森の生活

あるサクラの話

今年も、室内に七郎右衛門桜(オオヤマザクラ)が咲きました。
3月1日にいただいてきた枝は部屋のあたたかい温度とやさしい早春の陽光とでこの25日には咲き出し、本日29日はもう満開の一歩手前というところです。

下はある機関紙(さようなら原発 米沢/「ひろば」)の求めに応じて(昨年5月末に)書いたものですが、もとはと言えばこの七郎右衛門桜を訪ねたことにはじまります。
今回のsignalは小エセーの紹介かねがね、「あるサクラの話」。
実際の画像を交えて、サクラを追っての昨年の足跡を。

画像の(  )付の説明をしているものは方々で撮影した昨年のもの、そのほかはすべて今年のものです。
野外の幹と枝は、現在の七郎右衛門桜現地のもの。

大きく活けている花瓶は米沢地方に古くより伝わる成島焼(古成島)。
成島焼は日用品、主に漬物樽として焼かれたものと思われますが、今では長い年月を刻んで得(え)も言われぬ美しさを湛(たた)えています。海鼠(なまこ)の釉薬がなんとも言えない趣きです。
これは知人からありがたく頂戴しました。

花瓶敷(鍋敷にも)は、昨年夏に訪れた岩手県奥州市水沢の及源鋳造から購入した鋳物製。値は張ったけど、伝統とモダンデザインが融合したすばらしい造形です。
クロスは、近くの知的しょうがい者施設で手機(てばた)で織られている“さをり織り”。記念品としていただいたもの。
サクラの葉は、友人からのいただきもの。息子さん作という金属工芸。

あるサクラの話

私が住んでいる万世町梓山(ばんせいちょうずさやま)地区(の住居跡)に美しいサクラがあります。それは普通に見るソメイヨシノ(染井吉野)よりはだいぶ色が濃く、ひとつひとつの花が大柄です。咲き初めから咲き誇りまでの華麗な美しさは格別です。

このサクラの来歴と出自が気になってご当主に尋ねると、「祖母が李山(すももやま)から嫁いで来る時に、生家があった銭子屋敷(ぜにごやしき)の山岸の、山の神のたもとのゴヨウを持ってきたと聞いている。オオヤマザクラ(大山桜)だと思う。およそ100年前のこと」とのことでした。
ゴヨウとは蘖(ひこばえ。樹木の根元から生えてくる若芽)の“取り木”のことのようです。

この特別な気品を醸すサクラに魅せられた私は、当主の名を冠して、ひそかに“七郎右衛門桜”と呼び習わしています。 

そこで、その元のサクラが見たくなってこの春に李山を訪ねました。
けれどもまず、山岸(山の際/きわ)が分からずに迷いました。が、それらしいサクラがあって近くにいたひとに聞いてみると(運よくもそのサクラの所有者でした)、「ここは高速道路建設のために土砂が持っていかれて地形が変わり、そのお稲荷(梓山の当主言うところの山の神)までが山際だった。この色のサクラは李山にはゴヨウとして家の前に約100年前に移植した1本と合わせて2本しかない。元の木は何度か倒れてその都度ゴヨウから育ったようだ。少なくとも200年300年の歴史があるのでは。謂(いわ)れは分からなかったが、自分はスキー場に勤めていたことがあり、梓山の13号線沿いに同じ色のサクラがあるのは知っていた。先祖からはヒザクラ(緋桜)と聞いている」ということでした。

(下は、李山の大元のサクラ。2枚目は、主屋玄関口にある大元の木から“とり木”をしたもの)

いやあ、こちらは同じ色味ながら咲きぶりからして爛漫というべきか、このサクラも美しい。
私はこれを勝手に、“李山緋桜(すももやまひざくら)”と名づけました。

ではこのふたつのサクラの素性やいかに…。

山形県央部から南部に限ってのことですが、山野に見ることができるサクラの基本野生種は10のうちの5つ、それは西吾妻でよく出会うタカネザクラ(高嶺桜)、最も早く咲くオクチョウジザクラ(奥丁字桜)、遠くからみると霞がかかったように淡いカスミザクラ(霞桜)、花びらが雪のように白く小ぶりなミヤマザクラ(深山桜…蔵王限定。最近、ついに出会うこと叶い)、そして韓紅(からくれない)の色冴えるオオヤマザクラです。
野生種はいずれも清楚なたたずまいです。

(下は順に、タカネザクラ、オクチョウジザクラ、カスミザクラ、ミヤマザクラ)

私は梓山と李山のサクラを直感で基本野生種にしてオオヤマザクラと思いはしたものの、ともすれば純粋な野生種ではなく、その昔に何らかの人為的な交配がなされたものかもしれないとも疑ったのです。
そこで市中在住で植物にお詳しい方に同行願って実際に見ていただいたのですが同定には至らず、その方に「博物館に鑑定してもらったらどうだろう」と勧められたのでした。それでさっそくにもふたつの標本を携えて山形の県立博物館に鑑定を依頼しに出向きました。

と、その回答が日を二日と置かずに届きました。

それをかいつまむと…、
「梓山および李山のサクラはともに、花びらや皮目などの特徴からして“オオヤマザクラ”にまちがいない。現在一般的に見られるものよりは花びらが大きく色味も濃いけれども、これこそは昔の形質を今に受け継いでいるもの、昔のオオヤマザクラとはこういうものであったと知ることができる。その昔、野山にひときわ赤く咲くオオヤマザクラに魅せられたひとが里に移植したものと思う。現在のオオヤマザクラはカスミザクラなどとの自然交配が進んで、花びらは小さくなり、色も薄らいできている傾向がある」…とのことでした。

「これこそはその昔の(オオヤマザクラの)形質を今に受け継いでいる」…、私はこの文言に感動をさえ覚えたのです。

そして思うのです。


美しいサクラに魅せられたひとびとが長きにわたってそれぞれのサクラを守り通して現在にまで引き継いでいるよう、私たちはよき社会的形質(在りよう)を次の世代に引き継ぎさらに遠い未来のひとたちに受け渡すことができるのかどうか、と。

そうした中で、危険と醜悪のシンボルともいうべき原子力発電はチェルノブイリや福島の事故に見るまでもなく、ひとたび事故が起こってしまえばもう取り返しのきかない事態になってしまうことを十分に示してきました。
豊かさと便利さのあくなき追及の果てのニンゲンの愚かな所産である原子力発電は、未来の世代には負の遺産として申し送る以外にはないでしょう。

私たちはどんな暮らしが美しいのか、どんな社会が美しいと言えるものなのか、その価値観を絶えず問い直し続けることが求められているのだと思います。その問いかけこそが、“守り継承する”ということとともに、“拒んで破棄する”という行動の起点でもあるように思います。

今年もその時期になったら、野生のサクラを追って歩きたいと思っています。
町内のサクラが好きな御仁にも声をかけましたし、おにぎりと水筒でも持って。

と、つい先ほど、七郎右衛門桜のご当主の七郎右衛門ご夫妻がおいでになって、三人でサクラを愛でながらお茶のみをしました。
ご夫妻はともに80代半ばに差しかかるかと思しきご年齢、山菜取りに畑仕事にと精力的な日常のご様子、今はとにかく雪消しに情熱を燃やしているとのこと(笑い)、何よりです。
近況をうかがったり、漬物の話を聞いたり、持ち山の様子を教えてもらったりの、よい風情のよい時間でした。

ここらは、外はまだまだ分厚い雪です。この調子だと5月の連休にも雪は残っている気配です。
でも、少しずつ少しずつ積雪の嵩(かさ)が減っていく様はこの上ない希望です。その先には、ポカポカの春が手を広げて待っていますから。

彼方の戦火に胸締めつけられながら(なんと卑劣な行為の数々。それに、よりによって原子力発電所を襲撃とは何を考えているのか!)、何度でも言うけど、希望を紡がなきゃ。希望の紡ぎ直しをしなくちゃ。

それじゃあ、また。バイバイ!

 

※本文に割り込んでいる写真はサムネイル判で表示されています。これは本来のタテヨコの比から左右または上下が切られている状態です。写真はクリックすると拡大し、本来の比の画像が得られます。