製作の時間

新薪小屋日誌1

本日は(2024年)11月25日、日はどんどんと短くなり、冬至やクリスマスにもあと1か月というところまで来ました。
冬至かと思えば春分で、夏至はすぐに来て、秋分を過ぎれば冬至は間近…、時はまるで高速特急。速く感じるのは、年のせい?(笑い)
今、あたりは紅葉のピークがすでに過ぎて飴色と枯れ色で、日に日に落葉が増えてきています。風など吹けば、落ち葉は空一面に舞うようになりました。それはそれでうつくしいものです。

今回のsignalは今年の大きな仕事、あたらしい薪小屋つくりのこと、それを以降3回に分けてつづってみようと思います。
その1として「新薪小屋日誌1」、基礎づくり、土台づくりについてです。

下は、約10年前の薪小屋の画像です。

そして下は昨年秋のもの。そう、土台と柱が湿気のために朽ちてきていて、今後のことを考えると建て替えが必要と思わされたものです。
腐朽の原因は地面から土台までの高さが低く、湿気をどんどんと吸い込んでしまったこと、それから大方の基礎(独立基礎)はコンクリート基本ブロックながら、足らないところに単に枕木の切れ端を置いただけにしたことでした。ならばそれを改善せねば。

2021年の秋に、除雪機の格納や材料置き場としての小屋(リス小屋。リスの絵柄の看板を掲げているので)をつくり、その後に下屋(げや)をくっつけてそこをひとつの薪置き場としました。
けれどどうにもスペースが足らず、残りの薪はヒュッテの壁に臨時的に積んでいたものです。 

要するに、小屋を解体するということは、すぐにもあたらしい小屋をつくる必要があったということです。そしてそれは、雪が来るまでに何とかしなければなりません。長丁場の覚悟です。

下は、雪が消えてから取りかかった旧薪小屋解体の一場面。この5月のことです。

3年前にリス小屋を建設していた時期に町中で家屋の解体現場に遭遇し、幸いにも大量の廃材をもらい受けたのでした。
よってこの時点で、リス小屋完成後にはあたらしい薪小屋をつくると決め、余った時間にはその時すでに新薪小屋の木取りと刻みを行っていたのです。

刻みを施す愛用のカクノミ機。

リス小屋の材料保管スペース。

何ごと基礎というものは疎かにできないもので、家屋の建築にあっては特に基礎は重要です。
家屋の歴史は掘っ建て(直接に柱を地面に突き刺す)にはじまって現在のコンクリートの基礎に至るまで、その大方は基礎の歴史と言ってもいいほどです。それは柱を支えるべく土台をどうやって保たせるかの歴史でもあります。

基礎づくりをはじめるにあたってまず準備したのは石ころと砂利です。基礎にはその下地をつくるために、石と砂利は必須なのです。
石は本当はカドが立った割り石(グリ石)がよいのですが、ここに金をかけるのはもったいなく、畑から出た石で代用することにしました。持ち主にお願いすれば、「どうぞ、どうぞ」のふたつ返事でしたので。
持主の農家のSさんには畑の中の石は厄介もの、ワタクシには必須の有用なもの、こういう関係はお互いに気持ちがいいです。
下のボートとフネで6~7回分くらいは運んだでしょうか。

 

砂利は10年くらい前に買っていたものがまだ残っていて、それを使いました。

そうして、基礎部分の穴を掘り…、

そこに石を入れて…、

砂利で覆い…、

突き固めます。
本当は転圧機ランマ―をレンタルして地ならしをすることも考えましたが、独立基礎ゆえにその部分だけの突き固めでも十分と判断したのでした。

石のすき間に砂利が入り込むように水をまき、基礎の下地を強固にしていきます。

下の缶詰缶(1号サイズ)は近くの施設からのいただきもの。これで(独立)基礎をつくっていきます。
施設にしたら給食で出る缶詰缶は厄介もので、その引き取りをこちらの必要でするわけですから、これもお互いが幸福な関係です。

基礎部分に効率よくモルタルを流し入れるためにつくった木枠。解体した薪小屋の屋根の野地板の再利用です。

1号缶を逆さにしてレベルを取っているところ。できる限りの各位置の橋渡しをしてレベルの精度を上げていきます。

レベルは、本当は水盛り缶を使って(バケツでよい)、ホースをのばして行えばよかったのですが、2間(けん)ものという小さな建物は水準器でもOKではと勝手に思ったのでした。
今思えばですが、ここは面倒くさがらずに四方に杭を打って、水糸を張って、水盛り缶とホースを使うべきでした。やはり水準器では、どうしてもレベルの誤差が大きくなってしまいます。

基礎の下地作りが終わったので、モルタルの準備をはじめました。いよいよ基礎づくりです。
ちなみにですが、モルタルとはセメントと砂と水を混ぜ合わせてつくるもので、コンクリートはここに粗骨材として砂利が加わるものを指します。

もう年月が経ってしまって、石のように固まったセメントを生かそうとしました。

ハンマーで砕いて、形を徐々に徐々に小さくして、しまいに粉にするというのはたいへんなこと、たった1袋25キロ800円ほどのものを再生させようとしてどのぐらいの時間を要したでしょう。
でも自分には時間はあり、何より性分として、面倒だとか使い物にならないといった理由で処分するのがイヤなのです。たとえ時間をかけて苦労しても再生できるのがうれしいのです。
そうして固まっていたセメントのすべてを粉に戻しました。
それにしてもムサイ(めんどうで根気のいる)作業でした。
ほら、服装も変わっているでしょう、これが時間の経過です。

モルタルを練って1号缶に流し入れ、解体で出た金具(羽子板ボルト)を挿して乾燥をまっているところ。
これが基礎(独立基礎)となります。 

羽子板ボルトは材料を強固に連結させるためのもの、一部、解体時の古材を叩いて整形し使えるようにしました。

石ころを集めてから1号缶基礎を仮置きするまでに約1か月を要しました。

ここでちょっとコーヒーブレイク。

5月の末に、約束したようにヒメサユリ(姫小百合/ユリ科ユリ属)が咲きました。
このユリは宮城と新潟、福島と山形の一部にしか自生しない貴重なものです。
観光用に囲って守っているヒメサユリ園はいくつかあるようですが、ここの自生種は茎がとにかく細いのが特徴です。自分だけの生育地を求めて貧栄養の場所をあえて選んでいるようにも思えます。

同じ頃、庭に植栽のオオアマナ(大甘菜/キジカクシ科オオアマナ属)が咲きました。学名がウンベラーツム/umbellatum、英名でベツレヘムの星/Star of Bethlehemとも呼ばれています。希望の星と称えられるとともに、清楚な純白のうつくしさが際立ちます。
食に適するアマナに似ているためにこの名がありますが、これは有毒植物、注意を要します。

作業に一区切りつけて、今年も天元台にネマガリダケ(根曲竹。標準和名はチシマザサ/千島笹)を採りに行きましたよ。
これを口にしないと人生の半分を損するような気分(笑い)、ネマガリダケというのはそれほどに美味なのです。
今年の収量はわずかなものでしたが、それでも、鯖缶の入った竹の子汁に…、

青椒肉絲/チンジャオロースに…、

煮物に…、

そして米沢・置賜(おきたま・おいたま)のソウルフードともいうべき「冷や汁」にもしました。冷や汁という名ですが、イメージとしては煮びたしの方が合うかも。この料理はあっさりして滋味豊かで、特においしいです。
冷や汁にはぜいたくにも貝柱を戻したものと希少な凍みコンニャクが入るのが特徴で、ハレの日に出される料理です。
筆者もつくり方を覚えたので、大切なお客さんのある日にはふるまったりするのですが、誰もが絶賛します。
季節季節の作物を用い、春夏秋冬それぞれにバリエーションは豊かです。
当地方の温泉旅館では、夕食には判で押したように冷や汁を添えるのでは。

ここから立ち上げの準備に入りますが、まずは土台の木取りをしました。
というのは、大方の部材の木取りと刻みは済んでいたのですが、この春になってできあがりのイメージを変更(最初は床板を張らずに土間構造と考えていた)したために、土台の部材は新たにつくる必要が出てきたのです。

刻みをすでに済ませていた柱や梁や桁といった主要部材。

下は、基礎の上に載せる土台のための羽子板ボルト用の穴を開けているところ。
ドリルを垂直に下ろすのはとてもむずかしいものです。そのため、いくらかでも正確になるよう、タテヨコ十字のガイドラインを引いての作業です。

大引きを渡すために土台にトリマーで欠きを入れています。

下地の砂利と1号缶基礎はまだ固定していません。再度、再再度、入念にレベルを取り、土台を配置していきます。

1号缶基礎と土台の位置がほぼ決まり、土台を置きました。

半間置きに太い(10センチ角)大引きを渡しました。

土台の部材を羽子板ボルトで連結します。

1号缶基礎と土台を固定します。

この後に枠にモルタルを流し入れて基礎を固定し、

基礎のまわりに大きくモルタルを敷いて地面の沈み込みを防ごうとしました。

1尺5寸(約45センチ)置きに大引きを渡しています。
廃材10センチ角材の色変わりのX形は補修のあとです。

そうしてしばらく乾燥を待ちました。
この青シートは雨と強い日差しからモルタルを守るためのものです。モルタルの乾燥には強い日差しもよくないのです。
そうして土台が完成し、大きな区切りを迎えました。 

基礎と土台、こんなめんどうくさいことをよくやるもんだと呆れたる御仁も多いのでは。
でも筆者から言わせれば、こんな楽しいことを商売の業者に任せるのは実にもったいないこととなるのです。
ひとに依頼してつくってもらうことと、自分で工夫してつくることのちがいは歴然です。
そうしてひとは自分がやれることでも代行してくれる者を探して依頼し、少しずつ手作業から自ら離れていったと思うのです。でもそれがよかったのかどうか、便利な方へ、安易な方へ、楽な方へ、汗をかかない方へ、金で解決できる方へと向かった。これが現代が抱え込む不幸と疎外に結びついているとするのは大げさでしょうか。
でも筆者、自分でできることをできるだけやってしまうのは、何より金がないのが一番の理由ですがね(笑い)。
金がないなら頭と身体を使えということだね(笑い)。

この続きはそのうち、その2で。

それじゃあ、また。
バイバイ!

※本文に割り込んでいる写真はサムネイル判で表示されています。これは本来のタテヨコの比から左右または上下が切られている状態です。写真はクリックすると拡大し、本来の比の画像が得られます。また、写真の下にあるスライドショー表示をさらにクリックすると写真が順次移りかわります。