製作の時間

下屋を作る

昨年(2021年)、雪解けの4月よりはじまって雪が降った12月はじめまでをかけて取り組んだのが軽トラ(スズキ・キャリー)のための車庫づくりでした。
何せ、前の軽トラは12年間ほども(雨の日も酷暑の日も、吹雪の日も凍てる日も)野外に置かれっぱなし。それでとうとうセルモーターも電気系統も一度にやられてしまい、車体の下は錆でボロボロ、何とスペアタイヤはいつの間にやらなくなっていたのでした(保持部品が錆びて欠落し、それゆえにタイヤもどこへやら行ってしまったらしい)。それによる交通事故が聴こえてこなかったことは幸いなことでした。冷や汗ものでした( -_-;)。
それでです、軽トラを新しくしたのを機に、その家をこさえようとしたのは。筆者にとって軽トラは家族同然でもあるし。

下は、完成した軽トラの車庫(兼・建築材料置き場=左)。
そして誇らしげに、年賀状の図案の一部にもあしらったのでした。

※軽トラのための家(車庫)の建築については、2021年のsignal「軽トラに住まいを 1-8」に詳しい。

ところがです。
軽トラは収納できたのはよいものの、前後の余裕が10センチとなかったことが判明したのです( -_-;)。十分な余裕を持つなら、あと半間(はんげん。91センチ)の奥行きが必要でした。
ティラリ~ン、ティラリ~ン、鼻から牛乳~…、です(笑い)。

ほぼ1年を費やして建設し、最後の最後に、出来てから失敗に気づくって最低なヤツ( -_-; 笑い)。まったくどうしようもないヤツです。
それで、ずいぶんとしょげ返ってしまいました。

で、3.11(2011年3月11日)後の余震で梁が折れ、その補修を兼ねて設置した棚ゆえに、もはや車庫の使用には向かないと踏んで、除雪機等のスペースにしていたのが現在ジムニー用に使っている車庫の右半分です。
そこを試しに、動かせる物品のすべてを移動して空けるとどうだろう。何と軽トラが無理なく入るではありませんか(笑い)。ヤッター!(笑い)

そうして筆者は地獄と天国を数日のうちに見たのでした(笑い)。
なんか、自分でも笑ってしまうくらいのおバカです(笑い)。

下は、軽トラを入れた元の車庫。
軽トラの左の、梁の補修を兼ねた棚が出ていても、無理なく入りました。

それで、新しい建築物は畑の道具類、チェンソーや草刈り機などの機械類、それにゴミの分別ステーション、そして除雪機も入るスペースとなったのでした。

そうして新しい小屋は、リスの絵柄のサインボードをつけて、“リス小屋”と命名しました。

終わりよければすべてよし!(笑い) めでたし、めでたしです(笑い)。

実は、リス小屋の構想はまだ続いていました。それは、背面に薪置き場としての下屋(げや)を作ることです。
下屋とは、母屋の屋根より一段下げた位置に取りつけられた片屋根の空間のことを言います。
もともとここにあったのは、“クマ小屋”と称した薪小屋です。
それをつぶしたがゆえに、薪を保管する容量が極端に少なくなってしまった、そのための下屋です。

今年(2022年)はとにかく雪が解けるのが遅く、このあたりでは5月の連休過ぎまで残っていたほどです。
で、大方の雪が消えてさっそく取りかかったのが下屋スペースの基礎づくりでした。

建物を建てる場合、何と言っても基礎が肝心です。
素人が作った建物をそちこちで見かけるけれども、この基礎をどう考えたかによって、建物の頑丈さは違ってきます。建物は見かけではないのです。

地面を10センチほど掘り下げ、
型枠を作り、
道路から拾ってきた(除雪によって現れ出た)石を型枠に詰め、
こまい砂利で、目つぶしをし、

鉄筋を入れ、
(セメントと砂と水で作った)モルタルを流し込みました。
そうして基礎が出来上がりました。

現場の周囲には雪がまだあって、1日のご褒美のビール(夕方用)とワイン(夜用)は天然のクーラーで冷やせるのでして(笑い)。
画像は、5月4日のもの。雪が完全に消えたのは7日のことでした。

基礎ができれば、(本体建設の基礎づくりの際に余った)古いレンガや石を洗って、モルタルで積んでいきました。
この場合のモルタルは接着剤となります。

モルタルを使う場合はいつも緊張します。
というのは、モルタルは時間の経過につれて硬化が進み、その時々で行う作業が決まってくるからです。よって、飯どきであろうが、電話が来ようがお構いなし、何を差し置いてもモルタル作業が優先です。
数時間後、硬化が決まってしまう前には、ぬらした目地ゴテをていねいに当てて目地の表面を整えるほか、スポンジでレンガをぬらして余分なモルタルを拭き取る作業が待っています。
これらは長時間同じ姿勢をとるために腰にきます。なかなか厄介です。

基礎ができたあとに、リス小屋内部の内装や棚つくりなどを手がけました。
その際、解体現場からもらってきた構造用合板は大変役立ちました。壁材として張りつけ(塗装を施し)、5カ所の棚の棚受け(2枚の貼り合わせ)と棚板にもしました。
構造用合板は、買えば、物価高騰の今なら(三六判で)1枚2,000円もします。それを20枚以上ももらっていたのですから大いに助かりました。

細切れの時間を見つけて、もらいものの解体材から木拾い(材料の用意)をし、墨つけをし、刻んだり、穴を開けたりの準備に余念のない日々が続きました。

下は、墨つけ後の、ほぞ穴などを角ノミ機で開けているところ。
角ノミ機は、ずいぶん活躍してくれる頼もしい相棒です。

部材の試し組み。
既存の(解体材の)軒桁(のきげた)に、先端をアリに刻んだ梁(はり)を差して。
“大入れアリ組み”という継手・仕口を使っています。

そうして6月5日に、作業の開始より1か月してようやく立ち上げの日を迎えました。

助っ人の来る前に、接続金物を用いて部材を締めつけ、柱を仮立ちさせています。

筆者のシショウたるタカシ大工の援軍を得て。
日曜の午前中ならOKとのことで、来ていただきました。ありがたいことです。
そしてすぐに、梁を軒桁に渡しました。

ここからが大工の本領です。
“下げ振り”(赤い三角錐の錘がついているもの)を用いて、柱の垂直を測っているところ。

下は、ロープを用いて、梁と土台、柱と軒桁の歪みを矯正しているところ。これが素人にはむずかしい。
シショウは掛矢(カケヤ。巨大な木槌)の柄を使ってロープを張り、決まったところで数か所の斜め材を打ちつけていきます。これはほれぼれするほどの仕事です。これがプロの証しです。
この斜め材こそが建築の命です。
やがて、屋根の下地材たる垂木(タルキ)を渡し、野地板を打ちつけると、この斜め材はようやく不要となり、取り外すことができます。

ひと区切りついて、シショウと記念のスナップ。
タカシ大工は本当に頼りになる存在です。
大工仕事で何か疑問がわくと、筆者は自分の考えたことを用意しつつシショウに聴きに行きます。そうすると彼はイヤな顔一つせずにいつもていねいに説明して教えてくれるのです。
今まで、どれほどお世話になってきたことか。

シショウにお手伝いいただいたのは1時間ほど、この1時間がとても貴重でした。
シショウが去れば、筆者はまた孤独な作業に戻ります。

垂木を、コーススレッド(ビス)を使って、インパクトドライバで固定しています。

最後の垂木を固定して、ピース!。

垂木の端に墨を打って、丸ノコできれいに切りそろえました。

構造の歪みを取った段階で、柱の落としどころが15ミリほどが浮いてしまいました。それを羽子板ボルトで工夫して着地させました。
この隙間は想定外とはいえ、逆によかったかもしれない。
というのは、柱の下に水をためないのは建築の基本だから。

目を保護して、別の用途にするため、アンカーボルト(基礎と土台をつなぐボルト)を切っているところ。

タップダイスセットのダイスによって、切断したアンカーボルトにネジを切っているところ。

なぜアンカーボルトを加工してネジを切ったのかと言えば、積んだ薪がこぼれ落ちたりしないよう、土台と基礎の隙間を適当な角材でふさぎたかったためです。
本当は(まっすぐの)建築ボルトを用意すればいいのだけれど、アンカーボルトが余っていたので。

そうして、
垂木に(製材所から買ってきた)野地板を張り、
野地板の上に防水のルーフィングを施し、
破風板(はふいた。屋根の下の側面の板)と鼻隠し(垂木の先端の板)を取りつけ、
トタンの納まりの、カラクサ(唐草。屋根の下をぐるりと囲む小割材)を打ちつけ、
9本の間柱を打ち込んで、躯体(くたい)が完成しました。

これが開始から約1か月半、6月13日のことでした。

それから、
側板を張り、
タテ板とタテ板の隙間を細い板で埋めて。

屋根に防水紙を施した後に、板金職人のサイトウさんが入って下さいました。

屋根が葺きあがり、


破風板と鼻隠しに塗装し、
柱に塗装し、

母屋の壁面を作って(トタンの立ち上がり箇所を保護し)、
塗装し、

そうして屋根が完成しました。

土台と土台のスペースは本来はコンクリート(またはモルタル)で埋めればいいのだけれど、そこは手間と労力の大きさを考えてやめました。
であればどうするか。
まず、防草シートを敷き、その上に手持ちの太い竹(近所からもらったもの)を敷きつめ、その上なら薪を積んでも湿気は昇って来ないと踏んだのです。

ところが、竹は左右に動いて不安定なのです。それならと不要なトタンを切って竹の上に置けばよい。
これで問題は解決しました。

時に、筆者は板金屋にもなります(これは大げさ。専用のはさみで切っているだけ)。

 

そうして下屋のすべてが完成しました。

早速にも、久しぶりにチェンソーを唸らせて集めていた材料を玉切りし、斧で割って、そして積んだのです。
これから、少しずつ時間を取って薪を作っていきます。
どんどんと積みあがってゆく薪こそは、筆者の森の生活の充実の証しでもあります。

今から、冬の薪ストーブの熱と光が楽しみです。
薪ストーブを愛好するひとは、この熱と光がどんなに尊いものであるかを理解し、どんな苦労があったとしてもこれ以上の喜びはとても見いだせないと思うもの。

収まらぬCOVID-19に、ロシアによる戦争、急激な円安に物価高、そして世界的な食糧危機と気候変動の激しさ……、
混迷し、閉塞し、人心が内に内にと向かう時代に、薪ストーブはどんなにか力強いものとなるか、もう暖を取る道具をはるかに超えて精神的な領域に入る…、つまりは、薪ストーブとは希望そのものだということです。
(希望を得たいひとは、思い切って薪ストーブを設置してみては? 筆者の言っている意味が分かると思うよ)。

以上、そんな訳での下屋の建築日誌でした。

それにしても、蒸し暑いね。こいうときは水風呂がいいね(笑い)。

ということで、本日はこのへんで。
それじゃあ、また。
バイバイ!

 

※本文に割り込んでいる写真はサムネイル判で表示されています。これは本来のタテヨコの比から左右または上下が切られている状態です。写真はクリックすると拡大し、本来の比の画像が得られます。