山歩き

鎌沼の秋

この秋に、ぜひとも出かけたいと思っていた場所は磐梯山の爆裂火口である銅沼(あかぬま/標高1,120メートル)でした。
紅葉の進む木々に囲まれて銅沼はどんなたたずまいを見せるのか、そこから噴出した溶岩を巻き込んだ土石流が流れ下った跡たる現在の裏磐梯スキー場はどんな様子なのかはとても興味をそそるものでした。
とはいっても銅沼は登山口から40分ほども歩けば着けるようなところ、少々の雨でも大丈夫。したがって1泊2日の行程なら天候のよい日の方で吾妻連峰東端の一切経山(いっさいきょうやま/1,949メートル)と鎌沼(かまぬま/1,770メートル)をめぐる山旅を、そして翌日には裏磐梯の銅沼をと思ったのです。

最初は天気の長期予報から10月の半ばを見ていたのですが、予報は徐々に変わって半ばは連日の雨、それではと10日に宿にいったん予約を入れたのですが、直近の予報は台風の影響もあって9日だけは雨は降らず10日になるとまた雨になるとのこと。
なので宿にさらに変更を願って一日前倒しして9日に出かけたというわけです。せっかくの休暇、よりベターな行動を期しての計画でした。

9日は雨が降らないのはその通り、ところがです。国道13号線から福島市に入り、(フルーツラインを通って高湯街道に折れ温泉街を抜けて)磐梯吾妻スカイラインに入るや予期せぬ濃霧の襲来です。前方の視界は10メートルもあるかないか、クルマの速度はいやがうえにも15キロから20キロほどのノロノロ運転を余儀なくされ、ようやくにしてたどり着いた登山基地の浄土平は四方八方がまるで見えません。恐怖ともいえる濃霧の中でした。
でもここまで来てすごすご退散というのもなんだし、1本道たる登山道の入り口さえ見つければ何とかなると思い、うろうろと歩いた結果、ようやく取りついたのです。

そうして登りはじめてすぐに出迎えてくれたのはシラタマノキ(白玉木/ツツジ科シラタマノキ属)でした。シラタマノキはしばらく鎌沼と一切経山への分岐あたりまで延々と続いていたものです。
実をひとつ失敬してほおばると、甘さと相まったサロメチールが口いっぱいに広がりました。

紅葉の黄色グループの代表選手ともいえるのがミネカエデ(峰槭樹/ムクロジ科カエデ属)。
ハクサンシャクナゲ(白山石楠花/ツツジ科ツツジ属)の常緑との対比が美しく。

下はミネカエデの一種、ナンゴクミネカエデ(南国峰槭樹)。こちらはもう、はっとするような原色に近い赤です。
このナンゴクミネカエデは筆者にしたらなかなか会えない樹木で、今回で2箇所目のことです。もう一箇所は、西吾妻の天狗岩の西端の直下です。

一切経山への分岐の手前で今登ってきたばかりという登山者に話を聞いたのですが、彼曰く「頂上は全く何も見えない。ものすごい強風で(笑い)」とのこと。筆者たちはこの一言で一切経山行きをあきらめました。
うーん、山頂直下の魔女の瞳(五色沼)を見たかったなあ。残念。魔女の瞳は、これに勝る湖ってほかにあるんだろうかと思えるほどの美しさ。

下は分岐から一切経山の方に100メートルほども進んだ酸ケ平(すがだいら)避難小屋にて。
山小屋は頑丈にできていて内部はとてもきれい、20名ほどはゆうに寝泊りができそうです。筆者は一切経山への休憩場所としていつもここを利用しています。

愛用のイワタニのバーナーにイワタニのジュニアCB缶(カセットガスボンベ。裏技で、安価なロング缶からジュニア缶へガスを移し替えて使用)、それにトランギアのヤカンで湯を沸かし。

コーヒータイム。山で飲むコーヒーって、おいしいんだよね。特に冷えた身体には何ともいえない。

分岐に戻って、鎌沼へ。

あたり一面にクロマメノキ(黒豆木/ツツジ科スノキ属)の紅葉です。
黒い実は和製ブルーベリー、スノキ属ではベルーベリーに最も近い品種だと思います。

西吾妻を代表するエゾオヤマリンドウ(蝦夷御山竜胆/リンドウ科リンドウ属)の咲き残りが東吾妻にも。他はほとんどが枯れた状態でした。

鎌沼一帯に特徴的な笹は(タケノコがおいしい)チシマザサ(千島笹/イネ科ササ属)(別名にネマガリタケ/根曲竹)の丈の低いもの。降り積もる雪に圧され伸びること叶わず、なのだろうか。

相棒のヨーコさんが鎌沼のほとりで。濃霧の中です。

下は、6年前のちょうどこの時期の鎌沼。山上の美しい湖です。

湖のほとりのナナカマド(七竈/バラ科ナナカマド属)の紅葉。
ナナカマドは紅葉の赤グループの雄です。

いつの間に湖を越えて、姥ケ原に出たようで。
ネバリノギラン(粘芒蘭/キンコウカ科ソクシンラン属)のうすいオレンジの枯れ色と赤いチングルマ(稚児車/バラ科ダイコンソウ属)の交わりが美しい。

道々の美しい彩り。
紅葉がこころにしみわたって琴線にふれてくるのはどうしてなんだろう。
緑から変わった赤や黄色はどうしてこうもこころを揺らすんだろう。

赤いチングルマと常緑のガンコウラン(岩高蘭/ツツジ科ガンコウラン属)のコントラストの美しさ。

下は、常緑のアカミノイヌツゲ(赤実犬黄楊/モチノキ科モチノキ属)の葉の代替わり。
役目を終えた葉は黄色くなって落葉するのですね。

オオカメノキ(大亀木/レンプクソウ科ガマズミ属)。
別名にムシカリ(虫喰)の名があるけど、こんなに葉が食べられています。お見事!(笑い)、とでもいいたいような。これで命をつないでいる虫がいるということですね。

そうして本当は2時間弱のコースを約3時間をかけてゆっくりと歩いてきたのでした。
悔しまぎれにいうのではないけれども、紅葉というのは光まぶしいところでは見えにくくかつ感じにくいもの、今回のような霧の中とはいわないまでも(朝方とか夕方とかはたまた曇りの日とか)照度がぐっと落ちている条件ではじめて美しい色が引き出されるということを実感したのです。その証拠に、先に上げた6年前のよく晴れた同じ時期の鎌沼を歩いた時の記録に、紅葉の写真というのは本当にごくわずかしか残ってはいないのです。強い光ゆえにかえって印象が乏しかったということです。
そういうわけで、霧の中の鎌沼もよかったのです。


下山のあとはレストハウスで昼食をとって(あたりは何も見えない濃霧だというのにたくさんのお客さん、みんな見事な紅葉に期待して来ていたのです)浄土平をあとにしました。

浄土平からスカイラインを南に進路をとって裏磐梯に抜ける途中、(通常で)30分ほど走ったあたりに磐梯吾妻を代表する秘湯群のひとつがあります。鷲倉温泉、野地温泉、新野地温泉、赤湯温泉がそれです。その中でも最も奥まったところに位置するのが赤湯温泉・好山荘。ここに立ち寄って山歩きの汗を流したいと思っていました。

温泉は予想通りの鄙びた(愛想のない老女、決して小奇麗とは言えない館内、それはいかにもつげ義春の漫画に出てきそうな)山の湯といった風情です(笑い)。泉質は赤湯の名の通り鉄分をたっぷり含んだ赤茶色の湯です。
こんな素朴な湯は久しぶりのこと、地元福島からのご老人と壮年の方とご一緒し、しばしこの秘湯のよさを話したものでした。温泉というのはこうでなくちゃ。

スカイラインから磐梯吾妻レークラインに入って、紅葉の名所たる中津川渓谷に行きました。
地元のひとがいうには紅葉は約1週間ほど遅れているのだそうで、この渓谷の紅葉もまだはじまったばかりのようでした。
しかしそれにしても渓谷の流れの美しさ、そして安山岩の柱状節理の美しさ。ゾクッとします。

渓谷のかたわらに、(お久しぶりです!)ダイモンジソウ(大文字草/ユキノシタ科ユキノシタ属)。
ひとつひとつの花の、花びらによる“大”の字がはっきりです。
これに対して同属の、“人”の字の形のジンジソウ(人字草)というのもあります。

今回の宿泊先は裏磐梯の曾原湖エリアのレイクウッドヴィレッジにある“ペンションとも”です。

ペンション村の共同駐車場にあったカツラ(桂/カツラ科カツラ属)の美しい紅葉。落葉は甘い香りがただようのだという。このカツラの葉はひとつひとつがハートの形をしています。
このカツラで思い出すのは、秋田は湯沢市高松地区に伝わるその利用法。
高松地区の高橋ヤスさん(78歳。2002年当時)はいう。「8月になればどごの家でもお盆の準備が始まった。1日は仏壇で使う抹香を作る日。カツラの木の葉っぱをむしって天気のいい日に干せば、一日でカラカラになる。それをウスでついて、ふるいにかける。こうして1年間使う量を一度に作ったものなよ。私の家でだば、今でも作っているよ」(『秋田 春夏秋冬 こぼれ話』小西一三・小西由紀子著、カッパプラン2008)。
カツラって、こういう使い方もあるんだ。

“ペンションとも”は想像していたのよりとてもすばらしいロケーション、ペンション前の小さな沼(“とも湖”というのだという)(笑い)にミズナラ(水楢/ブナ科コナラ属)の垂れかかる枝の葉々、対岸の淡く色づいた木々を映して反射する水面の微妙な色彩……、水のある風景っていいものです。こころを満たす風景とはこういうものをいうのです。

“とも湖”畔から見たペンション。

相棒はこれから桟橋を踏板にして跳んで、後ろに宙返って高飛び込みでもしそう(笑い)。

垂れかかる木の葉を映して水面は静か。

ターシャ=テューダーが舟をこいできそうな(笑い)、静かな湖面。

今は亡きあるじの部屋のドアにかけられているドアリラ。ドアを開けるたびに彼がいるかのように音がポロンポロンと響くというご家族のお話は作者冥利というものでした。
あるじ亡きあと、所望していたドアリラを求めにご家族でルーザの森においでになったのが今回の宿泊のご縁です。

(※このホームページのトップにある「ドアリラのある風景」に、設置していただいた例として、さっそくにもこの画像をアップしました。ご興味の向きはそちらもご覧ください)。

あるじの部屋には思い出の品々とともに遺影が飾られてあり、在りし日を偲んで筆者たちも線香をあげさせていただきました。
それにしても花を愛でながらの散歩を一度でもご一緒したかったなあ(約束したんだけどなあ)。楽しかったろうな。そしたら軽快な足取りで歩く間も、彼は筆者のたくさんの問いに間髪入れず的確に答えてくれたのだろう。その散歩が我がルーザの森なら、帰り着いて焚火をしながらのあーだこーだの(大きな風呂敷を拡げるかのような)花談義は刺激的だったろうな。ワインもぐんと進んだことだろう。
彼は選んで求めたこのペンションとこのロケーションをこころの底から愛した。そしてこの場所で闘病からの恢復を願った。けれども叶わずにこの早春に亡くなった……。
でもそれはある意味、とてもしあわせなことだったとも思えるのです。こんなに思い入れのある場所で最期を迎えられたのですから。これはまたとないことです。

それにしても人生は後悔の連続、またしても後悔がひとつです。
いかにしてそんな後悔を事前にいくらかでも減らしてゆけるのか、日々の暮しの意識ってこれに尽きると思うなあ、つくづく。

おいとまに際して、よくしていただいたスタッフのみなさんと。その下は8月に我がルーザの森においでの時のスナップ。


翌10日は、天候回復の期待に反して朝からザンザン降りの雨でした。
目的の第一であった銅沼へは裏磐梯スキー場の登山口まで行って歩くのを断念、近いうちのリベンジを期してあとは帰路に着きました。

下は裏磐梯から米沢へ抜ける山岳ルートの吾妻スカイバレー途中の、標高1,300メートルあたりのヤマウルシ(山漆/ウルシ科ウルシ属)の紅葉。
この世に漆のなかりせば、の世界です。

我がルーザの森の紅葉も遅れ気味だけど、11月はじめにはピークを迎えることでしょう。
十分に十分に紅葉を堪能したら、あとは気を引き締めて冬を迎えます。

それじゃあ、バイバイ!

 

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