ドアリラの朝 ドアリラの夕べ
森の小径森の生活

雪がきました

この21日、ルーザの眺望はもう見納めだろうと思って、晴れ間をうかがっていつもの鑑山に登りました。家から約15分、足早なら12分。

その途中の最上川源流のひとつ、天王川に架かる橋からの笊籬溪(ざるけい)の現在。樹々は、3週間前には錦の衣で豪華に包んでいた身をすっかりと剥いで冬の厳しさに堪える覚悟なのです。(木の葉は樹身の熱を容易に奪ってしまう)。

少しずつ高度を上げて山道を進んでいくと、紅葉の頃にはまだ青々としていたオオイワカガミ(大岩鏡)の葉は雪が来る頃を知って、やはり少しずつ(西吾妻のイワカガミ同様)臙脂色(えんじいろ)に変わってきていました。まだ青々とした葉はたくさんあるのに、こうして色を変える葉というのはともすれば、年齢を重ねた葉なのかも。色が変わった葉は冬を越してから枯れるのかも。

アオハダ(青膚)の美しい幹の色。この株立ちの姿は実に美しい。

鑑山のいつもの眺望の岩(標高420メートル。我が家あたりは352メートル)にたどり着きました。ルーザをこうして俯瞰していると、自分の暮らしや時間を俯瞰しているようにもなるんだよね。そんなことが頭をかすめつつ見えてきたのは、葉をすっかり落とした森の姿です。
わずか色褪せた黄色に見えるのは、コナラ(小楢)とクリ(栗)の個性。同じ樹種でもすっかり落葉させたものがほとんどなのに、まだ肌身から葉を離さない木もあって、これも不思議なことです。
これが雪が来る直前の、ルーザの森の風景。

こんな時期、キノコはどうだろうと思って、鑑山から戻って西方の森に入ると、やはり約束したように黒種の新鮮なムキタケです。ムキタケは今年はまずまず採ったけど、そうそう生で置いておくわけにもいかずほとんどは塩漬けにしたので、これはこれで貴重な生食用。もう少しは生の食感が楽しめそうです。雪降る前の最後の収穫。

そして、23日未明より、とうとう雪が来ました。うれしくもあり、寂しくもあり、悲しくもあり(ここで使った“悲しい”は、辞書にあるような「心痛んで泣けてくるような気持ち」とはニュアンスが違い、ここらでは、寒さに気持ちが縮んで何もやる気が起きずに固まってしまう様子を含む。子どもの頃、寒さで何もする気が起きずにじっとしていると、母によく、「悲しんでいるな!」と叱られた)。
初雪は昨年が19日、一昨年が9日、その前の2015年が25日ですので、今年は平年並みということになります。さて、今季はどんな降り方をするのか。

雪で思うのは、三好達治の詩「雪」。

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

たった2行の詩なのに、想像はどこまでも飛躍します。
子どもを眠らせて雪が降り積もるのであるから、基本的にこれは、安逸を誘う平穏な北国の冬の情景。太郎の屋根と次郎の屋根は違う屋根だろう。ということはこの二人は兄弟ではない。とすると、太郎と次郎という名の取り出しは単に二人というのではなく、家々の子どもたちということになる。その子どもたちがみんな安らかに眠るというのだ。が、こうした情景を三好が描いたというのは、そうではない現実が世情を覆っていたということなのか。眠らせているのは親の愛か、世の温かさか、はたまたそう望む三好の心根か。そして三好は冷たく切ない雪というシンボルをまるで子どもをやさしくあたたかく包む毛布のように見立てて覆う、そこに光る詩人の目。

雪で思い出すもう一つの、「雪」。
山形県の教育遺産とも言うべき、無著成恭が指導して編んだ上山は旧山元村狸森(むじなもり)が舞台の歴史的文書『山びこ学校』に収められている石井敏雄の「雪」。

   雪がコンコン降る。
人間は
その下で暮らしているのです。

雪が人々の生活を押しつぶし、抗うことを決して許さず、人はただじっとして堪えるしかない現実を子どもの眼がとらえた情景。この情景は大型機械が登場して行政の除雪態勢が整い、堪えるしかないという訳ではない現代も、本質的には変わることはないのだろう。東北人のアイデンティティーを形成している根っ子は雪なのだと思う。けれど、堪えるしかなかった現実を背負っていた頃の人々というのは、たぶん自然に対してもっと謙虚だったろうと想像することは容易なこと。

ヒュッテの窓の、雪囲いのための渡し板の隙間から見た主屋。壁面が黒なので、雪の降り具合も明瞭です。

ヒュッテの前の、我が家のシンボルツリーのトウヒ(唐檜)。
よくクリスマスツリーにはモミ(樅)が充てられるけれど、筆者はこの木の方が似合っているように思うな。もうすぐ12月なので、この木から枝をもらって玄関飾りにします。これが我が家のクリスマスを迎える準備。
なお、このトウヒは姿からしてヨーロッパ的ではあるけれど実は母種チョウセントウヒ(朝鮮唐檜)に最も近い日本の原産種とのこと。ヨーロッパのそれは、ヨーロッパトウヒ、ドイツトウヒが相当しますが種としては別です。
なお、我が家のトウヒは近くの栗園の一角にあったものの実生の幼木をもらい、そこから育てたもの。もう、雪囲いをして守ることができないほど大きくなりました。

ヒュッテの北窓からの外。
窓際壁のキツネは旭川の伝統的な民芸品で、実はこれはペーパーナイフ、大きな尾の部分がナイフになっている美しいクラフトです。

ヒュッテには今、薪ストーブが熱を発しています。

冬が、とうとう来ました。
雪がしんしんと降る季節は、職人としての筆者がこさえようとする品物と心から向き合うことができる時間でもあります。春にお目にかかったとき、その品物の姿に光が射していますように。

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