森の小径森の生活

晩秋の森を行く

明日からは12月という日、外は今、強い木枯らしが吹いて森全体をゴウゴウと鳴らしています。
雪が来るのはもう間近。

今回のsignalは、雪を前に身構えつつも晩秋のたのしい森のウォーキングのことなど、題して「晩秋の森を行く」です。

あたりは彩りという彩りがすっかりうせて、晩秋の景色です。
朝、葭(よし)原の向こうの笊籬沼(ざるぬま)を望んで。

笊籬沼は静謐(せいひつ)な水鏡です。

これは午後の笊籬沼、湿原のヨシが弱い日光に浮かび上がっていました。

最上川水系の源流のひとつ天王川(梓川)の水面。
落ち葉が水分を吸収して底に沈んで、流れもゆったりとして穏やかです。

天王川が流れる笊籬溪(ざるだに)にも静かな時間が訪れています。

マツタケ採りの去ったあと、11月の中旬から下旬までに何度か山に入りました。
筆者たちが住んでいるところ自体が山の際(きわ)でもあるので、山に入るとはいっても歩いて10分ほどのところですが(笑い)。
ここからが筆者たちのキノコ採りのはじまりです。町場の諸君ときたら、マツタケ採りのシーズン(9月中旬から10月下旬)以外はキノコは出ないと思っているかのようで、それはそれで結構なことです(笑い)。

11月も押し迫ると広葉樹の大方は葉を落としてつかの間の明るい森が出現します。
日光をさえぎるものがなくなって光の量といったらすごいのです。

3メートルほどの自作の長い採り棒を操って、樹上のキノコをねらいます。
竹ざおの先端にはヘラと網をつけていて、そのヘラでキノコの根元をこそいで網に入れる仕組みですが、これはおもしろいほどに上手くいきます。
相棒のヨーコさんは樹上の新鮮なムキタケ(剥茸)をゲット。

このムキタケ(またはヒラタケ/平茸)、これを食べたいがために猛毒ツキヨタケ(月夜茸)をあやまって食べてしまう事故が跡を絶ちません。
ともに扇形のムキタケとツキヨタケは形は似ていても発生の時期はかなり違います。雪が降る前の時期にツキヨタケは出ません。
ただし以上のことは、この地区に限って言えることかもしれず。というのは、晩期のキノコであることは確かなムキタケと晩期のキノコとはいえないツキヨタケが同じ木に一緒に出ているという報告もあるからです。
いずれにしても気をつけたいことです。

実は筆者もかつてこのツキヨタケを(飯豊山麓で、9月下旬に)ハケゴ(腰籠)いっぱいに採って帰って自慢げにしていたことがあったのです。でも、ふと気になってそれを暗室に持ち込んだら何と、ピッカリピカリと月夜のごとくに光るではないですか。
あー、危なかった!(笑い) そう、ツキヨタケは暗闇で光るのです。
見分け方のもうひとつは、根元の石づきが黒いかどうか、黒いのがツキヨタケです。

今年はキノコの出は一様によくないです。マツタケ(松茸)もシメジ(湿地)もさっぱりだったようですが、それは晩期のキノコも同様です。
今年は晩秋にしてはあたたかく、しかも雨が極端に少ないことが大きく影響しているからだと思います。それに夏場の連日の猛暑もきっと影響があるはず。

発生はよくないとはいえ、それでも晩期のキノコはそこそこに出ています。
今年の特徴としたら立木よりは倒木のほうに多く発生していますが、これも地表近くの方が水分があるからだと思います。

下は、ムキタケとナメコ(滑子)が隣り合わせで出ている様子。
左上がムキタケ、そのまわりがナメコです。

ナメコの群落を見つけるとうれしくなります。
ナメコでも市販のつぼみのものしか食べたことがないひと(ほとんどがそうだと思うけど)には分からないだろうけれど、天然のものは風味がまったく違います。特に、傘が開いて成菌(傘は直径10センチになるものもある)になったものの味と香りの濃厚さと言ったら。
市販品と天然もので料理に差が出るのは当然のこと、味噌汁ひとつでもそれは誰にもわかることでしょう。
天然物は山の霊気と滋養を十分に吸った個性豊かな傑物なのです。
ナメコは歯ざわり舌ざわりよろしく、おろしによし味噌汁や蕎麦の具によし、使い出は他のキノコより幅があります。
その風味は冷凍でも塩蔵でも落ちることは少なく、それも大きな魅力です。

樹上のナメコ。
これはかなり乾いていますが、調理するとナメコ本来のぬめり・ぬらめきは見事に復活するものです。

下は、倒木に出ていたムキタケ。
なんでムキタケというのかというと、このキノコの表皮はツルンと剥けやすいからです。
調理ではこの表皮を剥いてからというひともいますが、こちらはまったく気にしません。
ムキタケはキノコにしてはめずらしいゼラチン質で、鍋物やバター炒めもいいけれども、本領はクリーム系の欧風料理だと思います。
当然シチューに合うし、今回筆者が試しにつくったクリームパスタにもとても合いました。

クリタケ(栗茸)。
枯れはじめた大木の根元によく見かけるキノコです。
クリ(栗)にも出ますが、コナラ(小楢)やミズナラ(水楢)に多く出るようです。


クリタケはクリの木に出るからではなく、キノコの色や形がクリの実に似ているからの命名だと思います。事実、典型的なクリタケの色はクリ色だし、幼菌は丸くてクリの実そっくりです。
下は、数年前の敷地内に出ていたクリタケ。


クリタケはシイタケ同様、菌駒(種駒)として市販されていますし、原木さえ手に入れば栽培は容易です。
事実、筆者もかつては栽培して収穫したことがありました。でも今は、天然物が採れるので栽培からは遠ざかりました。

クリタケは食感がとてもよいです。
我が家ではおろしや汁や鍋の具はもちろん、洋風雑炊やスパゲティーの具にもします。
それから、(当置賜地方独特の郷土料理だと思うけど)キク(菊/食用菊の“モッテノホカ”)のおひたしにクリタケを和えたりもしますが、これもなかなか乙なものです。

下は、注意を要する毒キノコのニガクリタケ(苦栗茸)。
幼菌のうちは黄色が強めに出るので見分けはたやすいのですが、こう大きくなるとつい手を出したくなるほどにクリタケによく似てきます。
実は、筆者がキノコを覚えたての頃、このニガクリタケを汁の実にして食べ、腹をこわしたというニガイ(笑い)思い出があります。
ちょっと口に入れた時に苦さを感じて大方を吐き出したのでよかったけど、それでも少々腹に来ました。
家族の中で筆者がいち早く口にしたことで毒見役になったのもよかったと思います。
キノコ採りをはじめる者には、特に気をつけたいキノコのひとつです。

このニガクリタケに関して我が郷土の誇るべきキノコ博士であった清水大典さん(1915‐98)の著書『きのこ 見分け方 食べ方』(家の光協会1988)にこうあります。

ひと昔前の山里の生活は、現代では想像できないほど貧しかった。
流通機構の疎遠から自給自足は当然のこと、東北の山間地方では、強毒菌のニガクリタケをニガコの愛称で食用に供した記録がある。有毒成分のつよい苦みをゆでこぼし、流水に長時間さらしたうえでの利用法であった。

このキノコを毒と分かっていながら食材にして(食糧の乏しい)冬場をしのがなければならなかったという東北(たぶん雪国)の民たち…、東北はそうした苦い歴史と記憶を刻んでいるわけです。
今も塩漬けだとか乾燥だとかの保存法が暮らしに生きているのはその貧しかった頃の名残り、いかに冬場を乗り切るかという知恵なのです。

樹上のヒラタケ。

ヒラタケを採り棒でゲット。
ここらの山でヒラタケを見かけるようになったのはここ5年ほどです。
菌が風に運ばれてこの森にもやってきたよう。ただし、採れる数は少ないです。

ヒラタケもクリタケ同様、菌駒(種駒)として市販されていますし、栽培も容易です。
が、このキノコも天然物の風味のよさといったらありません。
豆腐汁に広がるヒラタケの濃厚な香りは何をかいわんやです。
バター炒めによし、煮物にもとてもいいです。ヒラタケの煮物にゼンマイなどが加わったらそれこそ絶品というものでしょう。

東北の(特にブナ帯の)晩秋の森は本当に明るいのです。
明るいというのは見通しがきくということ、この見通しのよい時期にクマはわざわざ出歩くことはありません。ニンゲンというものを特別に警戒しているからです。

筆者たちが向かう採り場に生えている、めくれ上がる樹皮が特徴的なオノオレカンバ(斧折樺/カバノキ科カバノキ属)の木。
軟材が主流のカバノキの仲間にしては異色、オノオレカンバはこの名が示す通り斧が折れるほどに(誇張でしょうが)日本で最も堅い木のひとつで、用途として印鑑や櫛、楽器のマリンバに使用されるとのことです。
原木市場にもめったに出ない高級材です。

そうしてリュックもバッグもいっぱいにして辿りつくのは、いつもの淵です。
この静謐な風景にどれほどの平安をもらっていることか。
ここの水の風景はこころが落ち着きます。
まさに、peace & quiet!

エストニアにアルヴォ=ペルト(1935―)という作曲家がいます。
彼の代表作のひとつが「鏡の中の鏡(Spiegel in Spiegel)」1978というもので、ピアノによるたった3音ずつのくりかえしの単純な旋律の中にチェロの低音がかぶさって深淵な世界をつくりあげています。
淵にたたずむとこの楽曲が自然に重なることがあります。
筆者はこの曲がとても好きです。

そして、清い流れに沈みはじめた落ち葉の美しさ。

さて、家に帰ればキノコの処理が待っています。
朝早くに採りに行って昼前にもどり、午後は夜中までかけて処理作業が続きます。
石づきを切り落とし、茹でてからひとつひとつていねいに洗って塩漬けにすれば12時を回ることもあります。
不作とはいえ、まあ、時間をかければそれだけの収穫があるということですが。

採れば我が家だけではとても食べきれないのは明らか。
それで、ほしいというひとには差し上げるのですが生のままのものはムキタケに限ります。新鮮でよい形のままに保たれているのはムキタケぐらいだからです。
ナメコとなるとリュックの中で押しつぶされたりして見映えはよくありません。特に成菌は傘が壊れやすいです。

塩蔵したものは、ほしい時に四季を問わずに塩抜きをして料理に使います。
それから遠方の友人知人に発送したり、来客時のおみやげに持って行ってもらったりします。
こういうものが好きなひとには大変喜ばれ、とても重宝するものです。

そうして山から我が家の小さな畑に目を転ずれば、こちらも収穫の最後。
もったいないからと相棒がトウガラシ(唐辛子)を刻んで、それを薪ストーブの近くで干しあげたところ。
あまり辛くない種(しゅ)のようで、煮物の材料のひとつにでも利用できそうです。

赤に黄色に緑…、彩りが素敵です。

晩秋の森はもう大方は飴色・枯れ色に変わっているのだけれど、わずかにもこんな彩りが。
下は、クリムソン(濃い紫味の赤)のツルリンドウ(蔓竜胆/リンドウ科リンドウ属)の実です。
山口県のある地方ではこれを、“タヌキノキンタマ”と呼ぶそうな(笑い)。イマジネーションのたくましさというか(笑い)。

晩秋の森の美しきはこの青紫。
一見、ムラサキシキブと思いきや、これはコムラサキ(小紫/ムラサキ科ムラサキシキブ属)です。
見分けは葉です。ムラサキシキブは葉全体がギザギザの鋸歯でおおわれるのに対し、コムラサキは先の方だけがギザギザです。
実のつき具合はコムラサキの方が密だということです。

まだ残っていたタカノツメ(鷹爪/ウコギ科タカノツメ属)の黄葉。

フユノハナワラビ(冬花蕨/ハナヤスリ科ハナワラビ属)も黄色味をおびて。

イワカガミ(岩鏡/イワウメ科イワカガミ属)の、冬を前に緑から臙脂(えんじ)色に変わろうとする葉。
イワカガミの葉は紅葉するからといってその後に落葉するわけでなく、それではいったい何のために変色するのかはずっと疑問に思っていたことです。
それに対してある資料で、糖分が多く凍結しにくいアントシアンという成分を体内に生成して寒さ対策をしているという説に出会いました。であれば、納得です。

白く美しいハナゴケ(花苔/ハナゴケ科ハナゴケ属)。別名はトナカイゴケ。
高原ツンドラの優先種がここルーザの森の(標高400メートルそこそこの)小高い山に生育していることは不思議です。
成長は年3~11ミリと遅く、一旦採取されたり踏みつけられたりすると、元の状態に戻るまでに数10年を要するとのことです。
これは別名のトナカイゴケが示す通り、トナカイの重要な食糧です。

ヨシ(葭/イネ科ヨシ属)の枯れ様。
ヨシの元々の名はアシ(葦)で、アシは悪しに通じるからとヨシになったということです。
筆者としたら、アシでいいと思うのだけれど。別に植物の名に、縁起も何もないと思うのだけれどどうだろう。

そういえば幼い頃、このヨシの葉をくるくると巻いてタラノキ(楤木)の棘を刺してとめて、笛をつくって吹いて鳴らしたっけ。
2枚3枚と継ぎ足してラッパを大きくすれば、その響きはどんどんとテナーからバスへと移り変わるのでした。それは子どもごころにもとても面白かったものです。

そうして久々に鑑山に登ると、葉を落とした銀灰(ぎんかい)のコナラの林がくっきりです。
そして我が家は今、銀灰色におおわれています。

アオハダ(青膚/モチノキ科モチノキ属)は美しい灰色の株立ちの幹を屹立(きつりつ)させて。

ヨシを樹下にしたがえて、ハンノキ(榛/カバノキ科ハンノキ属)の晩秋の立ち姿。 

散歩道にホウノキ(朴/モクレン科モクレン属)の実が落ちていました。
6月に咲いた豪華な白い花の後の姿です。 

参考までに、ホウの花。

ものの憐れか、はかないいのち。
小さな蛾(種は分からず)がジョロウグモ(女郎蜘蛛)に捕らえられていました。

あたりに霜が降りて。

夏期の間約1キロにわたって設置していた自作の美化看板を回収してきました。今年も大いに活躍してくれました。
来春からもまた、ヨロシクです。
ついでに路上のゴミも拾ってきました。

小屋の壁は板を1枚ずつ落として覆い(この小屋の大きな工夫点)、雪用のスノーダンプなどを備え、

ガラス窓には板を渡して保護し(雪が屋根から落下したときの跳ね返りが窓を直撃するのです)、

除雪のための目印となる竹ざおを方々に立てて…、
雪を迎える準備は万端です。

そしたら、2日の朝に雪が来ました。そうして冬がはじまりました。
庭のモミ(樅/マツ科モミ属)も雪化粧をしました。

 

雪が降ると筆者は子どもの頃と同じようにうれしくなるのだけれど、それはどうしてだろう。
たぶんそれは、森に暮らしているから? 森に降る雪はこの上なく美しいから?
筆者は美しいものを目にすること以上の喜びというものはこの世にないと思っています。
(連日の雪との格闘となるとつらいことは確か。でも雪を“美しい”と思えることも確か。美しいと思えるうちはこの場所でたのしく暮らしてゆけるでしょう)。

玄関のドアにモミのひと枝と木彫りのサンタを飾って。
これから静かにクリスマスを待つことにします。

本日はこのへんで。
(本日はサッカーW杯でスペイン戦に勝利した記念すべき日、ヤッター! 早起きしたかいがありました)。
それじゃあ、バイバイ!

 

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