森の小径森の生活

刻々と春が

本日は(2023年)4月の23日。昨日は肌を刺す冷たい風が一日中吹いていたものですが今日は微風、おだやかな日和でした。
我が家のまわりから雪が完全に消え去ったのはこの18日のこと、それからというもの春は駆け足でやってきては日々刻々時々刻々と変化し続けています。
郊外の野山は今、植物も動物もものみな一斉に蠢(うごめ)きはじめています。このうごめきはどんなにか希望に満ちていることか。

勤めを持っていた頃は、この、春の、刻々と移り変わる風景を心ゆくまで目にすることができたら人生はどんなに麗しいものになるだろうといつも思っていたものです。
そうして、時間を自由に使えるようになった今、やはりそれは決して大げさなことでなかったと思います。春のはじまりというのはそれほどに価値のある心騒ぐ時間の連続です。
でもそれにしても、この急激な変化はどうだろう。まるで目が回らんばかり。

今回のsignalは、本格的な春になるちょっと手前、刻々と変化するあたりの様子をスケッチしてみようと思います。題して「刻々と春が」。

春が本格的にやって来る前にやっておかなければならないことはたくさんあるのだけれど、まずは雪折れのアカマツ(赤松)の倒木の切ったものを片づけなくちゃ。
刻んだ(玉切りした)ものが林の広場への道を塞いでいて、道を開けるためにも。

処理はアカマツだけにあらず、薪割りサイズにするものもまだ他にもあって久方ぶりのチェンソー使いです。
スムーズに切れるように入念に刃を研ぎました。
この刃研ぎを身体で覚え込むまでにずいぶんと時間を要しました。同じ角度で、均等の力で、右刃と左刃が同様の形になるように…。

毎日少しずつ切って、割って、積み上げて…、割って、積み上げて…。
一日の終わり、すみれ色の夕空につつまれながら、積みあがってゆく薪を目にするのは気持ちがいいものです。
このあとは即、ビールに手が伸びます(笑い)。

それから、もうすぐ町場から(太平洋側の県外からも)山菜採りがやってくるので、この時期に環境美化の立て札看板を設置するのは恒例です。
もう6、7年も使ったであろう看板を今年は一新、一から新しいものを作り直しました。もう、経年劣化で杭も板もボロボロになっていたので。

相棒がシャベルの持ち手を杭の頭に刺しているのは、杭の四方の垂直を取るためです。
この、杭から離れてしかもしっかりと支えるシャベル使いは懇意の大工に教えてもらったこと、これには感動しました。手で直接に棒を握って支えるのは恐怖というものですから(笑い)。
そして、筆者が巨大な木槌ともいうべき“掛矢”で杭の頭を叩き込みます。

筆者たちはうつくしい環境を維持するために定期的に道路のゴミ拾いを続けています。
道端にはおにぎりやパンのフィルム、ペットボトル、飴の包み紙、菓子の袋、たばこの吸い殻等が投げ捨ててあります。
でもどうして町場の(と、ひとくくりにしたら乱暴だろうか。ならば、心ない)連中はゴミを平気で置き去りにするんだろう。自分の屋敷うちでは決してしないことを山に来るとしてしまう、そして山菜やキノコは持ち帰る…、この不道徳と身勝手さはたまらないです。
それでも立て札看板の効果あり。ずいぶんとゴミが減ってきたのは確かです。

小中学の同級生で今は屋久島在住の友がきて、一日をともにしました。7年ぶりの再会でした。
野山を歩き、春の花々を愛で、自然のことや環境、それから政治、お互いの近況やらを語り旧交をあたためました。
ずいぶん大きめの風呂敷を用意はしていましたが、話がとても大きかったので包み込めたかどうか(笑い)。それほどに話したということです。
至福の時間でした。

下は、米沢市の近隣、高畠町の石切り場跡(瓜割石庭公園)を訪ねたときのもの。
巨大な石壁がそびえたって、そこに立つ者を圧倒します。

「波動が、波動が…」とつぶやいて、地球の声を聴いている春美さん。
ん~ん、実にいい表情だ!

我が家に近い山中の淵(笊籬淵)にて。
筆者がとても大切にしている静謐(せいひつ)な場所です。

何かとお世話になっている同じ地区の山田さんと郊外のサクラを見に行きました。
李山(すももやま)という(米沢)市南部にあるこのサクラは、筆者の地区の屋敷跡の“七郎右衛門桜”と呼びならわしているオオヤマザクラ(大山桜)の元の木に当たります。
七郎右衛門桜はこの木から100年以上前に“取り木”(樹木の増殖法のひとつ。蘖(ひこばえ)に土をかぶせ、根が出てきてから移植する)をして育てたものなのです。
ご当主によれば、先祖が数百年前に色味の濃いサクラを山から掘り出して敷地に植えたのではないかということです。
はるか昔のオオヤマザクラの形質を今に伝える李山のサクラ、やはりこのサクラはひと知れぬ名木だと思います。

山田さん(左)とご当主の中澤さんと。上のサクラから取り木して自宅前に移植したというサクラの前で。

このサクラには花の蜜に魅かれてマルハナバチ(丸花蜂)と思しき昆虫が羽音を立てていました。
中澤さんに言わせると「実はまばらだがつく。果肉の部分なんてわずか薄くついているだけ。口に入れると、苦くて渋い」とのこと。
このことはこのサクラが野性味を存分に保っている証拠です。
そうして結実した実を鳥がついばんで、鳥は落とし物をして、そこから芽が出て木に成長するわけですから。

刻々と春が…。

散歩をしていて、山からの細い小流れの中にカエルの卵(卵塊)を見つけました。
まるでヘビのようにくねくねしてとても長く。

いやあ、これも春のうるわしい情景のひとつです。
まさに、いのちのうごめきです。

この卵塊を調べると、これは数日前にやはり別の散歩道で出会ったヒキガエル(アズマヒキガエル/東蟇蛙)のものと分かりました。

ネット上にはこの卵塊にどれぐらいの卵があるものか調べたひとがいて(筆者はこういうひとを尊敬します。着眼点がスゴイ!)、それによれば、ひとかたまりで全長734センチ、10センチの長さに対して卵は74個、したがって卵の数は5,432個ぐらいという推測結果でした(「草木屋HP」より)。
1回の産卵で5,000超ものいのちが生み出されることは、やはり感動というものです。
そしてここからどれだけ生き残っていけるのだろう、その前途の厳しさも思いました。

下は、出会ったアズマヒキガエルのオス。
メスは赤褐色なので判別できます。
体長は15センチくらいだったと思います。

刻々と春が…。

いわゆるマグノリアのひとつ、ホウノキ(朴木/モクレン科モクレン属)の若葉。
ツンとして天を衝く槍様の蕾から、今まさに葉が展開しようとしています。

オニグルミ(鬼胡桃/クルミ科クルミ属)の萌え。
筆者の母親が健在の頃、タラの芽と間違えてこのオニグルミの萌えをたくさん採っていたっけ(笑い)。
下の写真のもうちょっと前のものなら、間違うのはさもありなんという感じです。
ただ、オニグルミの幹にトゲがないので区別は明らかなのですが(笑い)。

クロモジ(黒文字/クスノキ科クロモジ属)の雄花と新葉。
クロモジの枝を折ると何ともいえないさわやかな香気が立ちます。この香気は抗ウイルス作用を持つとのことです。
この葉でお茶(野草木茶)ができるようなので、時間を見つけてつくってみたいと思います。

ヒメヤシャブシ(姫夜叉五倍子/カバノキ科ハンノキ属)の若葉。ヒメヤシャブシはヤシャブシ(夜叉五倍子)の雪国型です。
この葉の葉脈は深く刻まれてとても特徴的です。
結構な高山でも見かけますが(岩手の焼石岳にもあったような)、ここのように標高350メートル程度でも育ちますので垂直分布が広い植物といえます。 

ウリハダカエデ(瓜膚楓/ムクロジ科カエデ属)の若葉。
幹や枝の皮のみどりの色が瓜のはだによく似ていることからの命名です。
ウリハダカエデは秋の紅葉(黄葉)が見事。黄色からだいだい、赤とかなりのバリエーションがありますが、いずれもあざやかな色を発して楽しませてくれます。

実生から育てた我が庭のシンボルツリーのひとつ、モミ(樅/マツ科モミ属)。
もうすぐ初々しい若葉が展開します。

敷地内のヤマモミジ(山紅葉/ムクロジ科カエデ属)の生まれたての葉。

やはりシンボルツリーのブナ(山毛欅/ブナ科ブナ属)の萌えだしたばかりの若葉。
山から幼木を掘ってきて植えたものです。
若葉がうつくしい木というのはたくさんあるけど、ブナの右に出る木はそうあるだろうかと思われるほどにブナの若葉はうつくしいです。
宮澤賢治に「虔十公園林」という作品があるけど、その冒頭にはこうあります。

虔十はいつも縄の帯をしめて、わらって森の中や畑の間をゆっくり歩いているのでした。
雨の中の青い藪を見ては、よろこんで目をパチパチさせ、青空をどこまでも翔けてゆく鷹を見つけては、はねあがって手をたたいてみんなに知らせました。
けれども、あんまり子供らが虔十をばかにして笑うものですから、虔十はだんだん笑わないふりをするようになりました。
風がどうと吹いて、ぶなの葉がチラチラ光るときなどは、虔十はもううれしくて、ひとりでに笑えてしかたないのを、むりやり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながら、いつまでもいつまでもそのぶなの木を見あげて立っているのでした。
ときにはその大きくあいた口の横わきを、さもかゆいようなふりをして、指でこすりながら、はあはあ息だけで笑いました。

これは2020年5月5日のブナ。
主人公・虔十(けんじゅう)が見たのはこんなブナでしょう。
虔十の気持ちがとてもよく分かります。

我が家のもうひとつのシンボルツリー、イタヤカエデ(板屋楓/ムクロジ科カエデ属)の若葉。
この木の魅力は何といっても秋の黄葉、目が覚めるほどにうつくしい黄色に魅かれ、山から小さいものを根ごと掘ってきて、移植して育てたものです。

ヤマハンノキ(山榛木/カバノキ科ハンノキ属)。
ハンノキの葉は先がとがっているのに、ヤマハンノキのものは丸いです。
兄弟ながら、ずいぶんちがった印象です。

こちらはハンノキ(榛木/カバノキ科ハンノキ属)の林。

榛の木林にホオジロ(頬白/ホオジロ科ホオジロ属)がいました。よい絵を撮ることができました。
ホオジロのさえずりはとてもうつくしいです。

野鳥でいえば、このところミソサザイ(鷦鷯)も来ています。
日本の野鳥では最も小さい部類の身体ながら、谷いっぱいに響くわたる高音の美声は圧巻です。
それから、シジュウカラ(四十雀)やヤマガラ(山雀)、キジバト(雉鳩)やウグイス(鶯)、それからそれから?(と、うつくしい声は聞こえど名前が分からず)も入り混じりながら、森は今、さながら音楽場なのです。
この音楽場にツツドリ(筒鳥)が加わると、もう春は満開です。

刻々と春が…。

オオウバユリ(大姥百合/ユリ科ウバユリ属)の若葉。
この植物はアイヌにとっては重要な食糧のひとつでした。
若い株の鱗茎(球根)を掘り出して、つぶして水を張って澱粉を沈殿させて利用したのだとか。

山菜のひとつでもあるシャク(杓/セリ科シャク属)。
別名にヤマニンジン(山人参)、なるほどニンジンの香気がします。

山歩きをするなら必ず覚えておかなければならない植物のひとつ、ハシリドコロ(走野老/ナス科ハシリドコロ属)。
ハシリドコロは一見みずみずしくおいしそうな山菜に見えますが、実は猛毒植物です。
食べると錯乱して走り回ることからの命名のようです。
赤紫の花が特徴のひとつです。

オクノカンスゲ(奥寒菅/カヤツリグサ科スゲ属)の花。
地味で目立たないけど、雪国の春のシンボルのひとつです。
高原のワタスゲ(綿菅)の風景ってとても風情があるけど、ワタスゲの花も実はこんな感じ、花後に実となったのがあの綿状のものです。
福島は会津の三島町は工芸の里として有名だけど、その中にヒロロ細工というものがあります。ヒロロとはこのオクノカンスゲを指しています。この材料を縄に縒(よ)ってバッグなどを編むのです

ちょっと前ではあるけれど、牛尾菜平(しおでだいら)はフクジュソウ(福寿草)の黄色い絨毯にかわっていちめんのカタクリ(片栗/ユリ科カタクリ属)がおおっていたものです。
カタクリはスプリングエフェメラル(春の妖精)の代表のような花です。

我が家の敷地に今、たくさん咲いているスミレサイシン(菫細辛/スミレ科スミレ属)。
青味の強い瑠璃色はひときわ目を引きます。
コゴミ(クサソテツ)採りの頃、針葉樹下の半日蔭の場所に多く見られます。 

ヤマブキ(山吹/バラ科ヤマブキ属)。
敷地には同じヤマブキでも一重と八重のものがありますが、こちらは一重のほう、もうすぐ開花です。

アズマイチゲ(東一華/キンポウゲ科イチリンソウ属)。
キクザキイチゲ(菊咲一華)にとてもよく似ていますが、こちらアズマイチゲの葉は3葉に切れ込んで先が丸いので区別が容易です。

キバナノアマナ(黄花甘菜/ユリ科キバナノアマナ属)。
ひさしぶりに会いました。
植物の名に“菜”とつくのは、食することができるというネーミングの際の共通認識だそうです。したがってキバナノアマナもそれに適うということです。
我が家の純白のオオアマナ(大甘菜=ウンベラーツム)に立ち姿がそっくりです。

そして、我が家の名花といったらこのイワウチワ(岩団扇/イワウメ科イワウチワ属)です。
この清楚でうつくしい花が今年も咲きはじめました。
筆者にとって、このイワウチワが咲くことで春をこころから実感する、そういった特別の花です。
10年以上前だったか、飯豊連峰の麓から3株ほど掘って移植したのでしたが、いまでは一大群落に育ちました。

名花イワウチワをとくとご覧あれ。

 

色味が半分に分かれていますが、上のみどりがイワウチワ、少し赤紫がかっているのはイワカガミ(岩鏡)です。ルーザの森は全山にイワカガミが生えていますが、これも周りから掘って採って数株移植したものと思います。
お互い、決してテリトリーを冒さないのがおかしくもあり(笑い)。  

刻々と春が…。

そして、とうとう出ました。山菜の先駆け、山菜の女王とも目されるタラの芽(タラノキ/楤木/ウコギ科タラノキ属)が。
春の日に輝くタラの芽のまぶしさ、ヨダレを誘います(笑い)。
こんな丸くて太いもの、スーパーマーケットには出ないですよね。
マーケットにパックづめされて行儀よく陳列されるあの全体が色の薄いタラの芽、いかにもいかにもの栽培物です。

 

当然の成り行きではありますが(笑い)、タラの芽は夕飯の一品、天ぷらにと姿を変えたのでした。
いやあ、やはり絶品です。春の味です。
自然に東を向いて、笑ってしまいます。ホホホホホ(笑い)。
※東を向いて笑うというのは、初物をいただいた時にはそれを届けてくださったお日さまに感謝するという風習です。こんな礼儀もやがてなくなってしまうのだろう。

千葉から送っていただいたタケノコの料理(煮物、タケノコご飯)とともに。
食卓も春でいっぱいになってきました。

笊籬溪(ざるだに)も春の日をいっぱいに浴びて。

日差しも強くなってきました。 

ああ、今日の一瞬一瞬は昨日とはあきらかに違っている。春の変化のすべてを我が身に受け止めたいとは思うのに、そんなことはとてもはるかなことに過ぎて無理です。
そうして春は刻々と刻々と歩みを進めています。
明日はまたちがった風景がやって来ます。

それでは、本日はこのへんで。
じゃあまた、バイバイ!

 

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