2月も20日を過ぎて、雪はもう安心。降りそそぐ陽射しや林を渡る風はもちろんのこと、降ってくる雪にさえ春がきざしはじめてきました。
これから吹雪や大雪がやってくるとしても、大丈夫。たとえそれが厳しいものでもじっとして時間が過ぎるのを待てば太陽がすべてを解決してくれることになっています。行ったり来たりの三寒四温、もう春が来るのは確かなのです。
それにしても今年の冬は拍子抜けするほどに弱々しいものでした。
雪は最大積雪深125センチ(1月26日)で例年の約3分の2程度、降った量とすればきっと半分以下だったでしょう。吹雪は片方の手の指で数えられるほどです。気温は昨年の厳冬期には氷点下16度を記録したものですが、今年は氷点下10度を下回ることさえありませんでした。
こちらとしては雪や寒さに備えて一応の覚悟と構えはしていたのだけれど、それも空振りに終わりそうです。まずはよかった。
ただこうなると夏場の水が心配だけどね。去年の夏は異常な高温にして雨が降らず、天然の水は危機的だっただけに今年はどうなるものか。
雪は例年に比べて少ないとはいえ現在で90センチあり、それは大分締まってきてのものです。日に日に少しずつ上昇してきた気温によって雪の表面が日中に解け、夜間から翌朝にかけてそれが凍り、それがまた解けて凍り、そんなことを繰り返すうちに表面は硬質な盤面となってきたのです(賢治は童話「水仙月の四日」で、こういうのを「雪花石膏の板」と表現した)。
そう、今年も堅雪渡りができる日がやってきました。待ってました。
そして23日土曜、朝の気温は氷点下5度ほどでまずまずの冷気にして太陽も顔を出し、絶好の日和りです。チャンス、この時を逃す手はない。
早速にもスノーシューを準備し、相棒のヨーコさんとともに、春を求めて、春をさがしに。
雪の野原に、雪の林に。
(堅雪なので、基本、スノーシューはつけなくとも歩けるのですが、木の根元などの場所によっては足を取られることもあります。スノーシューなら何ら心配はいりません)。
歩きはじめてすぐに目にしたのは、最近出没があちこちで聞かれるようになったイノシシ(猪)の足跡です。で、その傍らには数人の輪かんじき(輪樏=ワカン)の踏みしめ跡です。行政から委託された猟友会がこの冬に2度3度とイノシシ狩りに入った、その跡です。
猟師は、イノシシの足跡の時間的な近さを直感して追ったんでしょうね。前に進めない地形的な場所で発見できれば、仕留めるのはそう難しいことでもなさそうです。
それにしてもイノシシ君、夏場の彼らの動きようといったら相当なもので、畑を持っている人にとってはたまらないでしょう。畑は徹底して荒らされて、作物はことごとく食べられてしまう。
畑でないにしてもまるで耕耘機ででも耕したように見える光景は圧巻です。食欲旺盛で雑食たるイノシシ君、ミミズ(蚯蚓)や昆虫などの土に潜む小動物を追っての狩りにも夢中なのです。尖がった鼻を土に突き立てグイグイ押しながら匂いをクンクンと嗅いで探すんだけど、それはすごい活動量、すごい力です(ものの情報によれば、鼻先は70キロの重量のものを持ち上げる力があるとのこと)。
ちなみに、今年(2019年、そういえば亥年!)1月4日には、その猟友会から(ここらの隣家3軒それぞれに)捕獲したイノシシの肉・肩ロースを10キロほど(エエーッ!笑い)もありがたくいただいたものです。
それをどうしたかって?
脂身は細かく刻んで水少々のフライパンに入れてラードに(ラードって、きれいなもんですねえ。これはチャーハンや炒め物の油にします。ケガの時の塗布剤としても有効らしいし、保湿オイルとしてもよいとのこと。市場では70ml.で1500円程で出回っているらしい)、その揚げカスはあたたかい蕎麦の上に、お酒のアテにしました。赤身と脂身の混ざる部位は獣臭さを考慮して濃い味付けの角煮にしていただきました。
(こういう野生動物の料理に相棒のヨーコさんは何やかんや言いつつ結局は避けるのです(笑い)。で、すべては腕に覚えの筆者の包丁さばき(ホントかな?)ということになります(笑い))。
角煮は、特に脂身がおいしかった。
歩みを進めて見えてきたのは、白い雪に映えるハンノキ(榛の木)の黒い実、カンボク(肝木)の赤い実、それにニワトコ(接骨木)の冬芽です。
ニワトコの芽はもうパンパンで、あたたかな陽射しが少しでも続けば今にもはちきれそうです。
それに、クルミ(胡桃)と思われる冬芽。
『ふゆめがっしょうだん』という絵本(福音館書店)があったけど、クルミ氏も重要な一員でしたね。
薄い黄緑の袋はヤママユガ(山繭蛾)の繭玉。冬場、コナラ(小楢)やクリ(栗)などの枝によく見かけるけれども、本当にきれいな色をしているものです。ヤママユガの繭玉って、宝石だと思いますね。
この希少な繭を人工的に飼育して増やして、そこから絹糸を採って織った着物を見たことがあったけど、それは得も言われぬ美しさだったことを覚えています。
直径5センチほどの、爪痕も確認できる丸い足跡は多分、タヌキ(狸)でしょう。よく似た足跡のキツネ(狐)は直線に進むのに対してタヌキは少々ジグザグです。
雪野原にはタヌキの足跡がたくさん、それも縦横無尽です。歩きまわって、いったい何をさがしているんだか。
と、小さな一部白くなった枝が折られて落ちているのを発見。小枝が散乱し、幹にも白化した部分の数々。
これはクワ(桑)の木の樹皮を食べたニホンザル(日本猿)の仕業だとすぐに分かりました。かつての冬のさなか家の庭にあった天然の大きなクワの木が丸裸にされるごとく、サルによって食い荒らされたことがあったのです。
冬のサルにとってクワの木は重要です。ひとの歴史でもクワは枝も葉も実も(葉はそれこそカイコガ=蚕蛾の食草)漢方に食用にと昔から利用されてきた有用植物、サルはとうにそれを知っていて今に受け継いでいるという訳なんでしょう。
生命をつなぐという意味において、伝承と学習の偉大さを思います。
後日筆者はサルにならって、庭に生えているクワの枝の樹皮(内皮)を齧って舐めてみたけど、ほんのりとして甘いものでした。腹を満たすのに十分とは言えないまでも、食べ物としてはこれならなるほど。
それにしても特徴的なサルの足跡。左が前足、右が後ろ足です。
ひとと同じように前足(手)と後ろ足(足)の形状はかなり違います。
下は、おととしの6月に家のそばまで来たサル。集団で、嵐のようにやってきます。
ここまで歩いてきた場所はふたりでよく訪れるところ、筆者にとっては雪解けから初夏にかけての毎朝の散歩コースでもあります(朝飯前に40分ほど歩きます)。
現在は一面に雪で覆われているけれども、春になればそこは、フクジュソウ(福寿草)やカタクリ(片栗)などが咲き競うところ。それはそれはきれいなものです。またそこは、タラ(楤)の芽やワラビ(蕨)、木の芽のコシアブラ(漉油)などの山菜、はたまたベリー(クマイチゴ=熊苺)を摘む場所。晩秋にはたくさんのムキタケも採れるし、まさに恵みの場所なのです。
白い雪の野原に、そんな甘い光景がスーッとよぎっていく……。
雪解け水は林を抜けて笊籬溪に天王川にと注ぎ込みます。その音の響きの心地よさ、水の輝き。
帰り道に目にしたコナラの高木に巻きついたフジ(藤)の蔓の強烈な力、これはアントニオ猪木のコブラツイストどころではないね(笑い)。
フジは生きた樹を絞って体力を奪いますが、しまいこのコナラは寿命を極端に縮めて倒れてしまう運命です。よって、フジが繁茂する森はやがて荒れていきます。
こうしてフジは生きた樹木にすり寄って巻きついて上に上にと伸びようとし、初夏には目にもやさしいそれこそ藤色や菫色の豪勢な花を咲かせるのです。
下は、5月半ば過ぎのフジの花。この花はゼンマイ(薇)採りのサインでもあり。このフジ、3月の末には一斉にタネを散らします。
昨年のこと、夕方の静かな森に何か妙な音がするなと思って注意深くあたりを見渡すと、何と、フジの鞘(さや)が自身をよじって捩じってその力によってタネを遠くに飛ばしていたのです。確認したものに限っても、その距離たるや10メートル強です。感動でした。
じっと立ってそこから移動できない植物、そのひとつ、フジの生き延びるための戦略はこうしてタネを自身の力で遠くに飛ばすことだったのです。そして植物にはそれぞれに戦略が備わっているはず、それを少しずつ知ることができるのは森で暮らす者の楽しみのひとつです。
写真は昨年の4月2日の、ほぼタネが飛び散って雪に散らばった様子。すごい数。
直径は14ミリほど、厚さ1.5ミリほどの円盤状の碁石のように美しいフジのタネ。写真は筆者のヒュッテに備えてあるタネのコレクション、シードバンクから。
どれ、いい汗をかいたし、コーヒーブレイク!
(つづく)