昨年(2021年)の半ばだったか、ご自身の画業の集大成ともいうべき出版されたばかりの画集を送ってくれた方があって、そのお礼にと、塩で漬け込んだ山のナメコの瓶詰めをお送りした(笑い)ことがありました。
と、横浜にお住いのそのご高齢の婦人が尋ねてくるには、「塩抜きって、どうすればいいんでしょうか。はじめてなもので」ということでした。
えっ、と思いました。
我々にとっては“塩漬け”と“塩抜き”はごく自然なものなのに、彼女にははじめてのことという。
そしてよくよく考えて、納得しました。
都会というのは、食材を保存する必要がないということ、食べたいと思うときに食べたいと思う食材や食品が(お金さえあれば)いつでもいくらも手に入るということ。
そうなのです。逆に、田舎、特に雪国では、冬場は田畑(でんぱた)から食物が生産できるわけでなし、夏場に栽培や山や野原からの採取で収穫したものを大切に保存して工夫して食べ、そうして生き延びてきたというDNAが潜んでいるということを。
食材を乾燥させる、塩漬けにするというのは当たり前の生活の知恵なのです。
当然、物流が発達した今日では、地方でもマーケットに行けばたいていのものが手に入る時代にはなってきたけれど、それでも食材を保存して冬に備えるという意識は脈々と受け継がれています。
我が家の土地のオーナーであり同じ隣組の(御年95歳になる)マサさんは今日も元気。朝から晩まで野外に出て働き、敷地の草木は彼女の手にかかってみんな素直、整然とした美しさを湛(たた)えています。多少の雨ならカッパをはおってでも働いています。
いくつになっても日々に課題があって、その課題をこなして次につなぐ、それをくりかえす姿はとても尊くもあり。
用あって訪ねると(筆者はよく顔を出すのです)、その日は広大な栗園の敷地の片隅でワラビ採りをしておいででした。
こちらが、「熱心だごどねっス(熱心ですね)」と言えば、「冬分に漬けねどなんねがらヨ(冬に備えて漬けねばならないから)」ということでした。
ことのほか厳しかった冬から解放されてようやく春が来たというのに、マサさんはもう、冬を見越しているというわけです。
「ちょっとホンマさん、フキでも持っていがねが?」ということで、栽培している巨大なアキタブキ(秋田蕗)をありがたく頂戴したのでした。
「どうも、おしょうすなっス(ありがとうございます)。マサさん、フキで雨宿りできんネ(笑い)」。
「ほだのよ(笑い)」。
マサさんはまるで、コロボックル(笑い)!
あるいは、雨の日のバス停の、トトロと並んで傘さすサツキだ(笑い)!
そうなのです。雪国のニンゲンにとって、春・夏・秋は冬のためにあるということ。冬を乗り切るように暮らしが回っているということ。少なくとも、春・夏・秋といえど何かしら冬を気にかけているとは言えると思います。
常に冬が気がかりだなんて、不幸というものでしょうか。惨めだと思いますか。
(筆者は、)いいえ、ちっともです。
そうして逆らいようにも逆らうことができない圧倒的な冬を抱えて暮らしていればこそ、ひとは思い上がらずに謙虚になれるように思うので。
筆者にとっては、人生、何よりこれが肝要かと思っているのです。
*
その雪国に春が来ました。
今年はことのほか冬が厳しかったがため(気温が異様に低く推移したし、雪の量が尋常ではなかった)、春の光の美しさは一入(ひとしお)です。
今筆者は、もうとんでもなくうれしく、身体がうずいてどうしようもないです。
アドレナリンの、一気の噴出です(笑い)。
ということで4月30日に、いろんなことをほっぽり出して(勢いよく放って)山に入りました(笑い)。
春は山菜の季節、まずは手始めにコゴミ(クサソテツ/草蘇鉄/コウヤワラビ科クサソテツ属)を採りに。
自宅から10分ほど歩いてコゴミ場の入り口に着けば、このあり様。雪によってスギがバッタバッタとなぎ倒されています。
コゴミが生えている場所はこの先にあって乗り越えて行かねばならず、進むのもひと苦労。
でも、約束したように、おいしそうなコゴミがたくさん。
コゴミはクセがなく、おひたしにも天ぷらにも、サラダにも、とにかく利用範囲が広くて重宝します。
コゴミは数多くの山菜のなかでもすぐれてオールラウンダー、その代表選手と言えましょう。
コゴミが採れる時期で、こんなに雪が多いのははじめてのこと。
コゴミ場にはシドケ(モミジガサ/紅葉笠/キク科コウモリソウ属)もちらほら。
でも、シドケはここではわずかしかなく、増えることを願って採ることはしません。
コゴミに続いて出るのは、コシアブラとタラの芽とハリギリです。5月に入ってすぐの頃です。
ここルーザの森はコシアブラ(漉油/ウコギ科コシアブラ属)がいっぱい。コシアブラの森と言ってもいいくらいです。
ちょっと採ろうとすれば、山菜バッグならものの5分ほどで満杯になってしまいます。
タラの芽(タラノキ/楤木/ウコギ科タラノキ属)もたくさん。
野生のタラの芽は、スーパーで出回るような栽培物の、色のさめた貧弱なものとはわけが違います。実に立派です。
そして、時を同じくして、ハリギリ(針桐/ウコギ科ハリギリ属)も出ます。
鋭いトゲがあってタラノキによく似ているけれども、トゲはこっちの方が強烈です。
ハリギリは別名、センノキ(栓木)と言い、大木に成長します。
そして、コシアブラが終わる頃に出てくるのがタカノツメ(鷹爪/ウコギ科タカノツメ属)というものです。
地元のニンゲンにもあまり知られていない山菜です。
タカノツメの樹形はコシアブラに瓜ふたつで膚の白い枝がすっくと伸び、新芽が出ないうちの区別は通でない限りはむずかしいでしょう。
なんでタカノツメなんていう名をいただいているのかというと、冬芽が鷹の爪に似て鋭いというところのようです。
そしてタカノツメは黄葉の美しい樹木です。晩秋、はっとするような欝金(うこん。カナリア色に近いかもしれない)になります。
コシアブラ、タラ、ハリギリそしてタカノツメ…。
これすべてウコギ科の植物、これを“ウコギ科四天王”と言います(これはワタクシが今、勝手に名づけたものだけどこのネーミングはgoodだと思いません?)(笑い)
“四天王”はいずれも天ぷらに合いますが、タラを除いた他のみっつの醍醐味は何といってもおひたしだと思います。
それぞれに独特なキドさ(苦さ)があって、とても個性豊か。
キドさでいえば、強い方から、1にタカノツメ、2にハリギリ、3にコシアブラだと思います。
キドいがゆえに、いずれも醤油にマヨネーズはとても合います。マヨネーズはキドさを包んでまろやかにしつつ、キドい美味さを引き出してくれます。
クルミを細かく砕いてまぶしていただくのも乙なもの、鰹節を添えるのもいいです。
また、キドいがゆえに、塩茹でし、その茹で汁でご飯を炊き、茹でたそれぞれを絞って刻んでご飯に混ぜ込めば最高の風味が楽しめます。
我々も山菜の混ぜご飯はかねてよりしていましたが、茹で汁で炊くというのは先ごろ泊ったペンションのお客さんに教わったこと。こういう情報は本当にありがたいものです。
下は、アオハダ(青膚/モチノキ科モチノキ属)の若葉。
昨年に引き続いて、今年も摘んでおひたしにと。
*
筆者はこの時期、地元ルーザの森ならず30キロほども離れた別の山にも遠征します。そこでしか採れないものがたくさんあるので。
下は、フキ(蕗/キク科フキ属)。
フキは当然我が方にもありますが、どうしたわけかここのは発生の時期が早く、しかも太くてやわらかいものが出るのです。
もしかして山住みが山のフキの特別に太い株を選んで持ち帰って移植し、代を重ねた種(しゅ)が原野に野生化したのではないかさえと思われるほど、このフキは特別です。
フキの炒め煮はとにかくおいしいです。
筆者の住む地方、これを抜きに春を語ることはできないほどに、春の喜びとフキの炒め煮は密接不可分に結びついています。
筆者はシーズン中、炒め煮を何度もくりかえして作ります。
下は、アイコ(ミヤマイラクサ/深山刺草/イラクサ科ムカゴイラクサ属)。
ルーザの森にアイコはわずか見かける程度で、まとまった数は採れません。そこでこれを食したければ遠征ということになります。
秋田で山菜の女王とされるのはまちがいなくこのアイコで、特別な格を与えられているふうです。
我が家でアイコはおひたし一辺倒だけど、ほんのりとした甘さが上品でとてもおいしい逸品です。
イワダラ(ヤマブキショウマ/山吹升麻/バラ科ヤマブキショウマ属)。
珍重される山菜ながら、我が方ではこれもわずかしかなく、しかも数は年々減ってきています。食べたければこれも遠征が必要です。
先ごろ、磐梯山の爆裂火口の銅沼(あかぬま)に登ってきたのだけれど、その登山口の裏磐梯スキー場入口までの砂利道の山際にたくさんのイワダラが生えていてびっくりしました。
そしてその存在を地元の山菜採りは知らないみたいで、まったく手をつけていないのです。まったくもったいないことです!
知れたらきっと、瞬く間に広がるでしょうね(笑い)。
イワダラのおひたしは少々コリコリした食感が特徴、クセがなくおいしく食べることができます。
下の画像には、よく一緒に生えているトリアシ(トリアシショウマ/鳥足升麻/ユキノシタ科チダケサシ属)も混じっていますが、こちらの方がよりコリコリします。
アケビの萌え。アケビでも種(しゅ)はミツバアケビ(三葉木通/アケビ科アケビ属)です。
下の図で分かるよう、アケビの萌えは蔓の延びた先っぽを一本一本摘んで集める大変な作業です。したがって、ミツバアケビは我が方にもたくさんあるにはあるけれども、より効率的に採るには大きな群落をめざすのが得策、ということで遠征するのです。
アケビの萌えは新潟で異常な人気を誇る山菜とかで、“木の芽”といえばアケビの萌えを指すそう。
で、この時期、マーケットでは卵が品薄になるのだとか。
卵を軽くといて、茹でた萌えをそれにひたして醤油を垂らしてご飯と一緒にいただくのだけれど、これは得も言われぬ絶品です。はじめてのひとならあまりのおいしさに気絶するのではないでしょうか(笑い)。
病みつきになるおいしさゆえに、筆者はこのためにも遠征を躊躇しません。
萌黄(もえぎ)色のものがすべてアケビの群落、ダム湖脇の道の急な法面(のりめん)にびっしりと生えていて、筆者はコンクリート伝いにどんどんと登って、もうそこは採り放題。
そして、ここからの景色は最高です。
遠征の帰りに立ち寄る小野川温泉の共同浴場の尼湯。
歩き回って汗ばんだ身体を湯にひたし、きれいさっぱりします。
かつてこの温泉では塩を精製していた歴史もあるのだとか、塩分のある気持ちいい温泉です。
帰りには、温泉卵を土産にするのが常ですが、店頭の名物・玉こんにゃくとともに入っている煮卵も美味、これもゲットします(笑い)。
ささやかな幸いというものですがね(笑い)。
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山菜は飢饉を乗り切るための救荒食をそのルーツとして、今は自然のエネルギーを素直に取り込んだ美味滋養の食材として食卓を彩るものとなりました。
これひとえに、山からのありがたいいただきもの、自然からの恵みです。
東を向いて、ちょっと照れながら笑って(笑い)、山と自然とそして日輪に感謝しながらいただくことにします。
イッタダッキマース!
それじゃあ、今日のところはこれで。バイバイ!
以下、「山菜三昧な日々 2」に続きます。
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