森の生活

嗚呼、弥生3月

本日は3月4日(2020年)、あたりはまるで春の様相です。雪がないのです。驚きです。
これが雪国でなければ別段何でもないことでしょうが、こちら雪国のいつもの3月の風景と現在とを比べればわれわれの驚嘆は理解してもらえるものと思います。

下は、2018年3月3日のもの。主屋の2階から見た外の景色、左手にヒュッテ(兼工房)。

下は、同アングルの現在。3月3日。

下は、2014年3月9日のもの。道路から見て正面に主屋、右に工房(兼ヒュッテ)。

下は、同アングルの現在。3月3日。(工房の壁の覆いのブルーシートは、増築のために外壁の板を取り去っているためのもの)。

本来なら、今頃の時期に楽しみなのは“堅雪渡り”。
この頃の雪というのは普通、日中の穏やかな春の日差しに表面の雪が解けて夜間の冷気で凍り、さらに雪が圧縮されてずんずんと嵩を減らしはじめるのですが、それは雪が堅くなることを意味します。こうなるとこっちのもの、午前の早い時間なら長靴だけでもOKですが、そこは用心してスノーシューをつけて歩けばもはや縦横無尽、野原や林の中もあるいは氷の張る沼の上でも関係なしに歩けるのです。
これをずーっと待っていたのですが、今年は雪がないのですから叶いません。とても残念です。

下は昨年の2月末のもの。この頃になると、野鳥の声が林に響きます。

今年、冬らしい景色といったら、2月6日から7日にかけて雪が約40センチほど降ったぐらいのもの(この時に久方ぶりの除雪車が来たのだっけ)。筆者などは、雪の景色が妙になつかしくなって、カメラを持ってあたりを撮り続けたのでした。
下3枚はその時の画像、2月7日撮影。

額に入れて飾っている上の塑像ポスターは、いわずと知れた佐藤忠良(1912-2011)の作品、「ブラウス 1993」(クレジットには、村井修撮影、日立東北ソフトウェア株式会社製作1999、とあり。新聞広告による応募で当選したもの。B1判)。
この作品「ブラウス」は筆者のお気に入り、忠良の造形への美意識が香気のように立ち上っているようです。
モデルは、忠良が教授を務めた東京造形大学の第一期生にして彫刻家の笹戸千鶴子さんです。忠良の名作っていろいろあるけれど、やはり笹戸さんのものがいい。忠良は笹戸さんのことを、親しみを込めて、“チコ”、“チコちゃん”と呼んでいたとか。
その額装の「ブラウス」に、青空に生える雪化粧した外のコナラの木立が映った。いかにも早春の景です。

先のsignalで、宮城県美術館に行ってきたことを記したけれど、当然ながら、併設の佐藤忠良ギャラリーにも寄ってきました。いつもながらですが、うっとりしてきました。


弥生3月、とんでもない弥生3月となっていますね。嗚呼、です。

消費税増税で消費が一気に冷え込み(1700年創業という老舗デパートの山形大沼はとうとう破産してしまった)、輪をかけて異様な気象、極端な暖冬です(雪あっての商売をしているひとたちはたいへんでした。お気の毒です、ご同情を申し上げるしかありません)。
そしてこの1か月強というもの、毎日毎日、新型コロナウイルスの騒ぎです。

新型コロナウイルスへの政府の初動対応への批判が日に日に高まってきつつあった2月27日、安倍晋三総理は唐突に「全国一斉休校」を要請をしたのでした。海に浮かぶ小さな島も、町に遠い閑散とした山の村も一律一斉だなんて、あり得ないことです(まず、子どもたちがかわいそう。教員もいい被害者だ。影響を受ける労働者も、老若男女みんなみんな)。一体、何を考えているんだ!
様々に悪政の免疫も付いて少々のことでは驚かない筆者も、これには思わずのけぞってしまいました。アラカワシズカさんならぬ、カメイシズカさんがするかのようなイナバウワー(笑い)。

刻に伝えられるところでは、その要請判断は感染症や防疫の専門家に相談したのではなく、側近の躊躇も意に介さずに独りで直情的に行った模様。
仮に、感染が拡大して切迫した状況になり、国民に向かって要請をしなければならないことになったとして、その判断の根拠としてはまずは専門家の意見をしっかり聴くものでしょう。そして要請をする場合の影響の手当てや補償の段取りをできる限り整えて、その上で行うのが常識というものでしょう。
これは、前代未聞のあきれたパフォーマンスだと思います。自分に矢が降りかかる矛先を変えるために、子どもを含めたすべての国民を巻き込み、利用し、犠牲にしてやってしまった。実に愚かなことです。

これから予測されるのは、“新型コロナ恐慌”(筆者の造語。先の造語がよからぬ社会的影響が出てきたため改めます3.11)ともいうべき事態でしょう。生活への影響は底知れず拡大するだろうと思います。ヒトやモノが動かないのだから、それはもはや自明のことです。

見通せない不安だけが霧のように広がって、人心もだいぶ乱れだしてきた様相です。そうした時に、冷静さを保つことができるのかどうか。ひとりひとりが試されています。
それにしても、早く収束(終息)してほしい。

我が家の素朴なお雛様は、およそここ30年は変わることはありません。
普段なら3月3日を最後として仕舞ってしまうのだけれど、(世の中あまりに明るさを失いかけていて)今年はもう少し飾ろうと相棒とも話したのです。
この、知人にいただいた、福島は三春(郡山)のデコ屋敷の張り子の雛はいい。前に控える、会津の起き上がり小法師がいい。泥酔してふらふらになっても笑っている(?)小法師君がまた、いい(笑い)。

それから、1年中変わらぬ我が家の朝のコーヒータイム。
このコーヒーメーカーは、イタリアの家庭ならどこにもあるというマキネッタ(macchinetta)というものです。モカ(moka express)とも。使い古しながら(1975年という刻印あり)知人にいただいてからというもの、もうとりこになってしまいました。
コーヒーといえばそれまではドリップ式で湯で抽出していたのですが、直火で熱して蒸したのちに抽出するこのマキネッタなら豆に含まれる脂分さえも引き出してまるでコクがちがうのです。豆から挽かなくとも粉で十分、豊かな香りが朝のリビングに広がります。
(カップは会津三島の工人まつりで買った益子、器具の乾燥ざるはやはり工人まつりでの雄国沼(おぐにぬま)ネマガリダケ細工)。
そんな、早春の朝でもある。

さあて、ぽかぽかの春を迎える準備にかからなくちゃ! 希望をいっぱい集めなきゃ!