森の小径森の生活

わが溪は緑なりき

今回のsignal「わが溪は緑なりき」のタイトルはもちろん、映画史に輝く金字塔「わが谷は緑なりき」( How Green Was My Valley/ジョン=フォード監督作品1941年)から来ています。いわゆるパクリです(笑い)。
この映画は19世紀末のイギリスはウェールズ地方の炭鉱町を舞台としたある家族の物語。
筆者の若い日、モノクロの圧倒的な美しい映像と相まって、男たちの歌う野太い声の合唱が全篇をおおって心の奥底に届いた記憶があります。

ちなみに、こうしたヒューマニティあふれる作品が1941年のアメリカに生まれていたのだけれども、この年の12月8日に日本はハワイの真珠湾を奇襲し、米英に対して宣戦布告したのでしたね。
その12.8は天皇の軍隊の、多くの民衆を地獄に追いやった悲惨な戦争のターニングポイント、その結末が人類史上初の原子爆弾の投下と敗戦でした。
これらはおぞましい負の遺産としてずっと記憶しておきたいことです。

わが溪は緑なりき。
ここは東西に天王川が走り、架かる橋(笊籬橋/ざるばし)の前後それぞれ500メートルほどが深くえぐられており、この流域を筆者はルーザの森と呼びならわしています。
川あり溪あり(小さいけれども)湖沼あり、ルーザの森は変化に富んで、四季折々に美しい。
筆者の住まいとフクジュソウ(福寿草)の咲く牛尾菜平(しおでだいら)は(上流から下流を見て)左岸、散歩コースになっている鑑山(かがみやま)は右岸に位置しています。

下は、天王川に合流する手前の支流(通称・笊籬川)の河床。透明な水が一枚岩を伝っています。

わが溪は緑なりき。
今、ルーザの森は万緑の季節。この6月の、梅雨に入る前の徐々にみどり増す季節はただただ美しい。
下は、住まい(の南側)に隣接する広場の現在の様子。
コナラ(小楢/ブナ科コナラ属)の若々しいみどりが繁っています。

広場の中ほどにいて、上空を見上げれば…。

植えてもいないのに花壇のオダマキ(苧環/キンポウゲ科オダマキ属)の 種が飛んで、ヒュッテ(“ルーザ・ヒュッテ”。筆者自らが建てた宿泊施設)はさながら“オダマキの家”になったのです。

相棒のヨーコさんは畑に何やら苗を植えたようで。
イノシシやアナグマに荒らされないといいな。撃退のために電気柵をめぐらすのもひとつの手だけれども今ひとつ気が引けるし、とにかく祈ることですかね(笑い)。祈りが通じるといい(笑い)。

筆者は、車庫建設予定地にかかっている場所のマツの根切りをしました。
家屋を建ててほどなく、玄関前に立っていた巨大なアカマツ(赤松)の約10本を伐採してもらったのでしたが、その根元が地表より10センチぐらいが出ていたのです。それで、根のまわりをできるだけ掘って、チェンソーの刃を入れました。
これで整地の第一関門の突破です。

下は、家が建ってひと冬を越した(1994年の)夏のなつかしい写真です。風景は今とはだいぶ違います。家の前に多くのマツがそびえています。
それにしても膨大な薪の量、筆者が割ったものを息子が薪置き場に一輪車で運ぼうとしている図です。


チェンソーの作業は5月30日のこと、それ以降、予定地の整地作業は毎日のように続いています。地味で、男らしくも、それこそ孤独な作業の連続です。
(車庫作りについてはいつかまとめて紹介しようと思っています)。

家の近くに、ギンラン(銀蘭/ラン科キンラン属)が咲きました。1箇所、5株ほども。
ギンランは清楚さをたたえた美しい花です。
ギンランには出会えたのだからキンラン(金蘭)にも是非お目にかかりたいものだと願っていますが、それは今だ叶わずです。
あっ、これかなと思ってよくよく見ると、それはカキランだったりします。

下はカキラン(柿蘭/ラン科カキラン属)。2012年の7月半ばの撮影。

わが溪は緑なりき。
最上川源流にして支流のひとつ天王川が流れる笊籬溪(ざるだに)の現在。
笊籬橋より東側、上流方向を見て。

笊籬溪、笊籬橋より西側の下流方向を見て。
透明な水面をながめるといくつもの魚影が…。たぶん、イワナ(岩魚)だろうと思います。
清冽な水が気持ちいいんだろう。

わが溪は緑なりき…。

実は6月に入って3日は、市中在住の植物のエクスパート神保道子さんと鑑山への植物観察に同道する機会を得たのでした。
筆者は植物が好きなのは確かだけれど、専門知識に乏しいことは自覚しています。単に興味をもって眺め、愛で、植物の名を増やしているのがせいぜい。
それでこうして専門の方に直接にお話を聞けるのは本当に貴重でうれしいことなのです。何より、樹木や草花を心から愛する方と同じ時間を共にすることの楽しさ。

下は、正月の団子木飾りに欠かせない身近な木のミズキ(水木)! とばかり思っていたのです。
そしたら、お師匠さん(的ですね、神保さんは)曰く、「これはクマノミズキですね。葉が対についているでしょう。ミズキなら互い違いですから」とのこと。
知らなかった。
クマノミズキ(熊野水木/ミズキ科ミズキ属)はミズキと同属ながら種は違います。
そうして我が家の敷地に生えているものやルーザの森にあるものをあらためて見てみると、水木は水木でもクマノミズキばかりなのでした。
それなら、逆にミズキとはどんな木なのか、どういうふうに違うのか、実際に見たくなったものです。 

イヌエンジュ(犬槐/マメ科イヌエンジュ属)。
(植物の名に多く付く)“イヌ”というのは、本家に対して格下であるとの蔑称ですね。

ものの情報では、エンジュの名で流通している材のほとんどがこのイヌエンジュらしい。
筆者が学生の時(1976年頃)、北海道は網走の、実作者にして民芸品店を営むご主人のご好意に甘えて1週間ばかり居候をし(近年ご主人が死去するまで関係が続きました)、アイヌコタンの酋長をモチーフにした木彫の手ほどきを受けたことがありました(今にすれば、アイヌをモチーフにすること自体が躊躇することですが)。
下が、その時の思い出の作。
材は赤味の濃い芯材と白い辺材が特徴的なイヌエンジュですが、もう45年もの歳月が流れ木膚の色艶は褪せています。

これは登山道の取りつきにあるバイカツツジ(梅花躑躅/ツツジ科ツツジ属)。
夏以降には葉が光沢のある臙脂色に輝くこの植物を筆者はずっと分からずじまい、おアネエさん(と親しみを込めて呼んでよいか)はすぐに、「これはバイカツツジ! めずらしいですよね」と教えてくれました。
「もう少ししたら、花をつけますよ」。  

続いて、これもずっと分からずじまいだったもの。
これはウラジロノキ(裏白木/バラ科アズキナシ属)。バラ科特有で、コリンゴ(小林檎=ズミ/酸実)のような実がつくとのこと。
木漏れ日を浴び、美しくかがやく幼木です。

ナツハゼ(夏櫨/ツツジ科スノキ属)の花。
去年の秋は稀に見る不作だったけど、今年の実つきは良さそうです。たくさんあつめてナツハゼ酒を作らなきゃ。
筆者は、果実酒の中ではナツハゼ酒が第一の王者だと思っています。たまらないおいしさです。

株立ちの美しいアオハダ(青膚/モチノキ科モチノキ属)。
「こんな木が庭にあったらいいでしょうね」と筆者。
「こういう場所に育つからいいんだと思いますよ」とは間髪入れずに巨匠(笑い)。
巨匠はあくまでも植物の側に身をおいて語る…、こちらとしてはそれが実に新鮮です。
植物について学んでいくということはこういうことなんだろうなとつくづく思わされます。

「ハロー! 今年、はじめて会ったわ、アオハダの花!」と親方(笑い)のおっしゃる。

筆者にしたらはじめてのご対面のアオハダの花。今までに何度もこの時期にここを通っているのにもかかわらずその存在に気を留めなかったということです。
アオハダは雌雄異株。花は小さく地味ながら白く無数で、これは雄株にして雄花、したがってこの木に実はつきません。
橋のたもとに大きな雌株の成木があるのですが、この尾根で作られた花粉が風に運ばれてその一部も受け取るのでしょうか。
このアオハダの若葉は今年初めて山菜として食したけれども、おいしかった。

そして鑑山は、今の時期なら何といってもヒメサユリが主役です。

ヒメサユリ(姫小百合/ユリ科ユリ属)は日本特産の百合で、山形、福島、新潟の県境付近(それとわずかに宮城県南部)にのみ自生する貴重な花です。それが、ここにあるのです。
かつてはこの場所を含む万世町梓山の広い範囲に咲いていたということですが、今はこのあたりに限られているよう。
こういう風に、種(しゅ)をどんどんと消滅に追いやっているのがニンゲンですね。

もうすこしで咲きそうな蕾のヒメサユリ。

こんな貧相なところにも足場を築いて。

福島県喜多方市の熱塩加納(あつしおかのう)や山形県の大江には自生地から園地に拡大した観光ヒメサユリ園がありますが、それら人工的に管理されている種とこうした手つかずの野生のものとの違いは何といっても、茎の太さにあります。
ここのヒメサユリの茎は、竹ひごのように細いです。花が重たくまっすぐに立ってはいられないほどに株全体がしなっています。

栄養のない場所、時には自分以外には誰も寄りつけないところにも根を張って育っているさまはあまりに健気です。
でもこれは、岩や石だらけのガレ場に咲く高山植物のコマクサ(駒草)のよう、きっと生き延びるための戦略なのだろうと思います。
競争相手と養分を分け合って共生するか、競争相手のいないところで貧栄養に耐えて生き抜くかの選択なのでしょう。ここのヒメサユリはおおむね後者を選んでいる。

と、今年も咲きました。(一説によると300,000本に1本の割合でしか見つからないという突然変異による)白花のヒメサユリが。
実は、じっくりと見るようになった17年には2株にひとつずつの花、18年は同じ、19年には2株に3つの花(1株に枝がふた又に分かれて2つの花)をつけたのです。そして20年は17年18年と同じ、今年はついにひとつになってしまった(1株には花をつけなかった)という次第です。

生物は何でもそうだと思うけど、このヒメサユリも野生で生きていくのはたいへんなのだろうとつくづく思わされます。でも、今年も会えてよかった。

いただき近くに、似たような楢の葉。
これもマエストロ(笑い)の指摘ですが、下はミズナラ(水楢)の亜種のミヤマナラ(深山楢/ブナ科コナラ属)とのこと。この高さ(標高約470メートル)にしてはめずらしいのではということです。
コナラと違ってミズナラは葉柄(葉の付け根の茎)がほとんどなく、このミヤマナラはわずかに葉柄を有しています。葉の形や葉の周りの鋸歯はミズナラにそっくりです。

登山道をはさんでミヤマナラの真向かいにあるコナラ(小楢)。でもこの葉も一般的なコナラとも印象が違うような。
交雑の可能性もあるということでしょうか。

いただき近くにあったアカマツ(赤松/マツ科マツ属)の松ぼっくりの、生まれたての赤ちゃん。
いやあ、かわいいものです。
2年目はグリーンボーイのような小さな松ぼっくりに、3年目にして我々が普通に見る、一気に老境の(笑い)ブラウンのものになるということです。

 

観察会の記念に、セルフで。

いただきからは、遠く右に飯豊山地の一画をなす飯森山(1,596メートル)や中央に兜山(1,199メートル)が見えます。左端に屋根工事のために足場がかかっている我が家が。
みどりがずいぶんと濃くなりました。この濃さは慈雨によってさらに増してゆくでしょう。

ルーザの森は今、鳥や虫たちの楽園。
ツツドリ(筒鳥)は穏やかにホーホーと、ホトトギス(不如帰)は甲高く叫んでいるよう、アオゲラ(緑啄木鳥)の乾いた音色のドラミングの響き、それから名を知らぬけれども美しくさえずるたくさんの野鳥、ハルゼミ(春蝉)のやさしいシャーシャーの通奏低音、そしてけたたましいエゾハルゼミ(蝦夷春蝉)の合唱…。
森は閑かにしてにぎやか、森はいいです。風が気持ちよく吹き抜けていきます。清々します。

いただき付近に、コメツツジ(米躑躅/ツツジ科ツツジ属)が。
かつてコメツツジは2,000メートル級の山で見たことがあり、こんな身近なところで見ることができるなんて感激した覚えがあります。

山を下りる途中には、ハナニガナ(花苦菜/キク科ニガナ属)。
花びらが7枚以上をハナニガナ、未満をニガナと分けるのだそうな。

いやあ今回、神保道子さんに同道願った観察会は実に有意義なものでした。神保さんには心からの感謝です。
やはりオーソリティと時間をともにするとその時間の質というものが違ってきます。時間が濃くなるというか、時間がふくよかになるというか潤うというか。
しばらくはこの様々にふくらんだ時間を食して暮らしていけそうです。

(ところで筆者は神保さんをこれまで、“エクスパート”、“お師匠さん”、“おアネエさん”、“巨匠”、“親方”、“マエストロ”、“オーソリティ”など、敬愛を込めて遊び心交じりにさまざまに呼んできたけど、響くものはありましたかね、どれか気に入ったものありました?、道子さん! 冠は好きですか、お嫌いですか)。

それにしても、筆者が植物の世界に踏み込んでゆくにつれ、ニンゲンの思い上がりや傲慢さが浮き出てくるのはなぜだろう。自然は何を訴えているのだろう。

わが溪は緑なりき。
これから溪や森は梅雨の季節に入ってみどりを洗い、やがて雷鳴轟いて梅雨はすっぱりと明け、そしたら夏本番、ジリジリとした太陽の季節に移りかわってゆきます。

エネルギーはしっかりと充填完了、さあて、車庫作りに精を出すとしますか。

それじゃあ、バイバイ!

 

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