これから5回にわたって、ルーザの森クラフトの、工房の増築日誌を綴っていこうと思います。これは筆者の、ひと冬をまたいだ10か月の大がかりな仕事の備忘録のようなものです。
建築の具体的な進行もさることながら、筆者がそれぞれの場面で何を考え思っていたのか、それが造作にどう反映されたのかも綴れればと思います。
その第1回、工房増築日誌1、「墨付けと刻み」。
時は、昨年(2019年)9月のはじめ。ちょうど、キクイモ(菊芋)の黄色な花が咲きはじめたころでした。
物づくりをしていると誰でもそうだと思いますが、技術の習得にしたがって、手持ちの道具を使って時間と手間をかければ何とかなりそうなことでも、さらに高度な道具が手に入れば製品に格段のクオリティーが加わると思われることがあるものです。筆者にとってそれは、“ドラムサンダー”という機械でした。
ドラムサンダーは、“ベルトサンダー”などのサンダー類の一種で、材料を上下から抑え込んで表面を上部のドラムで研磨する特別な機械です。
正確な厚みを出すなら自動カンナがあるではないかと思われる向きもあろうかと思いますが、木材というのはそれがまた複雑かつ繊細なもので、別のことなのです。
木材は人間のようにそれぞれに異なった性質を持っています。特に、クリ(栗)やナラ(楢)をはじめとする落葉広葉樹の場合は、ねじれやゆがみの性質も加わって扱いにむずかしいことがあります。
とかく逆目には苦労します。手カンナでなら、逆目の板を削ることはできません。自動カンナなら目の方向をまちがえ逆目なら肌が荒れるかもしくは繊維そのものを破砕してしまうことがあります。
しかも順目と思って入れても部分的に逆目がある場合もあり、そこではケバが立ってしまいます。こういうのはまれなケースではありますが、材料を徹底して生かすことを優先すれば、それはとてももったいないことなわけです。
けれどもこのドラムサンダーなら、それが解消されます。逆目でも、節のあるものでも、たとえ木口でさえも対応できます。これはすごいことなのです。
表面の整った4ミリもの薄い板を必要とするドアリラの作業では、ドラムサンダーは最適な研磨機なのです。今までは紙やすりによる手作業に頼っていたわけですが、どんなにか時間がかかったことか。このことを考えると画期的な機械といえると思います。
とはいえ、ドラムサンダーはとにかく高価で、一般的には25万円ほどはします。製品の収益がそれほどないのに、これではクオリティーを上げるためとはいえ手が出るものではありません。
で、外国製ながら半分ぐらいの値段のものがあるのですが、それがいつまでたっても(ネット上に)出てこないので、取引のある静岡の(企画・製造の発注元でもある)会社に連絡を入れてみました。そしたら、機種に不具合が生じて現在は製造を中止している、会社が試験を行って性能が保証できるものを数台確保して在庫している、それでよいなら(引き立ての個人に限って)お出しすることができる、ということでした。価格は、送料込みで9万円弱で、と。
これなら手が出ます。待ってました! 飛びつきました(笑い)。
そしてそのあこがれのドラムサンダーが届いたのは8月下旬のことです。うれしかった。
重量はこれだけで(台座なしで)55キロもあります。
下は、セットで購入した集塵機。これがなければ、目詰まりしてドラムサンダーの故障につながり、第一、工房中が粉塵だらけになってしまいます。
もうこれで筆者に怖いものなし(笑い)、あとはもう十分。
ところがです、ここで困ったことが起こりました。ただでさえ狭い工房がこのふたつの機械の導入によって身動きできないほどになってしまい、作業どころではなくなってしまったのです。作業ができなければ工房の意味はありません。
では工房を広げるしかない、それが工房増築の直接的な理由です。
下は、増築前の工房(左半分は“ルーザヒュッテ”というゲストハウス)。工房のスペースは1.5間(けん)×3間=4.5坪=9畳。
それを、東に1間伸ばして、計15畳にしました。
この増築日誌は、その1間分を広げたことのストーリーです。
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93年の晩秋に主屋の新築がなって、町場からここルーザの森に引っ越してきたのだけれど、それ以来筆者は、必要にかられて見よう見まねでさまざまな建造物・造作物をつくってきました。
当時、建築を教えてくれる先生はいません、技術も知識もありませんでした。が、「必要は発明の母」ならぬ「必要は習得の母」でもあります。とにかく考えに考えて、時間をかけてつくりつつ勉強しました。そうして少しずつ技術を習得し蓄積していきました。
下は、第1号の材料小屋。
交渉して貰(もら)ったり、わざわざ情報をくれて取りに行ったりでたまる(廃材、古材の)材料を保管する小屋がまず、ほしかったのです。
材料は、すべての造作の基本ですから。何事、材料がなければはじまりませんから。
尺貫法を無視した(単位をメートルにした)、明らかに素人考えがあらわな、今にしたらお笑いものの(笑い)、でも記念すべき物件。
26年経っても、まだ現役で頑張ってくれています。感謝です。
薪ストーブの暮らしがしたく、薪の保管のためにつくった小屋。クマ小屋と命名。
以降、命名した小屋には絵の入ったプレートが掲げられています。これは、北海道みやげで有名な“熊出没注意”プレート(笑い)。
引っ越してしばらく薪小屋替わりにしていた国鉄払い下げの貨車コンテナを移築して、物置小屋にしました(貨車コンテナは空気が密封されしかも高湿度。そんな中に薪を入れていたものだから、薪はほどなくふけてしまって土に還ろうとするのだった。貨車コンテナを薪小屋にするのは失敗だった)。
ふたつを合わせて屋根を架けたのだけれど、これで屋根組み(小屋組み)についてずいぶん勉強になりました。
このコンテナ小屋は、国鉄のシンボルがツバメなのでツバメ小屋と命名。
このプレートは、オイル缶のふたに油性ペンで手描きしたものです。
長尺の(板)材料の保管スペースがほしくて玄関わきに付設。リス小屋と命名。
どんどんとたまる薪をとにかく保管したくて。薪小屋第2号、キツネ小屋と命名。
車庫。
これは、“やり方”(工事前の建物の正確な位置取りをすること)にはじまって、“基礎”のための溝掘りからほとんどひとりで作り上げたもの。
慎重を期す“棟上げ”で大工に入ってもらい、自分ではできないので屋根を葺いてもらい、シャッターを業者に依頼した以外はほとんどひとりの作業でした。時に、基礎の下地盤の“地突き”等、相棒のヨーコさんの援助を得ました。
材料はすべて明日は消却の運命にあった廃材ばかりです。ということはただかもしくは安価で(二束三文で)譲り受けたものです。産廃の焼却に携わる方からはオイシイ情報をたくさんいただきました。とてもありがたかったです。梁や柱やたとえ垂木にしても、木材は新物で買うならとても高価なものです。
車庫の建築当時は筆者はまだ勤め人であったため、土日およびわずかな時間の積み上げの作業で、ずいぶんの歳月を要したものです。
車庫の建築は苦労の連続でしたが、ここでたくさんのことを学びました。
車庫は、自分で建物を作るということに自信がついた記念碑的な建築物です。
そんなこんなの経験を下地として工房(兼ヒュッテ)を建築したわけですが、規模もそれまでの最大なため、ざっくり言って材料集めに5年、建築に5年を要しました(完成は2013年7月)。もちろん、こんなに時間がかかったのは筆者が勤めを持っていたためです。
これにはそれなりの物語を含んでいるわけですが、今回はそのエキスを用いながらの増築の話に絞りたいと思います。
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秋が深まってきました。
手持ちの材料から、“木取り”(材料から必要な部材の部分を取る)をはじめました。
曲がり歪んだ材から癖を取っています。
梁なら梁、柱なら柱、間柱なら間柱と、自動カンナで規格を作ってそろえていきます。
建築にあって、この自動カンナは大活躍です。
規格となったそれぞれの部材に、1本1本について、“墨付け”(どこを切るのか、どこを刻むのか、どこに穴をあけるのかなどの鉛筆による下書き)をします。これもずいぶんと時間を要しました。
下は、墨にしたがって角ノミ機で“ほぞ穴”をあけているところ。
角ノミ機がない頃は、ドリルで穴をあけて、手ノミでたたいて彫っていたものです。そういう作業では1日で3つか4つがせいぜいであったものが、この角ノミ機では、ひとつの穴で2分程度でできてしまうわけです。機械のすごさを思い知らされたものです。
ほぞ穴加工が済んだ梁と“母屋”。
秋はさらに深まって、ヤマノイモ(山芋)のむかごを収穫しました。これで、むかごご飯を作ります。
ほぞ(オス)がほぞ穴(メス)にきちんとちょうどよく入るのを確かめているところ。でも、オスとメスとはよく言ったものです(笑い)。
“あり組み”の“大入れあり掛け”。
丸ノコ、ノコギリ、ノミを用いてていねいに刻みをしました。
古い解体材を観察し、昔の大工の技術の確かさに大いに感動しながらの作業でした。
日本の大工は、たぶん世界の中でも最も優秀な技術を持った建築アルチザン(職人)だと筆者は思っています。
それが、住宅メーカーの伸長と跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)で、もはや大工という職業が絶滅の危機に瀕しているのをご存じでしょうか。
住宅メーカーの(一見よさそうに見えるけれども安直な)家屋の建築に、実はもう長年培ってきた大工の技術は必要としなくなっているのです。
それぞれの部材は、規格にしたがって工場で大量生産されます。建築現場といったら、ドリルが使えれば誰でもできるようなことになってしまっていますから、大工は腕の見せ所を失ってしまっているのです。日本の文化にとっても実に不利益な悲しい事態が日々進行しているのです。
大工は大いにしょげています。虚しくて虚しくて、心の中では泣いていると思います。
あとでくわしく触れると思うけど、建築において作業の効率を優先させていねいさを省くことが多くなって、そのために金物をどんどんと使うのも現代の家づくりの特徴です。
大工は構造躯体の強度を最大に考えて、“継手(つぎて)”と“仕口(しくち)”という技術を習得し受け継いできたのだけれど、それを効率化という名のもとに省こうとするわけです。そのあてがいとして金物で補強するのです。しかし、どんなに金物を用いても、“継手”と“仕口”が創り出す強度にはかないません。
でもまあ購買者というのはよほどの眼を鍛えていないと、見かけのよさと価格に騙されるもの。でもこれって、こと、家だけのことではないですよね。
家についていえば、“坪単価いくら”なんていう宣伝文句をうたっているところからは買ってはならない、というのは筆者の行き着いた感覚ですかね。ていねいさを省くわけだから、家なんて、安くしようと思えばいくらでも安くできるのです(例えば今は、床の下は“ネダナシ”という厚い合板を敷いて終わりです。本当は、“大引き”が土台に載り、大引きの上に“根太”が横たわって、その上に床ができるのですが)。
でもそれが、強い家でしょうか、よい家でしょうか。それを美しいと言えましょうか。そもそも「住む」「暮らす」とはどんなことなんでしょう。
下は、土台のコーナーの刻み。
“大入りあり掛け”の部材が左に入り、さらにここに柱が立ち上がります。
工房増築日誌1、「墨付けと刻み」は、これでおしまい。
日誌2に、続きます。
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本日は、(2020年)8月2日。
長引いた(東北南部の)梅雨がようやく明けたという報です。素直にうれしいです。
そして今日は、福島県は北塩原村の裏磐梯からご家族でお客様がいらして、よい話をうかがってほっこりとしました。こういうのを「生きてきたなつかしさ」というのでしょうかね。いい日でした。
じゃあ、バイバイ!
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