山歩き

最後の雄国沼

7月に入って3日、裏磐梯の景勝地のひとつ雄国沼(おぐにぬま)を相棒のヨーコさんと訪ねました。

(檜原湖南端に近い雄子沢登山口に)下山後にタクシーを利用して入山口の八方台(はっぽうだい。磐梯山への登山口でもある)まで戻ったのですが、運転手がぼやくのです。
「外出自粛要請が出て以来、駅(猪苗代駅。JR磐越西線)に客が降りないんだよね。だいたい列車にひとが乗ってない。営業は散々だった。これからどうなんだろう、“密”になるからと列車には今後もあまり乗らないんじゃないか。そうするとタクシーへの影響はもろだ」。

下山後の宿で一緒になったお客さんに何気に話しかけたのです。(クルマの“足立”ナンバーを見て)「東京からおいでですか」と。そしたら返ってきた答えは何と、「スミマセンでした」でした。しかも夫婦が口をそろえて。
筆者にしたら泊り客は30代と思しきご夫婦と当方ふたりだけのようで知らんぷりもなんだなと思ってのこと、移動の自粛要請も解けてようやく遠出も可能になったのだな、うれしいだろうなと思ったのです。そして続けざまに言うには、「また感染者をたくさん出しちゃって、申し訳ないです。今日はよろしくお願いします」と。
これには正直参りました。親しさのあいさつが、ウイルスを持ってきているかも知れないという申し訳なさにつながるとは。筆者が迷惑そうな貌をしていたのでもあるまいに。でもしかし、それにしてもこの刷り込まれようは何なのだろう。
東京サンよ、自分がしっかり判断して、それでなら負い目なんかないんだ、負い目なんか持ってはいけない!

世界中に死者の累々、志半ばで倒れた人のあまた、重篤の状態にあるひと今も数知れず……。cobid-19の脅威は世界各地で依然として続いています。厄害が強調され、実際それは未曽有の規模であるのは確かなこと。
でもそれを承知の上で申せば、cobid-19は都会に美しい空をもたらしたのだとか、星もよく見えるようになったのだとか。エビデンスがいまいちだけど、NASA発表によれば今年の3月以降の地球の大気汚染の状態は過去5年の比較で約30パーセントも減少したのだとか、何と北極のオゾンホールが閉じはじめているようだとか。
つまり、日本を含め世界中で移動制限や都市封鎖によって短期間ながら経済活動が止まり、それによって自然が元の姿を取り戻しつつあるというのです。それは、ひとがつつましやかな暮らしを標榜しさえすれば、自然は心からの笑みをこぼすものだということを図らずも証明してくれたとも言えるわけで。

そして希望は、磐梯朝日国立公園は裏磐梯の景勝地・雄国沼(おぐにぬま。標高1,090メートル)登山にももたらされることとなりました。
新型コロナウイルス感染防止のために自治体は今年度のシャトルバスの運行を中止とし、マイカー規制は従来通り、さらには雄国沼に通じる3つの登山ルートも閉鎖したのでした。しかし全国的な移動自粛解除にともなって、登山道だけは閉鎖が解かれたのです。
ということはです、荷を背負い(といっても昼食と飲み物ぐらいだけど)、もっとも短いルートをとってさえ90分の登山をしなければ、雄国沼にたどり着けないというわけです。これは山登りをする者にしたら、明らかに希望、福音というものです。

蔵王のお釜がそうだけど、例えばソフトクリームなどを口にしながら軽装にサンダル履きのいで立ちで神秘的な風景を収めようとする輩はいるもの(当然でしょう、やすやすと移動できるリフトがあるわけで。当然でしょう、目の前に駐車場が整備されているわけで)。一方登山者は淡く風景にあこがれて汗だくで登った末に目にしたいと願うもの。このふたつは水と油のように、溶解したりはしない。

雄国沼ならニッコウキスゲの美しい風景を思いながら、足を一歩一歩と進め、疲れては休憩しのどを潤し、そうしてようやく沼にたどり着くことのまっとうな行動。そういうひとにだけ微笑む風景があるというのは、やはりうれしいことなのです。
でも登山者だけに愛される雄国沼はこの夏が最後でしょう。それはcobid-19がもたらしたもう2度とないかも知れない希なプレゼントとも言えるから。
来年ともなれば(感染状況が引き続いて厳しい場合は別ですが)シャトルバスがまた復活して安易な客人がどっと押し寄せ、湿原に続く木道は蟻の行列になるでしょうから。
よって今季は、何が何でも行かなくちゃ。というわけでの雄国沼行きだったのです。

雄国沼行きの計画のために、筆者は約1か月前から長期の天気予報とにらめっこ。そして、選んだ7月3日は雨が一粒も落ちない梅雨の晴れ間とあいなったのでした。
晴れ男の本領発揮、とてもラッキーでもありました。


米沢の自宅を出発したのは朝の5時ちょうど。
白布高湯を通り西吾妻スカイバレーに入り、白布峠を越えれば檜原湖が見えてきます。
峠を越え東鉢山の七曲りを過ぎたあたりで出会った、赤が差しためずらしいマタタビ(木天蓼/マタタビ科マタタビ属)。

檜原湖のほとり、早稲沢(わせざわ)で見つけた野生化したジギタリス(オオバコ科キツネノテブクロ属)。
この花をはじめて見たのはもう3年ほど前の福島県南会津は柳津(やないづ)の山の湯、西山温泉でのこと。この奇妙な植物はいったい何というものだろうとずいぶん調べたものです。
もしやと思って2015年の北海道旅行で立ち寄った旭川の上野ファーム(イングリッシュガーデン)を思い出し、そこに植えられていたかも知れないと思って資料を当たったらありました、ありました。そこでようやく、“ジギタリス”という名にたどりついたのでした。
自分で名づけたものか言い伝えなのか、温泉宿の婆やはこのジギタリスを、“ちょうちんばな”と呼んでいました。可愛いです(笑い)。
調べればこのジギタリス、全草に猛毒があって栽培する際には注意が必要とのこと。
ジギタリス中毒とも呼ばれる副作用として、不整脈や動悸などの循環器症状、嘔気・嘔吐などの消化器症状、頭痛・めまいなどの神経症状、視野が黄色く映る症状(黄視症)もあるとのことです。

登山口の八方台に着いたのは予定通りの6時40分ころ、家から55キロ。クルマで約100分を見ればよいわけで、近いですよね、こんないいところが。

前回2018年の雄国沼行きはもっとも手軽な雄子沢(おしざわ)コースの往復だったのですが、今回は少し欲も出て登山も満喫したいとの思いから、猫魔ケ岳を通る(最も長い)ルートを選択しました。といっても雄国沼までは約2時間30分ほどの行程ですけどね。しかも標高は八方台口が1,194メートル、猫魔ケ岳が1,403メートル、沼が1,000ちょっとですからわずかな高低差、ほとんど平坦と言ってもよいくらいのものですが(笑い)。

雄国沼は、今から132年前の1888年の7月15日に起きたという磐梯山の大噴火とは別に、そのはるか昔の約50万年前の古猫魔火山の爆発で爆裂カルデラが生じ、その後の火山活動で窪地になって水が溜まってできたものとのこと。けれどもそこに至る登山道は磐梯山の爆発の影響もろにありや、若々しい青年のようなブナ林が続くのです。その証拠にブナの大木の屹立(きつりつ)はなし、力尽きて横たわるブナもなし、実に初々しくも新しい森なのです。
(裏磐梯そのものが非常に若い森ですよね。裏磐梯の明るさは、ここからもたらされているのだと思います)。
朝日連峰の麓のようなブナの荘厳な道もいいけれど、雄国沼に通じる明るく若々しい道もよい。

強風で落ちたと思われる、ブナの実が登山道に。
見るからに今年は、ブナの実付きが思わしくないのでは。
秋にクマはきっと困惑することだろう、何せクマにとってブナの実は、ひとにとっての米や麦にも相当する主食ですからね。

猫魔ケ岳山頂付近に咲いていたガクウラジロヨウラク(萼裏白瓔珞/ツツジ科ウラジロヨウラク属)。
これは我がルーザの森にもあるけれども、ここのはピンクが強いです。

ハクサンシャクナゲ(白山石楠花/ツツジ科ツツジ属シャクナゲ亜属)。
猫魔ケ岳の山頂手前でちらほらと。花びらが登山道に落ちてもいたけれども蕾もまだたくさんあったし、今が花の盛りかも知れません。

アカミゴケ(赤実苔/ハナゴケ科ハナゴケ属)を発見。
吾妻の縦走路途中の藤十郎あたりでも会ったことがあったなあ。

ギンリョウソウ(銀竜草/ツツジ科ギンリョウソウ属)が道々にたくさん。
ギンリョウソウは腐生植物として最も有名なものです。色素がなくて、それを気味悪がって、幽霊草とか幽霊茸とか呼んでいる地方もあるようで。
この“銀の竜”という命名はいいですね、言い得て妙です。

猫魔の山頂(1,403メートル)にて。
本当はここは眺望があって、磐梯山や遠くは飯豊連峰が見えるのだそうだけれど、ガスがかかっていて残念。ガスが去ったのは沼が見えた頃でして。
猫魔を過ぎればブナは矮小化してきました。

山頂より20分ほど進むと現れる猫石。
猫魔の名のもとになったと思われるけど、どこからどう見れば猫に見えるんだろう(笑い)。
お釈迦様が眠りこけているの図?(笑い) テディベアもおねんね?(笑い) くまのプーさんはハチミツに夢中?(笑い)

小さな沢を3本ほど渡ってようやくのこと、沼に出ました。
道々湖沼の水面を眺めると、遠くに黄色の帯が! そう、ニッコウキスゲの大群落です。

ほどなくして無人の避難小屋の雄国沼休憩舎に出ました。志を同じくする登山者が20人ほども。

何と、休憩舎の前に、牛が化石した(冗談)“ベゴ石”があるではありませんか。前回は印象になかったなあ。
しかしそれにしても、見事なお休み中のモウモウさん(笑い)。

休憩舎で少し休んで(ここのトイレは有料です。屎尿はすべて汲み取って処理場に運び出しているのです。環境保全のために有料は当然です)、ここから沼まで約20分ほどの歩きです。
途中、ヤマモミジ(山紅葉/ムクロジ科カエデ属)のめずらしく赤い翼果(よくか)が目を引きました。

やがてめあてのニッコウキスゲが現れて。

ほどなく、雄国沼湿原に到着です。
通りがかりの巡回監視員の方にシャッターを切っていただきました。

湿原には、(下草ではっきりしませんが)高山植物がちらほら。
下はサワラン(沢蘭/ラン科サワラン属)の美しい彩り。

トキソウ(朱鷺草/ラン科トキソウ属)もたくさん咲いていました。

ヒオウギアヤメ(檜扇菖蒲/アヤメ科アヤメ属)もそちこちで。

そして、ニッコウキスゲの大群落。その規模は、有名な尾瀬の大江湿原にもまさるとも劣らないほどです。この雄国沼もまたすばらしい。

これまでニッコウキスゲ、ニッコウキスゲと言ってきたけど、野生の花に興味を覚えて図鑑をめくっている頃、どうもこの“ニッコウキスゲ”が出てこなかった記憶があります。こんな思いをしたひともいるのでは。
それもそのはず、“ニッコウキスゲ”は、いわゆる標準和名ではないから。別名として与えられ、けれども本家よりも有名になった植物の代表のようなものなのです。
強いて例えるなら、レコードのB面に入れて売れに売れた、ガロの“学生街の喫茶店”のようです(いかにも年齢が分かるね)(笑い)。“松田聖子”が芸名なら“蒲池法子(かまちのりこ)”が出生名という関係(笑い)、“ニッコウキスゲ”は芸名で、本名は“ゼンテイカ”なのです。

ゼンテイカ(禅庭花)はススキノキ科ワスレグサ属。本州東日本に分布があるようです。
その兄弟関係にあるのが背丈が少し大きく約100センチほどのトビシマカンゾウ(飛島萱草)、北海道に分布を持つ、花柄(軸)がほとんどないエゾゼンテイカ(蝦夷禅庭花)です。
筆者らにとっては、佐渡の北端の大野亀のトビシマカンゾウの大群落も忘れ得ぬ風景です。

ニッコウキスゲ/日光黄菅の日光は、そこが群生地のひとつとして有名だったことからの名です。
ニッコウキスゲはその日にひとつ咲いてはすぼみ、翌朝また別の花をつけてはその日の夕にはしぼむという、いわゆる“一日花”です。これは昆虫などに送粉してもらうチャンスを最大化するための戦略と考えられているそうです。

あまりイメージはないけど、ニッコウキスゲは山菜でもあります。仲間のヤブカンゾウ/藪萱草、ノカンゾウ/野萱草が山菜であるように。若芽はおひたしやてんぷらに。花を中華料理の具材にサラダにと。でも、考えないでもいいことだね(笑い)。

行き交うひとはみんなみんなリュックを背負って、しっかりとした靴を履いて。

いやあ、来てよかった。
大げさに言うと筆者は、人生って、美しい風景を見るためにあるとさえ思うのですよ。美しい風景を手に入れたいのなら、怠慢はいけないと。怠りを覚えたら、たぶん風景から美しさは逃げていく、美しい風景へのあこがれを失ったら、人生それでおしまいという気がするのです。だから、歩く。
歩けなくなったら? 歩けなくなったら杖をついてでも、腹ばいででも、舌なめずりしてでも、進む(笑い)!

休憩舎で昼食にコンパクトバーナーで湯を沸かしてカップ麺を作って食べました。これが格別にうまいのです。山で食べるものは何でも本当にうまい。集うみなさんはおにぎりやサンドウィッチの持参だったり、筆者たちのようにバーナー使いもちらほら。レトルトのカレーを温めてカレーライスを食べていたひともいたようで。
そして、下山にかかったのは11時40分。予定通りの出発です(何ごと、他の登山者より30分程度早めの行動はいろんな意味で有効です)。

下山の途中に70代半ばと思われる男性と60代後半と目される女性のふたり(たぶんご夫婦)とすれ違い、女性が我々を見て言うのです。「まあ、夫婦して風情ある恰好ですこと」と。エッ?、でも山登りなら普通の当然の恰好でしょうに。
見れば、男性は革靴に白い背広姿、女性ときたらそのまま銀座を歩いてさえも違和感のないようないで立ちでした。これから沼まで70分はかかりそう、だんだんとぬかるみの泥の道、大丈夫だったのかなあ、何か大きな勘違いをしている気がするなあ(笑い)。

下山の雄子沢の道には、咲きそめのエゾアジサイ(蝦夷紫陽花/アジサイ科アジサイ属)が。
筆者が見る野生のアジサイはこのエゾアジサイにガク(額=ガクアジサイ)、それにタマアジサイ(玉紫陽花)ぐらいのもの。園芸種のアジサイは大振りで華やかだけど、筆者は楚々とした野生の方が好きです。

下は、下山後に景勝地の一つ中津川溪谷への途中で出会ったガク。帰途、檜原湖の北端の早稲沢で出会ったガク、白布峠を越えてのガク。
いずれも彩りがしっとりとして美しいです。梅雨時のアジサイはいいものですね。

せっかくの裏磐梯、下山のあとに磐梯吾妻レークラインを通って中津川溪谷に立ち寄りました。
中津川溪谷は流れによって削られた安山岩の柱状節理の明るい灰色の美しいものでした。若葉や紅葉の季節なら、どれほどの美しさを見せてくれることか。

宿は剣ケ峰の、ペンション ヴァン ブランにお世話になりました。
夕食はお腹と心をも満たすコースディナー、写真はその一品の“鮭のムニエル会津味噌合わせソースがけ”です。
ご主人セレクトの赤ワインで、美しい雄国沼と裏磐梯に乾杯。

実はペンションの玄関には、筆者が営むルーザの森クラフトの製品、“ドアリラ”が取りつけられています。経営のご夫妻がわざわざ工房にお越しになって、求めていただいたのです。
製品がこうして新しい場所で役目を持ってくれることは製作者冥利に尽きるというもので。

いやあ、ぜいたくな時間でした。
エネルギー満タン、さあて、はりきって工房新スペースのレイアウトに精力を注がねば。

それじゃあ、バイバイ!