森の生活製作の時間

クリスマスツリー

雪が降ってきて、いよいよ本格的な冬の到来です。
これからの日々はつらくて厳しいのは先刻承知のこと、ならば愉快にいきたいもの、せめてこころはあたたかくしていたいもの、胸は希望で満たしておきたいもの。

筆者にとっては、冬を乗り切るための明確な区切りの日というものがいくつかあります。
ひとつは冬至とクリスマスを含めた12月20日過ぎあたり。
言うまでもないことですがこの12月20日過ぎあたりは1年でもっとも日が短く夜がもっとも長いです。
ここを過ぎると日脚がわずかずつでも長くなっていきます。この、日脚がわずかずつでも長くなる、これは希望に他なりません。
つづいて二十四節気の第24“大寒”の1月20日。
夏至と猛暑の関係と同様、日照時間の最長短と気温の最寒暖には1か月のズレがあるもの、つまり冬至の1か月あとに来るもっとも冷え込むのが1月20日付近です。
そして2月20日。
このあたりまでが積雪深と吹雪襲来のピークで(昨季のピークは2月23日で自然積雪深230センチ。雪の対応に追われて日々ヘトヘトでした)、20日を過ぎると積雪も吹雪も恐れるに足らずとなります。
あとは、春の匂いがするばかり…。

そういうこともあって、冬至とクリスマスの時期は意義深いのです。やはりひとつの大切にしたい祝祭です。

そもそもクリスマス(Christmas)の語源は、キリスト(Christ)+礼拝(mas)。
クリスマスはキリスト教にあっては欠かすことのできない大切な行事ですが、そのルーツは冬至祭だといわれています。
太陽神を信仰していた人々にとって日照時間が短くなる秋から冬は“死が近づく時期”と恐れられていたとのこと。特に太陽の光がとぼしい北欧の民にとっては切実なことだったろうと思います。冬至を境に日が長くなることは太陽神の復活でもあります。
それが後にキリスト教と合わさって、12月25日がイエスの生誕祭とされたのです。
よってクリスマスは冬至祭でもあるというわけです。

今回のsignalは、展示会でお披露目しようと製作してきたクリスマスツリーのことです。
昨年のちょうどクリスマス前の12月20日頃にはじまって翌3月の末まで続いた約100日におよぶ製作の記録、題して「クリスマスツリー」です。

※以下に使っている大方の写真は、断りがない限りは昨年末から翌3月末までのものです。

樹形が美しく天然のクリスマスツリーに見立てた我が家のシンボルツリーのひとつ、イラモミ(刺樅/マツ科トウヒ属)。
この木の名前がずっと分からずにいたけれども、今年ようやく分かったのはうれしかったです。
それまではだいたいの見当としてトウヒ(唐檜)と呼んでいたものでしたが(トウヒ属なので間違いではなかったのですが)。
イラモミは欧風の趣きながら、これは日本の特産種です。

この木は、懇意にしている近くの栗園の敷地の(たぶん植栽されたイラモミの)15センチほどの実生(みしょう)をいただいて育てたものでした。
育てて、20年が経過しました。でも今年の春のマイマイガ(舞舞蛾)の幼虫の異常発生で、何とすべての葉が食い尽くされてしまったのです。
新たな葉の出現かなわず復活の見通しは立たず、無念ながら思い切って伐り倒しました。よって今、この姿はありません。
ヒュッテと工房のすぐ目の前にあった木だったので、筆者は毎日四季折々に見ていたものでした。
決して飽きることがはない、友のように親しい木でした。

もうひとつのシンボルツリー、モミ(樅/マツ科モミ属)。
モミは主屋の前庭にあって、食事のときなどには必ず目に入る景色の一部です。これもまた、天然のクリスマスツリーにふさわしいものです。
これは吾妻連峰の中ほどの北麓の森の中で見つけた、やはり実生から育てたものです。

意外にも、このモミも上のイラモミ同様、日本の特産種です。
となると、ヨーロッパのクリスマスにおなじみの“モミの木”というのはモミではないようで、そのほとんどはドイツトウヒ(独逸唐檜/別名ヨーロッパトウヒ)なのかもしれません。
トウヒ属とモミ属はずいぶんな違いがあるのに(球果はトウヒ属は枝の下に、モミ属は上につく等)“モミの木”と言い表してきたのは、単にモミに似ているからという日本の便宜的な言葉遣いなのでしょうか。

以下のモミはつい最近、初雪のあった2日のもの。

12月に入ると我が家は、玄関口のドアに上のイラモミかモミの枝とともに木彫りのサンタクロースを飾ってクリスマスを迎えます。
下は、モミの枝。これからはモミ一択になります。

どうしたわけだろう、筆者のクリスマスのイメージにはリンゴは欠かすことができません。
サクサクとした食感の果肉のいい匂いが部屋いっぱいに漂う…、それが筆者の中では聖なる(あるいは清浄な)気を表象(ひょうしょう)するものなのかどうか。
宮澤賢治の作品の中には(「銀河鉄道の夜」をはじめとして)リンゴがたくさん登場するけれども、やはり聖なるイメージがあってのことだったでしょう。

そうしてクリスマスには欠かすことができないのは、エーリヒ=ケストナー(Erich Kästner 独1899-1974)の少年小説『飛ぶ教室』です。
しかも何と言っても高橋健二氏の訳の岩波書店版の。そして挿絵はワルター=トリヤーのもので。

『飛ぶ教室』はドイツのギムナジウム(寄宿学校。日本の中高一貫教育に近い中等教育機関)を舞台にしたクリスマス物語です。愉快痛快の展開の中にも人生の何かを語りかけてくれる傑作だと思います。
この本を少年少女期に読む読まないではその後の歩みは大きく違ってくるのではとまで思います。
筆者は今もあきずに読み続けています。

なお、ケストナーがこれをドイツで発表したのは1933年(これは賢治が死去した年でもある)、アドルフ=ヒトラーが政権を握った年です。
そして33年はナチスの焚書(ふんしょ)事件(政権に合わない書物を集めて燃やした言論封殺のひとつ)のあった年でもありますから、それらをかいくぐってのかなりむずかしい出版だったのではと思います。
『飛ぶ教室』の行間を読んでいけばわかることですが、内容は横暴な権力への抵抗の精神が流れてもいるのです。

画像は1933年5月11日ベルリンオペラ広場で行われた焚書。wikipediaより。

また、かつてこの『飛ぶ教室』をNHKが、高橋訳をベースにラジオドラマとして製作したことがありました。とても秀逸でした。トリヤーのすばらしい挿絵が動画となって立ち現れるがごとくのようでした。
しかも放送は1999年の、(戦前思想の復活を明確に意図して制定された)“建国記念の日”の2月11日、この日をわざわざ選んで放送したのは一部NHK職員の政治権力への抵抗の矜持を見たようで胸がすく思いがしたものでした。

そして最近、そのときのドラマ音声が“ニコニコ動画”にアップされていることを知りうれしくなりました。
機会があれば、ぜひ聴いてほしいものです。
参考までに、下にそのURLを貼りつけておきます。

「ケストナーの世界」2/3「飛ぶ教室」 – ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

クリスマスといえば“スノーマン”。
スノーマンは今年8月に惜しまれつつ亡くなったレイモンド=ブリッグズ(Raymond Briggs 英1934₋2022)が生んだキャラクターです。
下はヒュッテ内の、陶器製のスノーマンのこわれたオルゴール。
最近の、夢を無視する大人やませてパサパサに乾いた子どもも多い中、ブリッグズの描くクリスマス物語には幼い魂への信頼が息づいていて感動します。
絵本(1978)もさることながら原作のアニメーション「The Snowman」(1982)は児童文学界の金字塔だと思います。

そして、クリスマスといえば筆者は、コレッリ(Arcanjelo Corelli 伊1653-1713)の「合奏協奏曲」を聴くのは定番です。特に第8番ト短調には「クリスマス協奏曲」という題がつけられて、クリスマスを彩っています。
美しい旋律とバイオリンの音色がすばらしいです。

下は、コレッリの肖像。画像はwikipediaより。

ステンドグラスのオーナメントをリビングのドアに飾って。 

我がルーザの森クラフトの主力商品のドアリラ。
そのなかでもトップセールスがこのモミの樹形をモチーフにした“D-04  tree”です。
我が家では、リビングのドアにかけてあります。

どっかで見かけた顔のようだけど、本人曰く、白いヒゲを伸ばしているのはこの時期のアルバイトのためだとか。
サンタが世界中をひと晩でまわるのはたいへんらしく、実はひそかに世界中に求人広告を出しているのだそう。それを見つけて応募して、選考に通ったとのことでした(笑い)。 

玄関ドアの木彫りのサンタ。
もう30年も前だったか、100円ショップで見つけたもので、とても気に入っています。
これ以上のセンスの木彫りのサンタは(100円ショップでも、他でも)見かけたことがないです。 

昨年の雪はことのほか早く来て、12月18日には第1回目の除雪車が出動したほどでした。
したがって去年はクリスマスごろにはあたりは見渡すかぎりの雪景色となっていました。
下は、工房の窓ガラスの、雪囲いの渡し板のすき間から。

外は、雪がしんしんと降りつづいています。

静かな夕べです。

工房の薪ストーブに火を入れて。

工房の天井は高く(棟高は4メートル近く)、しかも3坪分の増築をしたので広さは全体で15畳となり、ストーブに火を入れても(外気が0℃の場合)室内の温度は12~13℃ぐらいになるのがせいぜい。
でも、作業はほどよく身体を動かすのでこれぐらいがちょうどよいです。

雪の日は何より静か。
音のしない空間というものは感官が研ぎ澄まされていくもので、こういうときはものをつくるのにはもってこいです。

かつて筆者を虜(とりこ)にした、秋田は木地山系のこけし工人に小椋久太郎(1906-98)というひとがいました。
ここ5年ばかり前のことですが、筆者はずいぶんと現地(湯沢市の深山の泥湯温泉近く)に出向いて彼が生きていたころの空気を吸ったものです。
その久太郎のつぶやきがものの書(山川肇著『雪ぐにの人生』農山漁村文化協会1981)に紹介されています。

ことし(一九八〇年)は大雪だ。七年ぶりのことだ。寒を過ぎても一ヶ月はこの山は油断ならない。でも雪がふるとおちつく。いいものができる。

そう、「雪がふるとおちつく。いいものができる」、のです。これは筆者の実感でもあります。

そして、クリスマスツリーをつくるために図面を引きました。

筆者がつくろうと考えたツリーは小さな枝と葉が省略された裸の木です。
クリスマスツリーのシンボルともされるマツ科でもモミ属やトウヒ属は常緑を特徴としていて、その冬でも変わらぬ緑が生命の象徴でもあります。
よって、本場ヨーロッパでは家に本格的に真物を飾るには山から実際の(たぶん)ドイツトウヒを伐ってくるか、町に住むひとならクリスマスマーケットで売っているものを(枯れてしまわないよう)クリスマス・イヴ直前に買ってきて飾るかするようです。
そうでない場合は、いきおいイミテーションとなってプラスチックとなるわけです。
筆者の美意識がとらえたのは、その両方でもない究極のシンプル、木の骨格のみというものでした。

自分ではこの作品をヌードツリー(nude tree)としていたのですが、ヌードツリーが意味するのは飾りをつけていない木らしく、それはこちらの意に反しています。
ならばと探ったら、ベアツリー(bare tree)が出てきました。
ただ綴りは違えど発音はベアで、bear(クマ)と同じであるよう。これは紛らわしいことです。
よって、このsignalの表題も一般的に“クリスマスツリー”としたまでなのです。

下は、15年ほど前に遊び・戯れでつくっていたツリー。
参考にしたのは確か伴(ばん)という方が雑誌に紹介していた作品のひとつで、(ただその資料はすでになく)見たときの記憶をたどってつくったものです。
上の図面は、このときにつくったものが基礎になっています。
(なお、木工家の伴泰幸さんは2009年頃に若くしてお亡くなりになったということです)。

これを読んでくださっている方は、上のツリーを見てこれがどんな工程を経て形づくられるのか、どう想像されるものでしょう。
筆者が製作にあたって思いをめぐらせたのは次のようなことでした。

ひとつ。直方体の棒をなだらかな円錐(状)にするにはどうすればよいのか。
筆者は木工旋盤を有しているわけでなく、ありふれた道具のみで手作業でこれをなすのはとてもむずかしいとまず思いました。
ひとつ。8方向から角度をつけて(太い)枝を出したいが、どうすればよいのか。

上を受けてさらに考えれば…、
直方体の棒はまず8面体の棒にする必要があるが、どうやって正確に削りだすことができるのか。
8面体の棒にしたあとにそれぞれに角度をつけた穴をあけるにはどうすればよいのか。
そして最終、8面体の棒を円錐状にするにはどうすればよいのか。
さらに…、幹を立たせる台座はどうやってつくるのか。
台座に幹をどう差し込み、台座に対して幹の直角をどうやって取るのか。
枝はどうやってつくるのか。
幹にどう差し込むのか…。

ひとつひとつの工程はそれぞれにむずかしさをともなうものですが、でもそれをひとつひとつ克服していくのはやりがいというものです。筆者はそこに喜びを感じます。それこそ冥利(みょうり)というものです

下は、直方体の棒を8面体にしているところ。
ガイドにそって、ノコヤスリでひとつひとつの平面をとっています。

8面体の棒ができてきました。

穴あけのために正確な位置にポンチで印を打っています。

ボール盤で、印に沿って穴を開けているところ。
角度は4度くらいに傾けています。

8面体の棒に、角度がついた穴があけられたところ。

どうしたら幹にどこから見ても美しい直線的な傾斜をつけられるか、いろいろ試行錯誤して、傾斜を出すための治具をつくりました。

ようやく8面体の棒が円錐状になってきました。
材料は、左からナシ(梨)、ケヤキ(欅)、サクラ(桜)です。

いずれも銘木ですが、ナシについてはほとんど流通がありませんし、入手がきわめてむずかしい材料だと思います。
この入手先を明かせば、これは骨董店からです。
骨董店で昔の古い囲炉裏の炉縁(ろぶち)を見つけて購入したもの、その解体材の利用です。
この木について、店主とそれから日ごろから懇意の古くからの大工にも聴いたのですが、昔の炉縁には堅くて熱にも強いナシが多く使われていたとのこと、木肌はこのように青灰色(せいかいしょく)をしているのもあるし赤味が差したものもあるということでした。
ということで確証はありませんが材料はナシ、具体的にはかつては山野に自生していたアオナシ(青梨/バラ科ナシ属。和梨の原種)ではないかと推測しています。

サクラは木工仲間との、手持ちのハルニレ(春楡)との交換で入手したもの。
ケヤキはかつてのいただきものだったような。

台座をどうしようか少々迷いました。
というのは、単板でつくる場合は時間の経過とともに歪みが生じて反ることもあるからです。
ここはかつて購入していた24ミリ厚の針葉樹の積層を使うことにしました。
積層板は繊維が直交して重なっているので反る心配はありません。

台座に対して幹を直角に立たせることは意外にむずかしかったです。

台座の底からは強固な接着のためにスクリュー(ねじ)を入れており、その穴を埋め木でふさいで余分な部分を切っているところ。

ルーザの森クラフトの製品であることを示すため、台座の底に焼き印を押しています。

枝の樹種はブナ(山毛欅)とナラ(楢)です。
ナラはいずれもブナ科コナラ属のコナラ(小楢)かミズナラ(水楢)かクヌギ(椚)だと思いますが、いずれかは不明です。
材質としては、ブナよりナラの方が断然堅いです。
材料は8.5ミリ径の成型された棒を福岡の業者から取り寄せたものです。

バンドソーで、幹に差し込む7種類の長さの棒(枝)をとっているところ。

枝の、穴への差し込みの先端をナイフで削っているところ。

ここからは製作の場所が工房から主屋内のアトリエに移っていきます。工房のようなほこり立つところは塗装には不向きですので。
ひとつひとつの枝をステイン系の透明塗料で塗装しています。
塗料が内部にしみこんで、材料を硬化させつつ表面につやが出てきます。

幹に枝をねじり込んで差しているところ。

完成です。

できあがったベアツリーに点滅のライトを灯して。これは旧作。

下は、新作。
これは現在(22年12月8日)の、リビングのクリスマス飾りの様子です。
来年の10月に久方ぶりの(2018年以来の)展示会を予定していますが、これはドアリラとともに看板商品のひとつにと思っています。
ただし、販売可能な完成品は5体のみ、あとは半製品として13体限定で希望に応じて組み立てできる状態にしてあります。

市販の安価なプラスチックのツリーも否定はしないけれども、すべて無垢の材料で手づくりしたツリーもよいかもしれない。
せっかくの聖夜ですから。聖夜は特別な時間ですから。
特別な時間というものはできるだけふくよかでありたいのです。

外は雪です。

それでは、Merry Christmas!
そして、ひとりひとりにとって、よい冬至祭でありますよう。

本日はこのへんで。
それじゃあ、バイバイ!

※このツリー(ベアツリー)については2023年10月の展示会より先に予約という形で希望は受け付けたいと思いますが、お引渡しは展示会中またはそれ以降、発送の場合は展示会以降となります。あらかじめご了解ください。価格は検討中ですが、今のところドアリラのDクラスに準じたいと思っています。Dクラスについては、HPの“works”をご覧ください。

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