から、会津本郷焼の、樹の音工房。
ここの製品を別の場所で購入したことがあったのですが、(製品の感覚が若いとは思っていましたが)こんな若い工人がつくっていたのですね。

ブースの片隅で、カリンバの面板を精巧に彫刻していた彼。

ある店では(お遊びのようなものだろうけど)クルミ(ヒメグルミ/姫胡桃とオニグルミ/鬼胡桃)とトチ/橡の実そのものを売っていてビックリ。
これが売るほどに買うほどに価値のあるものだとは。しかも1ヶ50円ですからね。
都会からのご婦人だと思うけど、トチの実を次から次へと買おうとするので店のひともビックリ。合計は10個だったか、それで3個さらに取っていいですよ、差し上げますと店のひとが言えば、ご婦人がニッコリ(笑い)。

岩手はタイマグラから、南部正桶ブランドの桶職人の奥畑さんが今年もおいででした。
山暮らしをつづった本が積まれてあったのですが、これは夫人の安部智穂さんのご著書『森の恵みのレシピ』(婦人之友社2023)です。
筆者はすでに購入して読んでいました。そのことを伝えると、彼もニッコリ。

出店160をすべて見て回りましたが(惹かれないところは直観ですぐに通り過ぎて)、出店者はいずれも質が高いことは確か。自分も出店することをイメージしてみるのですが…。来年はどうしよう。

今回の工人まつりもふくめて旅行で購入したのは大きく4つです。
竹細工の工房から、脚つきの笊、3,500円。
形がシンプルなのがいいし、何より3点支えの脚が魅力です。
通気性がよいので果物入れにいいかもしれない。

これは檜枝岐村の山人家(やもうどや)という店で購入した、檜枝岐に古くから伝わる刳(く)りもの木の皿、材質はキハダ(黄膚)です。キハダの器はめずらしいです。3,500円。
これは菓子皿がよいかも。

下の2点は、年に1度の工人まつりに合わせて開店する、三島町のメインストリートの宮下の骨董の店・佐一の庄。
筆者は毎年ここに立ち寄るのが楽しみなのです。
主人が趣味で集めた骨董品が蔵に所狭しと並んでいます。

醤油の通い瓶をひとつ、1,000円。花瓶によいかと。 

時代物の古伊万里の小皿、微妙にちがう大きさ、素朴な印判手…、たぶん明治の作ではないかなあ。
なんとこんな貴重な時代物の皿が3枚200円(ビックリ)、それを6枚。
これはすぐにも我が家の食卓の日常使いになります。

モノは語る、モノは話す…、その話に耳を傾けて聴いていたいものです。
モノが語る声を聴いているのは幸いというものです。

そうして、筆者の休暇も終わったのです。

それじゃあ、また。
バイバイ!

 

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