山歩き

湿原に光あまねし

昨年秋から取り組んできた工房の増築が済み、ここしばらくは一時避難的にいろんな場所に保管し(散乱し)ていた用具と道具をどう工房に戻し、使い勝手よいようどう配置するか、そこに心奪われていました。
アルチザン(Artisan=フランス語で職人。あらまほしき姿として自分をこう呼んでいる)としては、用具・道具こそは何より大切。用具・道具をいつでも自由に使いこなすためには工房内のレイアウト、そして整理整頓がとにかく大事。筆者は、美しいものは美しい環境から生まれてくると思っているのです。
で、レイアウトや整理整頓もほぼ終了し、記念に鉛筆立てとメモ入れを作って区切りとした次第(笑い)。

その大きな節目として、梅雨の晴れ間をピンポイントでねらった7月13日、山に行くことにしました。
目的地は吾妻連峰縦走路のほぼ中間地点に位置する弥兵衛平湿原(標高1,810-30メートル)です。

弥兵衛平湿原へは1999年以来(最初は当時小学生の娘と相棒のヨーコさんと3人で行き、その時、山小屋というものにはじめて泊まりました。10月でした)もう何度も行っているのですが、だいたいが盛夏から晩秋にかけてのもの、この7月半ばははじめてのことなのです。
この時期の風景はどんなものだろう、道々どんな花が咲いているだろうと。
(このことは読書にも似ていますね。同じ本をまた別の機会に読めば、印象が異なる、感動の度合いが違うということはよくあること。同じところを、時期を違えてまた経めぐるというのはとても大切なことだと思っています)。

下は、天元台高原に行く途中にあったエゾアジサイ(蝦夷紫陽花/アジサイ科アジサイ属)。この青が何とも気持ちを鎮めるというか。

この日、始発8時20分のロープウェイに乗ったのは10人、新婚のようなご夫婦、60代後半と思しきご夫婦、40代後半と見える女性の友人同士、それから筆者をふくめての4人の、年齢もバラバラな男性のソロ。
筆者以外はいずれも遠方から、特に関東圏からといった感じでした。

ロープウェイにもcobit-19の影響は忍び寄っていて、上部の窓は開け放たれ、マスク着用の義務、会話は控えよということでした。
と、60代後半と思しきご夫婦の夫君がシャツやズボンのポケットをあちこち触りだし、リュックを下ろしては方々のチャックを開けるも、「あれ?あれ?あれ? ないや!」と言うのです。ついで、「仕方ないや!」と口をついた矢先、乗り合わせた若い男性が「よかったら、これどうぞ!」と新品の使い捨てマスクを差し出したのでした。
これにはご夫婦は恐縮のしきり、まわりのひと達もちょっとしたいい風景に立ち会ったというひとコマもあって。
青年よ、何気にやさしいなあ。

リフトには(ガスで煙って場所が分からず、「リフトってどこですかね」と)声をかけてきた男性とご一緒しました。
新潟は糸魚川からクルマで4時間をかけておいでだとのこと、百名山をめざして現在は54座目だということです。
自営業のため、休みは週1日しかなく常に日帰りだというのがちょっとねえ、とこぼしていました。
百名山は日帰りで済む山だけではないので、今後はたいへんなよう。

今回は登り始めこそは弱い雨でしたが、それ以降は予想通りの曇りの(時には晴れ間ものぞく絶好の)登山日和というものでした。
筆者の山行きには本当に天候が味方してくれます。このところの山行きの前後は決まって雨ですからね、今日も一日中雨だし。

歩いて20分ほどでもう稜線上のかもしか展望台に出るのですが、それまでの道々にはたくさんのモミジカラマツ(紅葉落葉松草/キンポウゲ科モミジカラマツ属)が。
白い花がカラマツの葉に似ていることからの名です。で、この白い花、これは花弁ではなく、雄しべの集まりなんだそうで。

かもしか展望台からほどなく、ガスの中の人形石(1,964メートル)へ。
ここは、吾妻連峰にあって梵天岩(1,999メートル)、天狗岩(2,005メートル)と並び称される美しい岩海です。
ここから縦走路を東へと向かいます。

リフトトップの北望台で降りた初陣の10人中、西吾妻山に向かったのは9人、弥兵衛平湿原行きは筆者ひとりでした。
他所から来るひとは百名山の西吾妻山(2,035メートル)にばかり目がいくようで、弥兵衛平湿原がどんなところなのか知らないのだと思います。残念でもあり、実にもったいないことでもあります。

東方に伸びる縦走路。

藤十郎(1,860メートル)を越えたあたりに、秘湯中の秘湯ともいうべき大平(おおだいら)温泉に通じる分岐に出ます。筆者はさらに東方へ。

道々の花の美しいこと。
ミヤマリンドウ(深山竜胆/リンドウ科リンドウ属)の青い星々がところどころに咲いていて目を楽しませてくれます。
ミヤマリンドウとよく似ているものにタテヤマリンドウ(立山竜胆)があるけど、タテヤマリンドウの場合はラッパの喉部に濃い紫の斑点があるので区別できます。
それからこれらのリンドウ類で岳人のあこがれの頂点は何といっても飯豊連峰の固有種のイイデリンドウ(飯豊竜胆)でしょう。ミヤマリンドウとタテヤマリンドウが5裂した花冠の間に副片があるのに対して、イイデリンドウのそれがほとんど目立たない、本当に美しい5̚稜の星なのです。
この花を見るためならと、岳人は高峰をめざすわけです。

イワイチョウ(岩銀杏/ミツガシワ科イワイチョウ属)。
お花畑はもちろんのこと、今が盛りと稜線上にもたくさん咲いています。

イワオトギリ(岩弟切/オトギリソウ科オトギリソウ属)。
咲きはじめの頃の蕾がこんなに赤味を帯びているなんて、発見でした。
イワオトギリは里のオトギリソウ(弟切草)の高山型ですね。

 

アカモノ(赤物、別名イワハゼ=岩黄櫨/ツツジ科シラタマノキ属)がそちこちに。

チングルマ(稚児車/バラ科ダイコンソウ属)は花期の終わり。
果実がこんな毛姿に変身するなんて、今さらながらびっくりです。大群落の冠毛の様子は圧巻の風景です。

アオノツガザクラ(青栂桜/ツツジ科ツガザクラ属)もところどころに。いかにも高山植物然として。

ガクウラジオヨウラク(萼裏白瓔珞/ツツジ科ウラジロヨウラク属)が濡れてしっとり。

サラサドウダン(更紗灯台、更紗満天星/ツツジ科ドウダンツツジ属)。
更紗はインド起源の文様染めのよう、灯台は洋上を照らすものではなく枝分かれしている様子が三本足の灯明台に似ていることにちなむとのこと、よい名前をつけたものです。
野生で見るサラサドウダンは気品の格が違いますね。気品の中にたくましさもあって。

コケモモ(苔桃/ツツジ科スノキ属)。

ちょっと横道に逸れるけれども……、この植物にことさらの興味を覚えるのはジャムや果実酒がおいしい材料というのが第一だけど(笑い)、アメリカの思想家エマソン(Emerson 1803-82)が筆者の特別の愛読書『森の生活』の著者ヘンリー=デイヴィッド=ソロー(Henry David Thoreau 1817-62)が若くして亡くなり、教会で追悼演説をした際に、こう述べたことからです。
「(ソローは)アメリカ全体のためにひと働きできる立派な能力をそなえながら、実際にはこけもも摘みの隊長で終わってしまった」と(『エマソン論文集(下)』酒本雅之訳、岩波文庫1973)。数人を引き連れたコケモモ摘みを引き合いに能力にそぐわない位置しか得なかったこと、そしてその死の早きを嘆いたのです。
でも筆者がソローに惹かれるのは、つまるところ、人生、功成り遂げるという姿勢ではなく、あくまでもただ自分に正直に理想を追い求めて生きたということなのです。

ソローの名言のひとつにこうあります。
「もし昼と夜とが歓びをもって迎えられるようなものであり、生活が花や匂いのよい草のように香りをはなち、より弾みがあり、より星のごとく、より不朽なものであったら……それが君の成功なのだ」(岩波文庫による『森の生活』は飯田実訳が読みやすいが、この部分は同じ文庫でも神吉三郎訳で親しんでいる)。これがソローを語って端的ですね。
その清澄な思想が後世にどれほどの影響を及ぼし、……絵本作家でガーデナーのターシャ=テューダー(Tasha Tudor 1915-2008)にとっても最大のリスペクトの対象でしたね…、今に生き続けているのかは周知のとおりです。たぶんソローは、今後ますます脚光を浴びていく思想家でしょうね。
今でなら、cobit-19であたふたする人びとを嗤っているんじゃないかな。井戸のような深いところの思想で達観するひとなので。

ソローは、“こけもも摘みの隊長”でしかなかったからよかったのです。そんな意味を含んだコケモモです。


歩きはじめて約2時間、ようやく東大巓(1,928メートル)の近く、湿原への分岐まで来ました。
右に行けば一切経山、浄土平への道です。

弥兵衛平小屋(旧名月荘)へいざなう看板。

道々、コバイケイソウ(小梅蕙草/ユリ科シュロソウ属)の花が。

今まであまり意識することはなかったのだけれど、高山植物にはなくてはならないコバイケイソウ、この花は数年に一度しか開花しないのだとか。
そういえば、昨年のこの時期に登った栗駒山には葉茎の姿いくつもあれどほとんど花は見なかったし、2010年の会津駒ケ岳のそれも貧弱でした。
でも、数年に一度の開花ってどんな戦略なんだろう。
下は、群落の中にわずかに咲くコバイケイソウ。

下の写真はあまりはっきりしないけど、3つのまったく種を異にする白い花たちの競演です。いずれもめずらしい花ではないけれど、3つが一緒のステージにいるのはまれです。
その3つは下に、ポシャポシャとした花のマイヅルソウ(舞鶴草/キジカクシ科マイヅルソウ属)、中央に多くを占める、やがて赤い実をつけるゴゼンタチバナ(御前橘/ミズキ科ミズキ属)、そして上部に星のとんがりのようなツマトリソウ(褄取草/サクラソウ科ツマトリソウ属)です。
みんな楚々としています。

で、この7月半ば少し前の弥兵衛平湿原までの道のりでやはりこの時期ははじめてと思い知ったのは、美しく咲き競うシャクナゲを見てのことでした。もちろんシャクナゲは西吾妻の記念バッヂにもあしらわれているほどですから、そこかしこで見かけてはいたのです。でも今回ほどの見ごろに遭遇したのははじめてです。

本当をいうと、この弥兵衛平湿原への山行きは7月1日に計画していたのです。ところが、その朝ロープウェイの山麓駅に着いてはじめて、その日が年に何回もない“休業日”であることを知って計画はとん挫(我ながら間抜けでした)、で今回のものとなったわけですが、皮肉にもこれがよかったのです。1日ならこんな光景は決して見られなかった。

下のいずれもがそれこそ石楠花色のハクサンシャクナゲ(白山石楠花/ツツジ科ツツジ属)。
シャクナゲとして吾妻連峰には他に、アズマシャクナゲ(東石楠花)とネモトシャクナゲ(根本石楠花)があるということですが、葉はいずれも無毛(アズマシャクナゲの葉裏は綿状の毛が密集)、花は一重ばかり(ネモトシャクナゲの花は八重)だったので、筆者が確認したものはまずハクサンシャクナゲだったと思います。
それにしても人形石より先、弥兵衛平湿原に至るまでの約5キロにも及ぶ道がシャクナゲで彩られているとは感激です。弥兵衛平湿原への道はさながら、“シャクナゲの道”なのです。

尾瀬を歌った江間章子(1913-2005)の「夏の思い出」にある“石楠花色にたそがれる”という詩句の世界はいいなあ。
石楠花色にたそがれる夕空のかそけきや。

分岐より約25分も歩けば、ほどなく湿原の入り口弥兵衛平小屋に着きます。(去年から感じていたことですが、分岐から小屋までの木道は経年劣化でとても滑りやすくなっているので通行注意です!)。

9時10分に歩きはじめて、ほとんど休憩らしい休憩を取らずに小屋に着いたのは11時25分でした。地図による標準コースタイムで2時間30分ですから、まあ快調なペースでしたかね。
小屋でひと休み。

湿原に出て今回はじめて目にしたのがツルコケモモ(蔓苔桃/ツツジ科スノキ属)です。
今までこの植物に気がつかなかったのは、すでに花期を過ぎていたからだと思います。
花後は名のごとくにコケモモのような真っ赤な実をつけるようで、これがいわゆる“クランベリー”とはつゆ知りませんでした。
ツルコケモモこそは高層湿原の華なのですね。

そしてハナゴケ(花苔/ハナゴケ科ハナゴケ属)も。
よくよく見ると先端がトナカイの角のようで。しかもこの植物はトナカイの重要な食糧のひとつとのこと(ラップランドにも繁殖しているということだね)、ゆえに別名に“トナカイゴケ”とも呼ばれているようです。
でも標高1,800メートルの高山のしかも高層湿原に育っている貴重なハナゴケですが、実は標高が350メートルばかりの我がルーザの森にもあるのです(笑い)。

そして、高層湿原。どこまでも続いている広い湿原。

ここで弥兵衛平湿原について少々説明しておきます。
(以下は昨年2019年8月に綴った内容に少々手を加えたものの再録です)。

俗にいう吾妻連峰というのは西吾妻山(2,035メートル)を盟主とする西吾妻火山群と一切経山(1,949メートル)を主とする東吾妻火山群とに分かれています。西吾妻はとても古い火山群でまわりはオオシラビソ(大白檜曽。別名アオモリトドマツ=青森椴松/マツ科モミ属)でおおわれているのに対し、東吾妻は今なお水蒸気と噴煙上げる新しい火山で(たびたびの噴火情報はここですね)一切経山は砂礫岩礫でおおわれていて植物の侵入ままならないところです。おおざっぱに言って、弥兵衛平湿原はその中間地点にあります。

ここでちょっとややこしいけれども、同じ高層湿原ながら、“弥兵衛平”と“弥兵衛平湿原”というのは場所が違います。ほぼ中間地点の尾根上に広がるのが弥兵衛平、そこから東に進んで東大巓(1,928メートル)より北に広がる明星湖を抱く湿原を弥兵衛平湿原と言うのです。人によってはこれを区別するために、弥兵衛平湿原を“明星湖湿原”と呼ぶということです。

この弥兵衛平湿原(弥兵衛平と合わせて)は面積にしておよそ56ヘクタールで、東日本有数の高層湿原です。同じ高層湿原として有名なところでは、月山・弥陀ヶ原(60ヘクタール)がありますが、雄国沼湿原と尾瀬ヶ原は面積こそ45ヘクタールと232ヘクタールと広大ながらここは高層、中間、低層入り混じっている湿原とのことです。(八幡平も八幡沼中心に高層湿原が広がっていますが、規模が把握できません)。
弥兵衛平湿原はそれだけ貴重な場所なのです。

ここまで何気に“高層湿原”という言葉を使ったけれど、湿原の“層”(高層、中間、低層)というのは標高についていうのではなく、層の盛り上がり方を指すとのこと。
高層湿原とは、枯死した植物が腐らずに残って泥炭と化しそれが堆積し中央部が高くなっていく状態で、水の供給は雨水だけの貧栄養状態の場所なのだそうです。
(高層湿原に対して低層湿原というのは、泥炭表面が低く、周囲の水域と同程度の高さの湿原をさすとのことです。以上からして中間湿原とは、泥炭表面がすこしばかり盛り上がり、水の供給は直下の水域と雨水などの通水の両方と理解すればよいのでしょう)。

枯死した植物が腐らずに残って泥炭として堆積するわけですから標高の高いところでなければそれはありえないことです。しかも堆積は1年で1ミリに満たないもので、それがいったん切られたり崩されたりしたらそこから乾燥がはじまってどんどん浸食され取り返しのつかないことになる、非常に繊細な環境ということです。

縦走路は高層湿原を切り裂いていて、かつての木道の整備が不十分だったところは裸地があらわになっています。そこをボランティのア方々が知恵と労力を駆使して植生の回復活動を行っています。感謝に堪えないことです。

今回の山旅で感動したことはたくさんあったけど、その最大は弥兵衛平湿原はこの時期、一面にワタスゲにおおわれているということでした。
ワタスゲ(綿菅)は、カヤツリグサ科ワタスゲ属の多年草。
花期は5―6月で、白い綿をつける果期は6―8月、今はちょうど白い綿帽子の見ごろだというわけです。
(花は、カンスゲ=寒菅やオクノカンスゲ=奥寒菅にとても似て細い筆のよう、先に黄色な毛がぽしゃぽしゃとしたような地味なものです)。

ワタスゲで思い出に残るのは、2001年に福島県は奥会津の桧枝岐村御池(ひのえまたむらみいけ)から家族で尾瀬ヶ原をめざして通った燧裏林道(ひうちうらりんどう)です。あの時はキンコウカ(金光花)の黄色とともにワタスゲが一面だった記憶があります。
あの夏は異様な暑さの連続で、本当は見ごろを迎えるはずだった大江湿原のニッコウキスゲ(日光黄菅)がほぼ終わっていたのは残念だったなあ(本当は、相棒と子どもたちにニッコウキスゲの大群落を見せたくて計画した山旅だったのだけれど)。

いたるところに点在する大小の池塘。日も差してきて。

湿原の北端に控える明星湖。ここもやがてシャクナゲの花におおわれることでしょう。

グラフィックデザイナー、カッサンドル(Adolphe Mouron Cassandre  仏1901-68)の名ポスターを思わせる、どこまでも続く木道。

こんな雄大な景色の中に、筆者がそれこそひとり。

流れゆく雲がはやいです。

静謐です。

平和です。

穏やかです。

美しいです。
そう、こういう風景を見るためにここまで歩いてきたのです。

山をこよなく愛した結城哀草果(ゆうきあいそうか。1893-1974)の歌にこうあります。

ワタスゲの冠毛が飛び来て水に浮き湿原に梅雨ばれの光あまねし (歌集『おきなぐさ』豊文社1960より)

湿原に梅雨ばれの光あまねし! 光あまねし!
来年は、さらにもっと早い時期に会いに行きたいな。

それじゃあ、バイバイ!

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