森の小径

精霊の森

新年、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

新しい年2022年が明けたとはいえ、筆者は恒例の年明け早々の深夜の初もうでは猛吹雪のために断念、わずかな寿(ことほ)ぎの食卓についた(相棒の誕生日をささやかに祝ったことも含めて)あとは、ほどなく普段の生活に戻りました。早々にも工房に入って製作をはじめました。
雪がしんしんと降りつづく無音の中で、木に向かっている時間は好きです。
そうして、今年こそは展示会ができるだろうという期待のもとに(予定として10月28日金曜から11月6日日曜まで、現地にて。…コロナ禍がお盆頃までも続くようなら中止します)、新作に取り組みはじめました。

昨冬は重くて湿った雪がクリスマス前に一気にきて、倒木が相次ぎました。
倒木は通行を邪魔したり、断線して長時間の停電ともなりました。
さらに我が家とすれば、積もりに積もった雪がいつまでも屋根にとどまり、気が緩んで一気に落下したときの衝撃で薪ストーブの煙突にも圧力がかかって支柱もろとも曲がってしまったのは痛かった(折れたり破壊に至らなかったのは不幸中の幸い)。
筆者たちにとって薪ストーブは冬を越すための生命線、それで夏場に、雪の落下を促進するために雪割り(雪切り=屋根の棟に載せる鋭角の造作物)を取りつけてこの冬に臨んだのでした。

と、今季もまだ寒の入りだというのにもはや本格的な雪です。

雪は間断なく降り続き…。
こちらは雪には慣れているとはいえ、雪降りやまずの状態が2日3日と続くのはやはり堪(こた)えます。降雪に除雪が追いつかず、どんどんと体力が消耗していきます。
工房の時間そっちのけで朝に2時間、昼に3時間、夕方にさらに2時間なんてこともあって、雪かきだけで一日が過ぎるということもあります。
でも、そうでもしなければ家屋や暮らしは守れないのですから、なんとも仕方ありません。これは雪国の宿命です。

そして6日朝にはここらの自然積雪深が160センチに達したのでした。
(米沢として表示されるアメダスデータは市内でも比較的雪の少ないアルカディア地区のもので、この時の表示数値は93センチでした。ここルーザの森は、この数値の1.5倍から2倍となるのが普通です)。

いつもの冬の積雪深のピークは2月10日あたり(例年なら180センチほど)、吹雪は2月20日頃までを覚悟すればいいのだけれど、新年早々に160センチというのはあまりに早すぎ、多すぎます。
今後、どんな降り方になるものやら。

けれども筆者は(身体の自由が利くということはあるのだけれど)、雪に恨みはないのですよ。
それは雪を都合勝手にとらえてはいないから。雪の恩恵を知っているから。
何より毎日不自由なく使うことができる水(奥羽山系の伏流水)は冬場の雪のおかげです。春になれば雪は徐々に溶け出して土に染みこみ、それはやがて川のはじまりの一滴となるのです。
そうして、水のあるところにみどりは繁茂し、森をつくり(ヒトを含めて)動植物のいのちを支えていきます。

アフガニスタンの復興に尽力していた(2019年暮れに武装集団の銃弾に倒れた)中村哲さんのテーマは、つまるところ“水”でした。医師である彼が常々口にしたのは「100の診療所より1本の用水路を!」でした。医療に優先して水が大切さだと説いたのです。
水があれば作物ができ、緑が育ち、ひとびとは健康を保ことができる、暮らしも潤うという道筋にそって、ひたむきに水の確保を求めたのでした。
惜しい方が亡くなったものです。

それから、(これはフィクションだけれど、)ジャン=ジオノの秀逸な小説の「木を植えた男」のテーマもまた、“水”でした。
主人公ブフィエは荒涼とした場所にひたすら木を植えたことで、雨が降って霧が湧いてその水分を木が保全し、やがてそこに泉が湧き、水のあるところにひとびとが住みついて村が生まれ、幸いな暮らしを可能にしたのでした。この物語は、水は偉大だという箴言(しんげん)にあふれた何とリアリティーの世界であることか。

そうなのです。ここにいると、水のありがたさを肌で感じることができるのです。
水は単にそこに普通にあるものじゃない。大いなる自然(大霊としてもよい)の力によって作られるものなのです。それを私たちはありがたく使わせてもらっているわけで。

そして雪は美しくもある。雪の夜空はまるで銀河、満天の星のようです。
こんなときですかね、特に、この森には精霊が棲んでいる、精霊が満ちていると思うのは。そう、ここに暮らしていると精霊を感じるのです。

ヒュッテの前のトウヒ(唐檜/マツ科トウヒ属)は生クリームでくるんだケーキのようになって(笑い)。
これが実物なら、「ぐりとぐら」のクライマックス、カステラを分け合う動物たちの名シーンに匹敵するかも(笑い)。
敬愛する作者の中川李枝子さんと山脇百合子さん、ここに取材に来てくれないかな。そして新作の「ぐりとぐらのバースデーケーキ」を作ってもらえたら(笑い)。

主屋のリビングからの風景。
春夏秋冬、これは一幅の絵画のようであり、超長編の自然ドキュメンタリー映画のようであり。
朝食はこの景色を見ながらとります。
食事の後のマキネッタで淹れたコーヒーを手に、しばし窓の外の風景に見入るのも日常です。

ベランダに積んでいる薪も綿帽子をかぶって。

6日の朝は冷えました。(このあたりにしたら最低の記録といってもいいかもしれない)マイナス12℃でした。
玄関のドアの明かり取りのガラスも凍りついて。

我が家のモミ(樅/マツ科モミ属)。
天然のクリスマスツリーです。
吾妻山の山中から10センチほどの実生(みしょう)の苗を採取して移植したものが大きくなりました。
モミの北限は秋田なのだとか。
筆者はこの木をしばらくは葉裏のみどりの薄さからウラジロモミ(裏白樅)ではと疑ってもいたのですが、針様の葉先が2裂するのはモミ、しないのはウラジロモミと分かりましたので、これはモミです。
我が家の玄関飾りはこのモミの枝です。
12月いっぱいは木彫りのサンタクロースをつけて、元旦からはサンタをはずして春まで飾ります。
この玄関飾りを気に入ってくれるひとがいて、ひと枝を差し上げたらたいそう喜んでくださいました。

冬の太陽の、東から登って西に沈むその角度の狭いこと。夏至なら240度ほどだけど、冬至では120度ほど、少しずつ角度は広がってきてはいますが。
そして日の高度(南中高度。南中は真南)はとても低いこと。夏至には76度ほどなのに、冬至においては約30度弱なのです。
昼近くだというのに、こんなに長い影です。
(南中高度は次の数式で求められるとのこと。冬至:南中高度=90°-北緯〈ここは37.5°〉-23.4°。夏至:南中高度=90°-北緯+23.4°)

せっかくしつらえたというのにリス小屋の雪割りはその役目を封じられるほどの雪の積もりよう。
晴れ間をぬって雪割りのてっぺんが見えるように雪を除いています。

落ち切ったリス小屋の屋根。

ヒュッテ(兼工房)は暖が入るゆえ、雪割りの効果もあってすっかり落雪しました。

吹雪がやんで、雪やんで、ようやく憩いのひとときが訪れました。お日様が顔を出してくれたのです。

こういうときは心がウキウキワクワクします。何を差し置いても決め込むのは散歩、スノーハイキングです。
そして北に、東に、西へと歩いてきました。ときにスノーシューをつけて。

笊籬沼(ざるぬま)は静か。
晩秋にはガン(雁)が大勢で鳴きかわしていたものでしたが。
もうここは水面を渡れるぐらいに厚く凍っているでしょう。

笊籬沼の背景の小高い山は鑑山(かがみやま)。
このsignal(ブログ)で我が家を見下ろす写真が時おり登場しますが、いずれもこの稜線からの撮影です。

笊籬橋からの、最上川源流のひとつ天王川上流の眺め。
ここは春夏秋冬、どの季節も美しい。

広々とした雪野原。
実はここは隣り近所の田んぼです。
ルーザの森は戦後に入植した開拓部落。ここに田んぼがあって拓けているということは、開拓者が自然林の1本1本を伐り、根を起こしていったということでもあります。
これは、宮澤賢治の名品のひとつ「狼森と笊森、盗森」(おいのもりとざるもり、ぬすともり)の世界を髣髴(ほうふつ)とさせます。

家のすぐ近くの、笊籬溪(ざるだに)わきの2本並び立つ杉の木。
ダイエットよろしく身体を思いきりしぼったトトロです(笑い)。

我が家のすぐわきからの、笊籬溪の現在。

ちょっとここでひと息、ひと休み。

カメムシというのをご存じの方は多いと思うけど、ここらへんでカメムシはごくありふれた昆虫です。いわゆるヘクサムシ(屁臭虫)です。
が、ここより2.5キロ、標高にして30メートルほども下って国道(13号)あたりに出るとそのへんにはほとんどいないのですから不思議です。

とかくカメムシは嫌がられますが、それはひとえにクサイから。刺激しなければクサイ臭いを発したりはしませんが、臭いが出た場合はやはり御免こうむりたいのは人情というもの。

で、このカメムシ、10月の半ばに姿を現わしはじめ、寒い季節が近づくととにかく狭いところに身を隠すようになります。ガラス窓のアルミサッシでさえ乗り越えることができるというつわものです。
カメムシは隙間という隙間が大好きです。例えば、ベランダに積んでいた焚きつけ用の薪の中には確実にいます。束に結わえている紐を外せば…、

この通り。
このカメムシは正式にはクサギカメムシ(臭木亀虫/カメムシ科クサギカメムシ属)といいます。
名はそのククサがクサギ(臭木…きれいな花を咲かせます)という落葉小高木の葉の悪臭に似ているからとあるけど、自分では葉にそれはあまり感じないんだけど。

1匹、形の変わった身体が長い虫はサシガメの一種のオオトビサシガメ(大鳶刺亀/サシガメ科オオトビサシガメ属)です。
この昆虫はクサギカメムシと常に一緒にいますが、オオトビサシガメにとってクサギカメムシは主食、大好物なのです。
じわりじわりと寄っていき、注射針のような鋭い口先でカメムシを刺し、体液を吸って生きているのです。

この捕食の現場を何度も見ているけれども、カメムシは殺されるというのにイヤイヤ逃げたりはしないのです。刺されたら刺されたままにじっとしており、体液を吸われたカメムシはそのうちに死んでしまいます。不思議なことです。
自然界には“持ちつ持たれつ”の関係が往々にしてあるものだけれど、このカメムシとサシガメの関係は分からない。カメムシにとってサシガメはただ迷惑な存在でしかないのではないか。

外気がマイナス12度という酷寒の中から引きだした焚きつけなのに、そこに潜んでいたカメムシもサシガメも気温が上がるにつれて活動を開始するのですから驚きです。
2者は仮死状態になって時をやり過ごすことができるみたいです。


なぜこんなに大量にいるのかといえば、薪の隙間をまるでパテのようにびっしりとぎゅうぎゅう詰めにいることで相互の暖かさを保っているからです。
だから、筆者は仮死状態のままにちり取りに回収し、あとは雪の中に放ってやります 。

そういえば、おととしだったか米沢市郊外のカフェで友人とコーヒーを飲んでいたおり、いきなりすっとんきょうな声があがってそちらを見ると、都会から来たらしい若い男女が驚いて椅子から腰を浮かしているのでした。
よくよく見ると彼らのテーブルわきのガラス窓に1匹のカメムシが這っているではありませんか(笑い)。
おふたり、おおげさですよ(笑い)。
お若いおふたり、今度うちにいらっしゃい!(笑い) 人生観がかわると思います(笑い)。

まあ、カメムシの登場は薪ストーブを焚くことのワンシーン、自然はいろんなことを教えてくれるものです。

主屋の南側に隣接する、“広場”と呼びならわしている林の現在。
夏場には焚火をする場所も今はこの通り。

早春に花咲くマンサク(マルバマンサク/丸葉万作/マンサク科マンサク属)の果実。

ハンノキ(榛木/カバノキ科ハンノキ属)の球果。
この球果は草木染の材料になるのだとか。

西からの吹雪をまともに受けて立つハンノキ。
凛としていますよね。

カンボク(肝木/レンプクソウ科ガマズミ属)の赤い実。
無彩色の世界で、このカンボクだけはわずかな朱を差しています。 

ノリウツギ(糊空木/アジサイ科アジサイ属)の冬姿。これまた趣のある造形で。

これはイノシシ(猪)の足跡。この深い掘りが特徴です。
よくもまあ、この雪深い土地に適応したものです。
猟師によれば今は、川のほとりに見えるわずかな緑を食しているという。

下は、リス(ホンドリス/本土栗鼠)の足跡。スギの木立の間を行ったり来たり。

ノウサギ(トウホクノウサギ/東北野兎)は新雪を飛び跳ねていました。

下はつがいなのかどうか、2匹が一緒に同じ方向に駆けているよう。

これはヒト属の、足に何やらをつけて歩いた跡らし。きっとホンマ君だと思います(笑い)。

最近、新聞紙上である識者(横山真弓/兵庫県立大)の言葉が目にとまりました。

存在は知っているが、姿は見ない。それが“距離”の原則だ。

ひとと動物の関係がいよいよ狭まってきた感のある昨今、このお互いの適切な“距離”はこうあるべきと実感させられました。
もちろん、上にあげたイノシシもリスもノウサギも、そしてクマやカモシカも、アナグマにハクビシンにテンも、イタチやタヌキもキツネも筆者はいずれも目にしていますが、相手は日常的に姿を顕現しているわけではありません。
共存にはこのつかず離れずの距離の関係が大切なのだと思います。

そうして細い沢の先の(笊籬淵と呼びならわしている)いつもの淵に行ってきました。
ここはまったくまったく静かな場所です。静謐というのはこんな景をいうのでは。

ここは上流に汚染源はないので、掬(すく)って飲むことができます。
とてもおいしい水です。

笊籬淵のほとりで、セルフ。

笊籬淵の周辺で。
カケス(掛巣)が鳴いて、シジュウカラ(四十雀)も目にして、いやあ、美しい森です。
春になればここにゼンマイ(薇)が出てきます。秋にはムキタケ(剥茸)やナメコ(滑子)のキノコ類が出てきます。ここは恵みを与えてくれる森なのです。

アメリカの思想家エマソン(1803-82)は著書『自然』で次のように語っています(『エマソン論文集』所収、酒本雅之訳、岩波文庫1972より)。

森のなかにはいつまでも失われることのない若さがある。こういう神の植林場には、ある種の神々しい儀礼が支配していて、終わることを知らぬ祭礼が美々しく催され、招かれた客は、たとい千年を経ても、よもやこれほどのものに飽きることはあるまいと思う。森のなかで、われわれは理性と信仰をとりもどす。

『自然』が世に出たのは1836年のこと(坂本龍馬が生まれた年)、日本でいえば明治の時代にさかのぼること約30年前にこのような思想がすでに表明されているのは驚きというものであり。

散歩の帰りに敷地内に生えるミズキ(水木/ミズキ科ミズキ属)の枝を伐ってきました。
明日にでも団子木として船せんべいを飾ろうと思います。

それじゃあ、バイバイ!

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