森の小径森の生活

若葉の森、薫風の森

雪が消えてからというものずっと野生のサクラを追いかけていたものだから、今も野山を見ればついサクラに目が行きます。
このルーザの森で筆者が確認できる野生種のサクラは3種、それは山肌に韓紅(からくれない)色濃いオオヤマザクラ(大山桜)、最も早く咲きはじめるオクチョウジザクラ(奥丁字桜)、そして今に咲くカスミザクラ(霞桜)です。
本当はもう1種のミヤマザクラ(深山桜)を目にしたいのだけど、それは今だ叶わずじまいです。

で、カスミザクラの美しさ。
下は、その名がまさにぴったりの霞がかかったようなカスミザクラ。
箒状の株立ち、樹皮は灰褐色で、ヨコに長い皮目も特徴のようで、これは典型的です。

カスミザクラはオクチョウジザクラに対して花はやや小ぶり、開いた時の花びらはヨコから見て一直線にはならない(したがって丁の字にはならない)。それでまずはオクチョウジザクラとの区別がつきそうです。

これはオオヤマザクラ。
交雑によって花の色が薄れてきているものか、オオヤマザクラにしては淡い色彩です。が、徐々に目立ちはじめた葉の色がしっかりした赤みを帯びてきています。
これは我が家の溪をはさんだ対岸にあるもので、日本画のような風情ある美しさです。

若葉の季節になりました。
新緑の季節になりました。
風薫る美しい季節になりました。

冬がどんなに厳しいものでも、この春の美しさを知っている身からすればそれは耐えられないことではないのです。
筆者たちは長くて暗いトンネルの先に差すわずかなひかりに向かうようにして、この美しい春を待っていたのです。冬の厳しさに比例して春は美しく、今はもう、苦い時間を埋め合わせてもなお余りある歓びにあふれています。

自然は卑しい相貌を決して見せないものだけれども(そこは社会とは違いますね)、美しさにおいてはこの5月はじめの風薫る季節にまさるものがありましょうか。
こんな時です、神にあらずして、“神の植林場”(エマーソンの言葉)を意識するのは。
いったい、この美しい秩序と調和は何!?

エナジーが地から湧いて立ちのぼり天空から降り注いで横溢(おういつ)し、うれしくてうれしくて、どこもかしこも誰彼となくわけが分からないくらいに狂おしくうごめきはじめています。
こうなると筆者はもう混乱をきたして、息が苦しくなるのです。
ハアーハアー、ハアーハアー、ハアアーッ!…、“新緑過呼吸症候群”と言っていいものやら(笑い)。
これが雪国の春というものです。

笊籬沼(ざるぬま)の春。
カジカガエルが鳴きはじめていました。
と、サギ(鷺)の羽ばたきです。サギはサギでも、大きさからしてチュウサギ(中鷺)かなあ。

笊籬溪(ざるだに)の春。
水音は軽やか、樹木はあたらしい芽を勢いよく吹き出しています。

笊籬溪の右岸から見た我が家。
やがて樹木が繁茂しだすと、対岸から我が家は見えなくなります。

生まれたての水は清冽で。
ここで必ず、冷たい水をひと口ふた口。

ちょっと山に入れば、まだ消え残りの雪も。

そうして今年も約束したように山菜の季節がやってきたのです。

コシアブラ(漉油/ウコギ科コシアブラ属)。
ぐーっ枝をたぐり寄せて、コシアブラの若い芽を摘む相棒のヨーコさん。

今年はこの4月末にマイナス4℃という日もあり、2日続けて霜が降りたものです。
とすれば、その時に芽を吹こうとしていたコシアブラが大分やられて焼けてしまいました。
ところがです、スギ林の中のコシアブラは霜の被害を受けなかったのです。スギの木立ちが屋根となって樹下のコシアブラを寒さから守っていたというわけです。
ここから想像したのは、人類が雨や雪を防いでしのぐ屋根にどれほどあこがれを募らせただろうこと。人類の第一の発明は屋根だと思うなあ。

下は霜で焼けたコシアブラ。

タラノキ(楤木/ウコギ科タラノキ属)の新芽。いわゆるタラノメです。
タラノメはてんぷらに最高です。
ただ、てんぷら以外はおいしくいただくレシピがなかなか見当たらないのは残念。

ハリギリ(針桐/ウコギ科ハリギリ属)の新芽。
タラノキよりも数倍鋭いトゲがあって、“オニダラ”とか“シシダラ”なんて呼ぶ地方もあるそうな。
このおひたし、特に茎(葉柄)の部分は歯ごたえもあって絶品です。

ハリギリは別名センノキ(栓木)。
樹高30メートルにもなる落葉高木です。
これは我が家の敷地に生えているもの。木が太く高くなるにつれ、トゲは消滅していきます。

タカノツメ(鷹爪/ウコギ科タカノツメ属)の若葉。
タカノツメの名は、冬芽が鷹の爪のように鋭い形をしているからとのこと。筆者が見るにそんなに鋭くはないんだけど(笑い)。
このポシャポシャの若葉のみずみずしいこと。おひたしや混ぜご飯に。

ところで、タラノキ、ヤマウコギ(山五加木)、コシアブラ、ハリギリそしてタカノツメに共通なのはいずれもウコギ科の樹木だということです。どれもおいしい山菜です。

が、筆者がどうも不思議に思っていたのはここ米沢(たぶん置賜地方全域だと思う)のひとたちは殊ハリギリとタカノツメの存在を知らない(または無視する)ということです。それはいったい何故なのか。

このあいだ米沢南部の李山(すももやま)という地区にオオヤマザクラの銘木を見に行った帰りに、犬を連れた地元のご老人がハリギリを指して筆者に話しかけるには、「あれは食べられる。ただ、んめぐねぞ(うまくないぞ)」とわざわざ言うのです。山菜が分からない町場から来た(と見えた)者?への指南のつもりのようでした(笑い)。
また町内の古くから住むご老人としゃべっていた時に言っていたのは、コシアブラを食べるのは昔からではない、それは最近(30年ぐらい前)とのこと。こちらからハリギリやタカノツメはどうかと聞いてもピンとこないし、野山で実際のものを指せば、それは手を出さない、食べたことはない、食べたいと思わないということでした。

そしてふと思い出したのです。ここに来たばかりの約30年前のこと、酒の席で地元のニンゲンが山菜を見下したように「蕎麦や山菜は救荒食。オレは食わない」と言い放っていたことを。
切れ切れのワードをつないで意味を探れば…、農民は食べるものに苦労してきたのだ。何もわざわざ山に分け入って、作物よりうまいとも思えない山菜を採って食うほど飢えてはいない。蕎麦や山菜を食らうのは米を作ることができなかった貧しい者たちの名残り…。とそのひとは言いたかったようでした。

今まで筆者は、ハリギリやタカノツメは存在自体を知らないがために食すこともなかったとばかり思っていたのですが(当然、それはあるでしょう)、上のような妙な矜持と偏見が下敷きとしてあって、避けてきたということもあるのではないか。そうした思いが伝播して今日まできたと。

以上の「地元のニンゲンがハリギリやタカノツメを食べないのは何故か―山菜偏見説」、このテーマで追求したら学術論文に通るかなあ(笑い)。

でもいえることは、山菜をただ食としてだけ扱うひとには山菜の魅力は半分だということ。
山菜は採る、その採ったものを食す、いろいろと工夫して食すという一連の行為は、春というものをどう受け止めるかの感性の問題でもあるからです。
筆者(たち)にしたら、山菜を採る、山菜を食すというのは、春という天からの贈り物を身体で受け止めることと同義なのです。

どうか神様、山菜についての妙なる矜持と偏見が今後も続きますように(笑い)。

シドケ(標準和名でモミジガサ/紅葉笠/キク科コウモリソウ属)。
ルーザの森では残念ながら収量が限られていて、採れるのはごくわずか。

雪が消えてからというもの、真っ先に口にする山菜にはフキノトウとかアサツキとかイワダラ(ヤマブキショウマ)とかがあるけれども、代表選手は何といってもコゴミ(屈。標準和名でクサソテツ・草蘇鉄/コウヤワラビ科クサソテツ属)です。
コゴミはてんぷらに煮物に汁の実にと活躍するけれども、まずはおひたし。
我が家は醤油に鰹節あるいはマヨネーズが定番ですが、今年は自家製梅干しの実をほぐして鰹節にからめて(梅鰹にして)食してみましたが、これもgooでした。
サラダにパスタの具にと、コゴミは飽きの来ない万能選手です。

下は、筆者たちの採り場。こんな様子が広範囲にわたっています。
これぐらいの育ち具合だともはや手は伸びないかも。もう少し若い方がいいね。

この冬の雪のすごさを物語る倒木の数々。
コゴミ場はいつもは、家から歩いて25分くらいのところだけど、この春はたどり着くのもひと苦労でした。倒木を踏み越え乗り越え、くぐり越えでしたからね。時にはノコギリで枝を落として。

ドホナ(標準和名はイヌドウナ/キク科コウモリソウ属)。
我が家ではドホナを本気で採ったりはしないけど、山菜特有のキドさ(苦み)が“通”を刺激するみたい。

イワガラミ(岩絡/アジサイ科イワガラミ属)。
夏にはアジサイのように美しく白い花を咲かせますが、この若い葉は山菜として利用できます。
生の葉をちぎると新鮮なキュウリの香りが漂います。

オヤマボクチ(雄山火口/キク科オヤマボクチ属)。
オヤマボクチはアザミのような花をつけるのだけれど、花の後はカラカラのポシャポシャになるのです。“火口”というのは、それを焚きつけに使ったことからの名でしょう。
ヨモギのように餅に練り込む地方もあり、蕎麦のつなぎに使う地方もあるようで。

で、下は(意図して採らないということもあって)収量の少なかった山菜のまぜまぜのおひたしです。
この画像で、どれが何であるかが分かるひとは相当な年季が入った山菜名人かも。

山菜のてんぷら。
下のちくわを起点に時計回りで、タカノツメ、タラノメ、ハリギリそしてコシアブラ。
それぞれに独特な味がしてとても美味です。

タカノツメの混ぜご飯。
酒と塩でご飯を炊いて、茹でてかたく絞ったタカノツメのみじん切りを混ぜ込んでいます。特有の香りがプーンと立ち上ってとてもおいしいです。

ナツハゼ(夏櫨/ツツジ科スノキ属)の若葉。
若葉は赤味が差しています。
我が家は秋に果実を収穫して果実酒の材料にするのがもっぱらだけれど、ジャムにしてもおいしいのでは。

アオハダ(青膚/モチノキ科モチノキ属)の若葉。
若い葉はてんぷらやおひたしにも利用できるとものの本にはあるけれども、これではまだ小さいかなと思ってそれはまたの機会に。

マルバマンサク(丸葉万作/マンサク科マンサク属)の若葉。
ちりちりとした黄色な細い花びらは春の使者として有名だけれど、葉は意外と知られていないのかもしれない。
このツヤツヤした葉のみずみずしさ。

ハウチワカエデ(羽団扇楓/ムクロジ科カエデ属)の若葉。
これから森は様々な若々しい緑系の色に桃色や橙(だいだい)の色味も混ざってそれはそれは美しい“春百彩”(春紅葉)となるのだけれど、ハウチワカエデのような生まれたての葉は赤みを帯びていてそれにひと役買っています。

ウリハダカエデ(瓜膚楓/ムクロジ科カエデ属)の若葉。
特徴的な房状の花序がぶら下がっています。

オニグルミ(鬼胡桃/クルミ科クルミ属)の葉の開きはじめ。

ヤマウルシ(山漆/ウルシ科ウルシ属)の葉の開きはじめ。

コシアブラもそうだけど、すっくと伸びた若くて細い幹のてっぺんにつく開きはじめの若葉は、ひとが手を合わせて祈っているよう(笑い)。

ガマズミ(莢蒾/スイカズラ科ガマズミ属)の若葉。
やがて白い花が咲き、秋には赤い実をつけます。そうするとホンマさんが実を採って、焼酎に漬けます(笑い)。
ガマズミの別名に“カリンカ”。ロシア民謡の「カリンカ」はこの木を歌ったのですね。Wikipediaではじめて知ったことです。

オオカメノキ(大亀木/スイカズラ科ガマズミ属)の花。
今、若葉と一緒に白い花をつけています。

(※ガマズミもオオカメノキも“ガマズミ属”というのはどの資料でも一致していますが、属の上層の科は“ガマズミ科”であったり、“レンプクソウ科”であったり“スイカズラ科”であったりまちまち。分類において、揺れ動いているもものひとつなんだと思います。一応、スイカズラ科としておきます)。

ホウノキ(朴木/モクレン科モクレン属)の若葉。
いわゆるこれもマグノリアのひとつ。5月の中頃に、大きな白い花をつけます。
樹高は30メートルにも達する高木になります。

コナラ(小楢/ブナ科コナラ属)の若葉。
ここはブナ帯、ブナ帯の主木たるコナラの銀色がかった若い緑が森全体を覆っています。

佐藤忠良の彫刻ポスターに外のコナラの若葉が映って。

イカリソウ(錨草/メギ科イカリソウ属)の花。
花の形が船の錨に似ていることからきた命名です。

ショウジョウバカマ(猩々袴/メランチウム科ショウジョウバカマ属)の花。
里山でも低山でも普通に見られるけれども、高山にも進出している生育範囲がきわめて広い種です。
ショウジョウバカマがこうも適応範囲が広いというのはきわめて強靭な遺伝子を持っているということかも。

スミレサイシン(菫細辛/スミレ科スミレ属)の青い花。
コゴミ採りの現場に咲き誇る美しいスミレです。我が家の敷地にもたくさん生えます。

ヤマツツジ(山躑躅/ツツジ科ツツジ属)が咲きはじめました。
ヤマツツジが山肌を朱の差した桃色に染めはじめると、森は若葉からむせ返るほどの青葉へと移りかわっていきます。
これは、山菜採りの最高の醍醐味であるゼンマイ採りの明確な合図でもあります。
もう、ソワソワです。あと少し、あと少し(笑い)。

我が家のブナ(山毛欅/ブナ科ブナ属)が一斉に葉を出し、一気に展開しはじめました。この展開は本当に早く、あっという間なのです。
ブナの若葉は今、日の光に透け、風に吹かれて、美しくかがやいています。

若葉が一面に萌える薫風の中で、筆者は(1998年当時、建築の知識が浅く技術も拙く基礎がいい加減であったために床の歪みがひどくなり、土台部分もかなり腐ってきた)薪小屋を解体しはじめました。割った薪をどう保管しようかと数年にわたって試行錯誤したあとに建てた思い出の薪小屋でした。この跡地に軽トラの車庫を作ろうと思ってのこと。
昨年12月末に軽トラを新しいものに替えたのですが、セルモーターはじめ電気系統等いろんな箇所が相次いでダメになったのです。なにせそれまでの13年間は野ざらし雨ざらしの状態でしたからね。かわいそうなことをしたものです。ひとには家、クルマにも家です。

今年の大きな目標であった(出店を予定していた)“ふるさと会津工人祭り”(6月、会津・三島町)が昨年に引き続いて中止が決まりました。
このクラフトフェアは全国のクラフトマンのあこがれ、準備を万端にして、今年こそはと意気込んでいたのでしたが。
さらに当方も、10月に予定していた第2回の当工房のクラフト展を(これも昨年に引き続いて)中止としました。
コロナ禍の収束が見通せない中、移動が制限される状況ではねえ、開催しても意味は薄いのです。残念だけど。
ということでの気持ちの切り替えです。

それじゃあ、バイバイ!

 

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