山歩き

紅葉の道、滑川温泉まで

この10月27日より29日にかけて、吾妻連峰を縦走してきました。天元台のリフトトップの北望台(標高1,810メートル)より登って弥兵衛平湿原(1,831メートル)へ、それより滑川(なめがわ)温泉(840メートル)へと。
本当は、天候がすこぶるよいという予報にしたがって28日朝に山に入って一気に滑川温泉までの縦走をと計画していたのですが、登山情報を各所から集めているうちに天元台のリフトの営業は(本日)27日が最終日と知らされ(筆者は10月末と思い込んでいた)、あわてて1日前倒しとしたのです。こうなると、さあたいへんです。
パッキングは温泉旅館にたどり着くのと山小屋泊をはさむのとではまったく違います。寝具、食料、装備はどんどんと増え……、考えるだけで頭がクラクラ。それから行程にして、駅前にクルマを置いて天元台までバスで向かい、リフトを乗り継いだとてこれからだと歩きはじめは早くて日が傾きはじめる午後3時半、そこから標準タイムで歩いて弥兵衛平小屋に辿りつくのは6時、もう暗闇の中です。旅館をキャンセルして計画そのものを取りやめるか悩みはしたんですけどね。けれども、今年最後の吾妻へどうしても行きたくて。

下は、天元台ロープウェイ湯元駅前(標高920メートル)の真っ盛りの紅葉。この上はすでに見ごろを終えています。

そして結局、リフトを乗り継いで歩きはじめが15時13分、山小屋着が17時2分という驚異的な速さでたどり着いたのです。もうへとへとでしたけどね(笑い)。ヘッドライトでの行動には少々の怖さを感じていたので、そうはならずにほっとしました。
予想はしていたものの、山小屋の利用は筆者ひとりでした。

それから予想だにしなかったのが、山小屋での寒さ。時間が経過するにつれ気温がぐんぐんと下がっていくのが肌で分かりました。
早々に夕食を済ませ、持参の薄手の毛布を掛けたシュラフに入るもあまりの寒さで少しも眠気が差さないのです。持参したワインをゴクゴクとのどに流し込み(笑い)、持ってきた着替え用のありたけのシャツと肌着を身に着け、さらにゴアのレインスーツを羽織ってあらためてシュラフに入るも歯はカタカタ、身体はブルブル。筆者は大きな冷凍庫の中に十分な防寒対策なしに入り込んだも同然、いやあ、こんな経験は初めてのこと。
それでも何とか眠りに落ちたようでした。でも目覚めは悲しいかな、習慣となった5時(笑い)。あたりは薄明かりがさして、まわりを見るとさもありなん、窓ガラスが凍っているのでした。雪はまだないにしても、気候はすでに真冬!

朝日が照りだしたので、湿原を歩いてみました。池塘には氷が張っています。木道はそのまま凍りついています。歩けば、靴跡がくっきり。

手がかじかんでカメラのシャッターを切るのにひと苦労。
下は、セルフで。

ボクは足がこんなに長かったんだ(笑い)。

北の遠くに、くっきりと蔵王連峰の雄姿。

湿原に寒風吹きすさんで湖面は波立ち、小屋前には分厚い霜柱。寒いのなんの!   

小屋に戻って、2階より見た一夜の暮らしの痕跡。
今回の山小屋泊は、晩秋から初冬の山行きのよい教訓でした。次からは失敗しませんよ。

 

弥兵衛平小屋は、東西の吾妻連峰のほぼ中間にして中継地点、放牧場や米沢市大沢へとつながる立岩コースへの分岐、姥湯(うばゆ)温泉や滑川温泉への分岐であり、要衝なのです。
立岩コース、途中枝分かれする姥湯コースと滑川コース、いずれもあとはただ下るだけです。

下はとんがった高倉山(1,326メートル)と福島盆地。
よくよく見るとこの度の台風で氾濫した阿武隈川も見えるよう、盆地は福島市北部や桑折町あたりでしょうか。

姥湯分岐に至るまでに、ひとりの登山者に会いました。筆者より少しばかり年輩と思しき方で、いろいろと情報を交換しました。福島からの彼は姥湯温泉にクルマを置いて、これから弥兵衛平湿原を通り、東大巓(1,928メートル)を過ぎ、東への縦走路を進んで兵子(ひょっこ。1,823メートル)から姥湯温泉に戻るという周回コースを取るということです。
単純に8時間はかかるコース、これを泊なしでということですから、相当な健脚ですね。吾妻が好きで好きでしょうがないという方でした。

この弥兵衛平湿原と滑川温泉を結ぶルートの最大の魅力は深山の溪谷がそばにあることでしょう。轟轟(ごうごう)たる水の音が山歩きに寄り添うのです。その清冽な流れと言ったら。

そして名瀑の数々。滑川大滝は日本名瀑100選にリストアップされているよう。落差80メートルは圧倒的な迫力とのこと。
筆者の撮影は登山道の展望台から。滝直下の写真はwebより。

「四季折々の滝を巡る旅」より

途中に、かつての滑川鉱山の痕跡が見え隠れします。鉄鉱石の集荷のための小屋でもあったものか、すぐ近くに60センチほどのトロッコ軌道が確認できます。
調べると滑川鉱山は、1941年に創業し70年に閉山したよう。太平洋戦争と戦後復興、高度成長を支えた歴史的遺産で、良質な鉄鉱石を年間1万トン以上も生産したということです。採掘された鉄鉱石はトロッコで集荷しそれを架空線(ケーブル)にて奥羽本線の峠駅に送り、貨物列車で米沢と坂町を経由して東新潟港より福岡の八幡製鉄所に運ばれたという。
天元台は硫黄鉱山、この滑川は鉄鉱山として戦争に協力し利用された負の歴史も発展の歴史も刻んだのであり。

鉱山跡を過ぎると、あまりお目にかからないヒノキアスナロ(檜翌檜。ヒノキ科アスナロ属)の林になります。
途中に見かけたダケカンバ(岳樺。カバノキ科カバノキ属)の巨木の根張り。

そしてようやく、滑川温泉に着いたのです。
ところが、です。水量が多く、流れが急で対岸に渡れないのです。温泉宿に通じる吊り橋が老朽化のために不通なのは知っていたけど、小1時間ほどもうろうろ。川を渡るのに苦労するとは思いもよらず。渡りのルートをいくら探っても決定打はなく、結局は浅瀬のルートを選び、登山靴と靴下を脱いで濡れること覚悟でジャブジャブと渡ってようやく対岸へ、だったのです。いやあ、参りました。

それにしても、この滑川温泉コースの荒れていたことといったら。両脇のブッシュが道を覆って隠してしまっているところや道に迷いそうな箇所も何カ所かあり。テープの目印さえないのですから、これは管理者の責任でもありますかね。
ちょうど20年前に相棒と娘とで同じコースを歩いたのだけれど、その時とは雲泥の差でした。弥兵衛平湿原からこのルートを選ぶ登山者は注意が必要です。

 

ここからは、湿原より下って滑川温泉までの間の紅葉図鑑です。
この時期の紅葉というのは、標高にして1,000メートルを切ったあたりからですかね。もうそれより上は葉を落としてしまっています。

下は、クロマメノキ(黒豆木。ツツジ科スノキ属)。実は和製ブルーベリー。とてもおいしいです。

常緑小低木のアオノツガザクラ(青栂桜。ツツジ科ツガザクラ属)の群生。花期の青白い花がきれいです。
これらふたつは湿原直下の水場・金明水のあたりです。

ナナカマド(七竈。バラ科ナナカマド属)。紅葉の代表選手のひとり。

マルバマンサク(丸葉万作。マンサク科マンサク属)。マルバは日本海気候に多い種のよう。

悔しいけど、ちょっと不明です。
ツノハシバミに似ているような。ウラジロノキに似ているような。やっぱり、ウラジロノキ(裏白木。バラ科アズキナシ属)のようですが、どうも自信がありません。

ミズナラ(水楢。ブナ科コナラ属)。ブナ帯の代表選手。
ミズナラはブナ同様、標高がだいたい500から1,000メートルぐらいに分布します。コナラに似ているけれども、樹皮は少々剥がれがあり葉に柄がないことで容易に区別できます。

タムシバ(田虫葉。モクレン科モクレン属)。
いわゆるマグノリアのひとつ。宮澤賢治が好んだマグノリアはコブシやこのタムシバだったのでは。コブシの葉はもう少し丸味を帯びます。

ミヤマホツツジ(深山穂躑躅。ツツジ科ホツツジ属)。ホツツジの高山型です。

タカノツメ(鷹爪。ウコギ科タカノツメ属)。黄色がとてもきれいです。
あまり知られていないけれども若芽はとてもおいしい山菜です。赤はミネカエデ。

コシアブラ(漉油。ウコギ科ウコギ属)。
言わずと知れたおいしい山菜。米沢の民芸品として有名な笹野一刀彫はこのコシアブラを彫りだしたものです。

ブナ(山毛欅。ブナ科ブナ属)の幼木。
ブナの林って、美しいですよね。特に新緑の葉の美しさと言ったら。

ミネカエデ(峰楓。ムクロジ科カエデ属)。高山の紅葉の代表選手のひとり。

ハウチワカエデ(羽団扇楓。ムクロジ科カエデ属)。今にも落葉しそうに、少々色が褪めてますね。

緑から臙脂色へのハウチワカエデ。

赤いハウチワカエデ。

クロモジ(黒文字。クスノキ科クロモジ属)。
枝が高級楊枝の材料になります。和菓子の楊枝って、これが一番ですね。非常によい香りが漂い、賢治の名作「なめとこ山の熊」の重要なモチーフになっています。

シダ植物のゼンマイ(薇。ゼンマイ科ゼンマイ属)の展開したもの。
ゼンマイは何と言っても山菜の王者ですね。食べるまでには茹でて揉んで乾燥させてととても手間がかかるものですが、煮つけなどはたまらなくおいしいものです。筆者の暮らす米沢を含む置賜(おきたま)地方では、盆や正月はもちろん、ハレの日には必ずと言っていいほど出されるおなじみの食材です。
買えばですが、乾燥もので100グラム2,000から3,000円くらいが相場ですかね。春ともなれば、筆者は相棒ともども山に繰り出してゼンマイザンマイ(三昧)です。この韻、いいね(笑い)。

ウリハダカエデ(瓜膚楓。ムクロジ科カエデ属)。いろんな色になる樹種ではあるけれど、この淡い色もよし。

ガマズミ(莢蒾。レンプクソウ科ガマズミ属)。
ガマズミの赤い実はすっぱくておいしいし、実を果実酒として漬け込めば美しいガーネット色となります。この果実酒は味といい色といい絶品です。

アオダモ(青梻。モクセイ科トリネコ属)。5月の終わりころにぽしゃぽしゃとした美しい白い花をつけます。
野球のバットはこの木から作られるのだそうで、その関連の植樹も行われているようで。

オオカメノキ(大亀木。レンプクソウ科ガマズミ属)。

弥兵衛平湿原からの道、特に姥湯分岐を過ぎたあたりからの紅葉は見事。溪谷の轟音といい、抜けるような空の青といい、絶好の紅葉狩りを満喫しての山歩きでした。

下は、滑川温泉福島屋の前で。番頭さんに撮っていただきました。
吾妻連峰の北側には(東から順に)五色、姥湯そしてこの滑川、大平(おおだいら)、白布温泉奥の新高湯と日本有数の秘湯が点在しています。筆者は秘湯が好きで今まで結構歩いてきたけど、これだけまとまった山域というのも全国でもめずらしいと思います。
筆者の宿選びというのは単純にして明瞭です。風情と料金。料金はちょっと前までなら8,500円程度、少し前なら10,000円ほど、今は12,000円ぐらいまでですかね。そこに俗気のない素朴で鄙びた湯場が何よりいいのです。そういう意味で、滑川温泉はすべてに適っています。
今は亡き母親を連れて、母親の友達も連れて、家族で、若い友人とで、親戚ともども、そして時にはひとりでと、もう何度も訪れている場所です。

なお、滑川温泉は冬期休業。今秋の営業は11月4日までとのこと。来季の営業再開は4月末ということです。
その風情ある温泉風景を以下に少々……。

溪谷がすぐそばを走る露天風呂。湯船に覆いかぶさっているのはイタヤカエデ(板屋楓。ムクロジ科カエデ属)。もう少し過ぎるとそれはそれは美しい黄色になります。筆者は、黄色と言えば、このイタヤカエデの黄色こそ黄色中の黄色と思っているほどなのです。

温泉の目の前の滝。これだけでも素晴らしい。

素朴さは、食事にも表れています。
今回は「食事少なめ」として頼んだメニューの一部は下の通り。ここからすでに「からし菜昆布」は食べてしまってないけれども、この「鯉の洗い」(刺身)、「芋煮」、「冷汁(ひやしる)」は何と言ってもわれわれ郷土の慣れ親しんだソウルフードなのです。いつ、何度口にしても飽きることがない素晴らしい料理です。これは、はじめて訪れた約30年前からほとんど変わることがない不動のメニューです。

翌朝、宿の車で約4キロ先の峠駅の途中まで送ってもらいました。歩いてもよかったのだけれど、8時台の列車を逃すとあとは午後1時台まで待たねばならず。途中、10分ほど紅葉のトンネルの山道を歩いて駅に。駅前の峠の茶屋でおなじみの「峠の力餅」を手土産に。

この峠駅、奥羽線において奥羽山脈を越えるこのルートはこう配が急なため、かつて列車はスイッチバックで登っていたのです。スイッチバックが廃止されたのは山形新幹線が開業した1990年です。スイッチバックには筆者にもたくさんの思い出があります。駅舎はその名残です。

これで、思い残すことなく紅葉の山旅が終わりました。
それでは。

※滑川鉱山については、粟野宏論文「鉄の道と鉄道-滑川鉱山と板谷峠の文化的景観」を参照しました。