ルーザの森が紅葉のピークを迎えるのは例年ほぼ11月1日。
ビューポイントの笊籬(ざる)橋からの眺めでいうと、アオハダ(青膚) が少しだけ薄い黄色の葉を落としはじめ、タカノツメ(鷹爪)の葉があざやかな黄色(たんぽぽ色とカナリヤ色の中間)がいっそう増してくる、そんな頃です。この頃を境に、風景全体は飴色に枯れ色にと変わっていきます。
あざやかな錦から徐々に鈍色(にぶいろ)にと変わるこの季節の移ろいもいいもの。
森に棲んでいると、この色の変化は心持ちの変化、身体の変化でもあるのです。身体全体が抒情的になっていきます。
下の、1軒だけ見えるのが我が家。
まわりの暖色になっているそのほとんどがコナラ(小楢/ブナ科コナラ属)で占められています。東北地方の、特に日本海側に典型的なブナ帯の風景です。
11月1日というのは別な意味でシンボリックで、この日を境に、(マツタケ狙いの)きのこ採りの姿も消えます。そうすると相棒のヨーコさんと筆者は、近くのマツタケ山でもある鑑山の登山道の納めのゴミ拾いをして冬を迎えます。
(それにしても、なんで自分で食べたもの、飲んだもののフィルムや瓶・缶を捨てていくんだろう。それに、たばこの吸い殻の多さ。長年の人生で、こんなモラルさえも獲得しえないというヒト属の愚かさ! ったく!)。
11月1日というのはまたちがった意味があり、この頃から晩生のきのこが出はじめ、筆者のきのこ採りの山歩きがはじまります(町場からやってくるきのこ採りは、マツタケやシメジだけがきのこだと思っているのでは)。
我が家から歩いて約20分ほどで、筆者の採り場に着きます(我が家はもはや森と山のエリアで、現場はすぐ近くなのです)。
道々、彩り薄れた中にかがやいていた、クロモジ(黒文字/クスノキ科クロモジ属)の黄葉。
ヤマモミジ(山紅葉/ムクロジ科カエデ属)の紅葉。
と、すぐにもムキタケ(剥茸/ガマノホタケ科ムキタケ属)のお出迎えです。見つけるというより、勝手に目に飛び込んでくるといったほうが正しいかもしれない。
頭上を見上げて、この時期のコナラやミズナラ(水楢)の、木の葉がごくわずかしかついていないかまったくないかの木ならたいていがこのムキタケに取りつかれています。
ムキタケは木の養分をどんどんと吸って成長し、木そのものを腐朽に追いやって倒し、やがては土に還そうとしているのだと思います。
2、3年前のこと、秋田は湯沢雄勝の道の駅でムキタケ1パックが300円とか400円ほどで売られていたものです。
また、当時滞在していた山奥の(自炊専門の)温泉旅館の老女将に、宿に帰る途中で見つけたムキタケをプレゼントしたらとてもありがたがって鶏のささみを入れた鍋を作ってくれたものでした(確かに、ムキタケと鶏は合います)。
そう、秋田でムキタケは暮らしになじんだきのこなのかもしれない。
ところがこのムキタケ、ここ山形県の置賜地方ではたくさん採れて希少価値がないためかマーケットで見かけることはまずありません。そしてここらではこのムキタケを下等なものとして馬鹿にする傾向があるのも事実。
妻から「こんなの嫌い。採ってこないで」と叱られた旦那の話とか、「(他に何もないので)仕方ないから採ってしまうげんと、うまいものでねえ」と吐き捨てたりする話もよく耳にするのです。
こういう話を聞くと、筆者は(心の中で)ムッとしてしまいます。
これだって、立派な森の恵みではないか、工夫して上手く生かして、ありがたくいただこうじゃないか。そうしてこその恵みの尊さではないか、と。
ちなみに我が家では、今回はじめて、さっと茹でて刺身にして、わさび醤油でいただいたのだけれどこれは美味。シチューや鍋の具にもよし、やはり鶏との相性は抜群です。
そしてこのきのこは乾燥保存に向いており(さっと洗ってタテに裂いて天日干ししたり乾燥している部屋に置いておくと3日ほどでカラカラになります)、それを冷水で戻して炊き込みご飯になどすると香りがぷーんと立ってとてもおいしいです。しっかりと乾燥させれば3年や5年を経っても食材として生かすことができます。
下はクリタケ(栗茸/モエギダケ科クリタケ属)。
クリ(栗)の根元になるからというのではなく、その姿がクリの実を想像させることから来た名前でしょう。発生ははやり楢の木が多いと思います。クリにもなります。
下は、傘のひだが波打っているけど、クリタケです。その下はいかにも栗然としたクリタケ。
クリタケはとてもよい出汁が出るし、サクサクとした食感のよい優秀なきのこです。
ただ注意は、似たようなものにニガクリタケ(苦栗茸)というものがあります。少し黄色味を帯びて小さく、群生しているのが特徴です。これは有毒、猛毒です。
日本の三大毒菌は、ご存知ツキヨダケ(月夜茸)、クサウラベニダケ(臭裏紅茸。シメジとクサウラベニダケの区別がむずかしいんだよね)、そしてカキシメジ(柿占地)。それにつぐのがこのニガクリタケ(苦栗茸)と思っていいと思います。
実は筆者はきのこの知識が本当に乏しかった頃に、おいしそうに見えたニガクリタケを汁の実にして食べたことがあります。ちょっと食べただけでとても苦く、そのうち腹にきて吐き出したのでした。
それはもう25年も前のことですが、それ以来、きのこは分かるものだけを食べる、分からないものは持ち帰って図鑑とにらめっこ、きのこにくわしいひとの話をよく聞く、というのを鉄則にしています。
ただ、筆者の経験でいうと、分からないきのこの大方は食菌ではあります。
で、今回は相棒の、(どういう風の吹き回しか、)連れてって!というリクエストに応えて、筆者が開拓した採り場にはじめて案内しました。
そしてさっそくにも倒木のナメコ(滑子/モエギタケ科スギタケ属)です。
相棒はその出方に興奮し感動したんでしょう、見つけた!の大きな声が森中に響きましたからね(笑い)。
ナメコの出の数々。すごい風景です。
下はまだ蕾の状態の幼菌。
このぐらいのものはコリコリとした食感よろしく、何の料理でもおいしいですよね。
下は、傘が開いた成菌。
このぐらいだと香りがプーンと立ちます。なめこ汁はこのくらいの開いたものの方がおいしいと思います。
あまり見かけないけど、倒木にも生えていました。
ハケゴ(腰籠)の様子。ハケゴが満たされれば、背負っているリュックに移し替えていきます。
家に戻って、工房の作業台にひろげたところ。
夕食を終えて、薪ストーブを焚いた工房でラジオを聴きながらの処理作業。この時間もいいものです。
秋にナメコというのは、筆者の頭にこびりついて切っても切れないもの。最後の晩餐には“なめこの味噌汁”をと思っているほどです(笑い)。
それでかつては森林組合に出向いて早生や中生、晩生の、時期の異なるナメコの種(菌)駒を買ってきては楢や榛(はん)の木のホダ木にせっせせっせと打って栽培していたものです。
けれどもここ7、8年ほどでしょうか、ルーザの森にもどこからか風に運ばれてかナメコの菌がやってきたのです。そして今、この状態です。
よってもう筆者は、駒を買って打つ必要はなくなった次第。とてもうれしく、幸せです。
で、1回行って約10キロほどは採れるのだけれど、それを今季は4回も行っているので少なく見積もっても30キロ以上は採ったことになります。
そのうち約6割がナメコ、約3割がムキタケ、他にムラサキシメジ(紫占地)とかクリタケとか若干のものが混じりますが(ムキタケが3割というのは、出ていないのではなく遠慮してあまり採らないため)、ナメコとてムキタケとて毎食のテーブルをにぎわすとしてもとても自家消費できる量ではありません。
そこで、日ごろからお世話になっている方に差し上げたり、声がけして取りに来てもらったり、遠くの親戚や親しい友人・知人に発送したりして約半分ほどはなくなります。
それ以外は冷凍や塩蔵にして保存します。ムキタケは冷凍・塩蔵のほか乾燥保存もします。
山菜もそうだけどきのこも、こうしてたくわえては冬に備え、1年の食を見通すのです。
天然のきのこは食べるまでが大変です。
虫が入っていそうなイグチ類などは塩水で虫出しをします(ムキタケやナメコは必要ありません)。堅い茎や石づきをひとつひとつ取り除きます。そうしたらあとは軽く茹でてからひとつひとつの汚れを落としていきます。
筆者はこの、きのこを洗う時間も好きなのです。なぜって、そこについている葉っぱに目を奪われるから。
あっ、イタヤカエデ(板屋楓)だ、ハウチワカエデ(羽団扇楓)、クマヤナギ(熊柳)だ、あっ、コナラだ、ミズナラだ、あっ、シデ(四手、垂)だ、カンバ(樺)だ、ヤマナラシ(山鳴)だ……、と(当然、判別できないものも多いです)。そしてそこに生えている樹木の様子を想像するのは楽しい。
ナメコのレシピって、思いつくのは味噌汁の具となめこ汁、それから蕎麦やうどんの具ぐらい。何とか幅を広げたいと思って、今季はいろいろと挑戦しています。
今回ネットで見つけたレシピの“なめこあんかけうどん”はおいしかった。
さらには“なめこなめたけ”を作ってみました。いわゆる“えのきなめたけ”のなめこバージョンです。
エノキダケ(榎茸)は独特の粘りを出すので市販のものを用意し、その倍量のナメコと一緒にし、それから切り昆布を加え、あとは酒にみりんに醤油と砂糖で味を整えました。
これは成功、これはうまい、さっそくにもご飯の友となったのでした。アテによし、日本酒やビールにも合うね。
下はある晩の食卓。なめたけおろしに、ご飯になめたけ。卵焼きに炒め物。質素ですねえ(笑い)。
でも十分にしあわせなのですよ、これで。
以上は、ルーザの森にも天然のナメコが発生するようになったというヨロコビの記録だけど、実はナメコの発生はナラ枯れに関係しているということを聞いたことがあります。事実、今年の夏は異常な高温で推移したけど、麓から見る山々に秋口だというのに紅葉然とした樹木が目立ちはじめていたのです。
ナラ枯れは、大量のカシノナガキクイムシがナラ・カシ類の幹に穴をあけてせん入し、身体に付着した病原菌(ナラ菌)を多量に樹体内に持ち込むことにより発生する樹木の伝染病ということです。けれども被害木にまん延するナラ菌を、キノコ菌が退治するということも言われているのだとか。だとするとナメコの発生は自然がもたらすひとつの有機的なシステム、森の更新を自らの力で行っている姿ともとらえることもできそうです。
ただナラ枯れの問題は今後も考えていかねばなりませんね。ともあれ、森はさまざまを教えてくれます。
*
さて、筆者がこの時期に山に入るのは、何もきのこ目的だけではありません。木に会いに行くといえば大げさかどうか。
実は筆者の採り場から遠くないところに、このあたりでは非常に珍しいオノオレカンバ(斧折樺/カバノキ科カバノキ属)という木の自然林があるのです。わずか20メートルの範囲に8本ほども群生しているのですから、たまりません。そこにたたずむ時間がいいのです。
見つけたのはおととしの今頃のこと、あまりに特徴的な樹皮にはっとしたものです。樹皮は今にも剥がれんばかりにめくれあがっています。
オノオレカンバは標高500メートル以上の山肌に根を張り、1ミリ幹が太くなるのに3年はかかるという非常に堅い木とのこと。この堅さゆえ、“斧折れ”の名があります。
オノオレカンバは自然林の中では数が少なく、また成長が遅いため、植林もほとんどされず、貴重な木の一つとされているようです。昔は馬そりなどに、今日では珠算玉や楽器(木琴)、印鑑などに用いられているといいます。
以上は、筆者(と相棒)だけの秘密であり、広大な広葉樹林の標高の高いところゆえ、場所はそうやすやすと特定できるものではありますまい。
そうして肩に重くのしかかるリュックを背負ってひとしきり歩いてたどり着くのはいつもの淵(この淵を相棒は、“笊籬の瞳”というのはどう?と提案してきました。いいかもしれない。当然、吾妻連峰東端の一切経山眼下の五色沼の別名“魔女の瞳”にならってのことですが)。
この静謐な風景がいいのです。
静寂な森の中に、わずかな流れの音だけが響き……。
森は雪のくるのを静かに待っている。
淵にたたずめば、身も心も精神も刃物のように研がれ……。
晩秋の匂い……。
晩秋の光……。
晩秋の言葉……。
ようやく帰り着くと、我が家の敷地の広場のコナラにもナメコが。
ナメコ、ナメコ、ナメコ。なめこ、滑子、ナメコ……。
もう夢にも、なめこお化けが出てきそう(笑い)。うなされそうです(笑い)。
ヒュッテの頭上高くに何やら動くものがあるなあと思えば、蜘蛛(ジョロウグモ)の巣に蛾(特定できず)がバタついていました。
モスラvs.スパイダーの戦い?
生物は生き延びるために戦わねばならぬ。これも冬を前にした、偽らざるリアリズムであります。
もうすぐ、雪がきます。
それじゃあ、バイバイ!
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